FC2ブログ

記事一覧

三河霧山~羅漢山~石平山順拝1

 1月15日、豊田市の鞍ヶ池公園に車を停め、江戸時代前期の禅僧・鈴木正三(しょうさん)和尚と、江戸時代後期の念仏行者・慈本豪英尼ゆかりの山々を順礼してきました。
 鞍ヶ池公園から40分ほど歩いて、霧山町の白山宮に参拝。


麓の里宮から裏山へ石段を登ってゆくと本殿があり、さらに山上へと急峻な山道が続いています。三河国幡豆(はず)郡駮馬(まだらめ)出身の慈本豪英尼は、文政10年(1827)21歳の時に出家、浄土宗の尼僧として専修念仏を勤めていましたが、菩提寺であった長福寺(臨済宗)が無住になっていた為、檀家の人たちに請われて臨済宗に改宗し文政11年(1828)に長福寺に入りました。禅宗に改宗してからも慈本尼は念仏三昧の日々でありましたが、文政13年(1830)、名古屋・柳原の長栄寺にいた肥後出身の天台僧・豪潮律師に弟子入りし、それまでの法名「貞本」を改め慈本豪英沙彌尼となったのでした。そして豪潮律師に入門した翌天保2年(1831)2月から天保4年(1833)4月まで、慈本尼は則定村の羅漢山で千日念仏を行じます。命がけの行を終えた慈本尼は、則定村の隣の霧山村でも一年半の念仏三昧を行じたそうです(「牧達雄「未公開近世往生人伝」)。
 霧山白山宮本殿から山頂まで登ると、奥宮がありました。


念仏と白山権現および豪潮律師、慈本尼ご宝号をお唱えし投地礼。山頂北側は急峻な岩場です。


本殿まで戻って西側への踏み跡を辿り、松山観音堂に参拝。霧山町から則定町へと歩を進めると途中にお堂があり、観音さまと、慈本尼が霧山での修行後に安置されたお地蔵さまがおられました。投地礼をし、念仏を百八遍お称えしました。お堂の彼方には、羅漢山が遥拝できました。
 10時すぎに則定に着き、熊埜神社にお参りしてさらに奥へ。


「鈴木正三史跡公園」に鈴木正三和尚と弟の鈴木重成公の銅像があり、掌を合わせました。


お二人は此処で生まれたそうです。正三和尚は天正7年(1579)、重成公は天正16年(1588)生まれ。天正18年(1590)、主君・徳川家康が秀吉の命により関東に移封されたのに伴い、父・重次と共に下総国塩子村に移りました。(尚、「上総国塩子村」と書かれてある文献やパンフレットが多く見られますが、正しくは下総国塩子村で、現在の千葉県八街市根古谷辺りだそうです(「広報やちまた」平成29年5月1日号)。)
 正三和尚はその後、22歳の時に関ヶ原の合戦で徳川秀忠に属して信州真田で初陣、大坂冬の陣・夏の陣にも従軍し、慶長20年(1615)37歳の時、二百石の旗本となりました。しかし、若い頃から禅を学んでいた彼は、元和6年(1620)42歳の時に出家。後に、念仏も真言陀羅尼の念誦も、行脚も謡曲も、士農工商それぞれの勤めも、勇猛心・仁王の機で行じるならばすべては禅と異ならぬことを説かれたのでした。寛永14年(1637)に島原の乱が発生し、乱後に弟の重成公が初代天草代官となると、正三和尚も寛永19年(1642)に天草へ渡って「破吉利支丹」を書き、天草に三十二ヶ寺を建立しています。
 鈴木兄弟生誕地から来た道を戻り、東側へ歩を進めて本郷薬師堂に参拝。正三和尚が再興されたお堂です。さらに北東へ進み、心月院に参拝。


ご本尊の観音さまと阿弥陀さま、正三和尚に般若心経と念仏をお唱えしました。境内には、慈本尼が羅漢山での千日念仏行の後に安置されたお地蔵さまもおられ、投地礼して念仏百八遍。心月院から羅漢山へと登ってゆきました。
 元観音(観音寺跡)を経て11時に羅漢山の行場着。


慈本尼が千日念仏を行じた処です。慈本尼は此処に箱を置き、中に籠って鉦をたたきながら念仏三昧を行じたそうです。此処にはお釈迦さまと十六羅漢の石像があり、お釈迦さまの御前にて法要を修し念仏をお称えしました。このお釈迦さまは、なぜか阿弥陀さまの定印を結んでおられます。お釈迦さまでもあり阿弥陀さまでもあるのでしょう。
 慈本尼は浄土宗から臨済宗・天台宗と改宗して、豪潮律師の遷化後は浄土宗に戻ったようですが、宗派に関わらず念仏のみを行じておられたのは、二百年前の正三和尚の教えに倣ったものでしょうか。正三和尚は禅僧でありながら、常に念仏を唱えていたそうです。ある日、さる長老からそのことを指摘されると、
「我南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏と云は、放下著(ほうげぢゃく)放下著と申也。但し是悪しきや。放下著放下著と云より、南無阿彌陀仏南無阿彌陀仏と云は、結句耳に碍(さわ)るまじきと思ふが。」
と答えています(「驢鞍橋」)。正三和尚の念仏は、「八万四千の煩悩の病」を退治すべく、「発る念にかまわず、ひた責にせめて」する念仏であり、「萬事を放下して」「只強く念仏すべし。沈み念仏申すべからず。」と説かれています(「驢鞍橋」)。慈本尼も、
「此世では一口や二口の念仏を申さぬ人はなけれども みなみな疑て申でやくにたちませぬ 如来さまの御本願なれは御助にまちがひないとおもふて うたがはず精出して唱なされ」
「御念仏は片言にては悪しく候 六字分明におつとめなさるべく候」(「念仏行者御法儀噺集」)
と説かれています。慈本尼は西国三十三所観音巡礼、四国八十八ヶ所巡礼、善光寺詣りもされていますが、正三和尚は西国三十三所巡礼の心得として、
「只念仏申て行脚すべし。亦は油断無、呪陀羅尼をくり、何千返何万萬返と巡礼札に書付、處々に打巡て業障を盡すべし」
「捨身の心を守て、行脚を以て業障を盡すべし」
「一堂一堂にて百礼をなすべし」
「一堂一堂にして、観音経三十三巻づつ読み納べし」
「一堂一堂にて観音経一巻づつ書写して納べし」
「命有らば、三十三度札を打つべき心をかけて、せめて七度迄は急で廻るべし」(「驢鞍橋」)
等と説かれています。私も、順礼・登拝の際は、せめて三礼(投地礼)をして読経し、歩行中は呼吸と歩調に合わせて一心に弥陀の名号を念じ、八万四千の煩悩を退治してまいりたく思います。
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝