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三河深溝~西尾放浪・本光寺

 12月7日お昼すぎ、三河・深溝(ふこうず)の本光寺に参拝。


徳川氏を支えた十四松平の一つ・深溝松平家の祈願所・菩提所として、初代・忠定公が大永3年(1523)に建立した禅寺です。境内西側には初代・忠定公から五代・忠利公まで、境内東側には寛文9年(1669)に肥前・島原藩主となった六代・忠房公から、昭和9年(1934)に亡くなった十九代・忠諒(ただあき)公までの御廟所があります。深溝松平家が島原城に移った後も、歴代の城主が亡くなると島原・本光寺で戒名をつけ、御遺体を蒲郡まで船で運んで深溝・本光寺に埋葬してきたのでした。


(島原城、2015年7月撮影)
本堂にて般若心経を読誦。お寺の方の話によると、かつての本堂は明治の神仏分離・廃仏毀釈の際に壊され、現在の本堂は元々、島原城主の宿泊所であったそうです。
 本堂の西側に、五代・忠利公廟である肖影堂や十一代・忠恕(ただひろ)公廟、初代・忠定公から四代・家忠公までの御廟所が並んでいます。


肖影堂は六代・忠房公が建立、肖影堂の背後に祀られている「願掛け亀」も、忠房公が建立したものです。


忠房公は三河・吉田藩主であった忠利公の長男として、元和元年(1619)豊橋の吉田城で生まれ、寛永9年(1632)に三河・刈谷藩主、慶安2年(1649)丹波・福知山藩主を経て、寛文9年(1669)に島原藩主となりました。「願掛け亀」は福知山城にいた頃から十年がかりで作られたもので、寛文12年(1672)の建立。領民の願いを聞き届ける為の大きな耳がついています。人々の声に耳を傾ける霊亀のお姿に、掌を合わせました。
 寛永14~15年(1637~38)の島原の乱の後、当時の島原藩主・松倉勝家は乱の責任により斬首され、寛永16年(1639)に高力忠房が島原藩主となりました。忠房公は島原の復興に力を注いだようですが、明暦元年(1655)に忠房公が亡くなり長男・高力隆長が藩主になると、苛政により領民から訴えられて寛文8年(1668)改易となっています。松平忠房公が島原城に入ったのは、その翌年でした。尚、高力氏の時代に禅林寺(後の島原・本光寺)の住職であった桃水和尚は、ある年の冬安居の後に突然姿を晦まし、以降、京で乞食と同態となって病人を介抱したり、大津で馬沓を作ったりして、生涯寺に戻らなかったのでした。
 十一代・忠恕公は安永2年(1773)に島原藩主となりました。寛政4年(1792)4月1日、雲仙普賢岳の噴火に伴う地震で眉山が有明海へと大崩壊し、津波が発生、この災害により島原で約一万人、対岸の肥後で約五千人の方々が亡くなりました。忠恕公は同月27日、51歳で過労病死されたそうです。忠恕公と、「島原大変」で亡くなられた大勢の方々に念仏をお称えし、菩提を弔いました。


(眉山、2015年7月撮影)
 続いて、東御廟所に参拝。


六代・忠房公から十九代・忠諒公までの歴代島原城主の御廟に掌を合わせました。島原は、私のご先祖さまゆかりの地でもあります。島原の殿さまと共に私のご先祖さまにも思いを致し、私や子供たちまで命をつないでくださったことを感謝しました。
 本光寺を下って北西へ歩を進めると、深溝城跡がありました。


深溝松平家初代・忠定公から五代・忠利公までが在城し、その後、板倉重昌が城主となりました。深溝藩主・板倉重昌は寛政14年(1637)、島原の乱鎮圧の総大将として島原に入りましたが、翌年正月1日に戦死しています。念仏をお称えし、板倉重昌と、島原の乱の幕府側・キリシタン一揆側双方の戦死者の菩提を弔いました。
 JRの線路を渡って西へ歩いてゆくと、道端に「村社白山宮」の、埋もれかけた石碑がありました。


周囲には社も鳥居も見当たりませんでしたが、柏手を打って白山権現を拝みました。さらに進んでゆくと、深溝断層に着きました。


昭和20年(1945)1月13日の三河地震で現われた断層です。マグニチュードは6.8。先の大戦末期に発生したこの大地震で、二千名以上の方々が亡くなったそうです。念仏をお称えし、震災犠牲者と共に、先の大戦で亡くなられたすべての方々に回向しました。
 様々な自然災害、戦争、空爆、テロ、人間同士の愚かな殺し合い・・・。先人たちがくぐり抜けて来た苦しみの現実は、今も変わりありません。この不信・分断・孤立化の時代にあってこそ、約三百五十年前に松平忠房公が作った霊亀の大きな耳の心を、人々の苦しみや悲しみ、願いや祈りに耳を澄まそうとする心を、忘れないようにしたいものです。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝