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三河霧山~羅漢山~石平山順拝2

 羅漢山の行場からさらに登ってゆくと峠があり、南のピークには椎城跡、北のピークには秋葉神社。


秋葉神社から南西に、先ほど登った霧山白山宮の山を遥拝しました。


峠に戻って西へ下ると林道に出、北へ歩を進めて山中町の津島神社に参拝。


北側へ上る車道から尾根につくと、途中に名号碑や石仏があり、藪化した古道を下って正午すぎに石平山恩真寺の入口に出ました。


 鈴木正三和尚は出家後、三河に帰り、寛永元年(1624)、此処・石ノ平に庵を結んで寛永9年(1632)に石平山恩真寺を開山しました。慶安元年(1648)70歳の時に江戸に出るまで、此処が活動の拠点でした。慶安4年(1651)に肥後出身の雲歩和尚と恵中和尚が江戸で正三和尚に入門、後に雲歩和尚は豊後・能仁寺や熊本・天福寺を開いて正三和尚の法を弘め、恵中和尚は「驢鞍橋」「海上物語」「石平道人行業記」などを著して正三和尚の教えを後世にまで伝えました。この二人の和尚は元々、共に熊本の流長院(曹洞宗)・囲巌宗鉄禅師の弟子であり、二人の兄弟子(あにでし)には桃水和尚がいます。


(流長院、熊本地震半年後の2016年10月参拝時)
桃水和尚も若い頃、諸国行脚の途次に鈴木正三和尚の教えを受けておられ、おそらく石ノ平の庵を訪れたものと思われます。桃水和尚は後に島原藩主・高力隆長に招かれ島原・禅林寺(現・本光寺)に住持しましたが、ある年の冬安居(「前総持桃水和尚伝賛」によれば、この安居には雲歩和尚と恵中和尚も参加していたようです)の後に突然行方をくらまし、以降、寺に住むことなく、京で乞食と同態となって暮らしたり、大津で馬用の草鞋(わらじ)を編んで売ったりと、社会の底辺まで降りていった聖でした。
 恩真寺への参道の途中、正三和尚の坐禅石がありました。


さらに登って恩真寺に参拝。


裏手に正三和尚のお墓があり、お参りしようとすると、地面をバタバタと這い回る緑色の鳥が現われました。


アオバトです。飛ぶことも歩くこともできないようで、必死にバタついて逃げて行こうとします。可愛そうに思い、ポケットに入っていたソイジョイをちぎって投げ与えてみましたが、それどころではない様子。私は手ブラですし周りに人もおらず、こんな山奥ではどうすることもできません。自分に唯一できることは、只、念仏をお称えすることだけでした。正三和尚とアオバトの前で、念仏をお称えしました。
 境内東の谷には、正三和尚が修行されたという不動滝と岩穴がありました。



岩穴の側の石上にて、暫し正身端坐。アオバトのことがまだ気にかかっていましたが、正三和尚の「念仏草紙」にある和歌が、ふと心に浮かびました。

なむあみだたすけ給へのほかはみなおもふもいふもまよひなりけり

豪潮律師が文政13年(1830)に慈本豪英尼に与えた書にも、南無阿弥陀仏の名号と共に、

南無阿弥陀なむあみだぶの外ハみなおもふもいふも迷ひなりけり

とあります。私たちが約二百年前の豪潮律師の行願を偲ぶように、肥後出身の豪潮律師も、二百年前ほど前に天草に仏法を弘めた鈴木正三和尚の教えに学ぶ処があったのでしょう。
 正三和尚は、法然上人の
「後世を願と云は、唯今頸(くび)を切(きら)るる者の心に成て、念仏申べし」
という教えを、
「是よき教え也。誠に如是念仏せずんば、我執盡すべからず」と称賛しています(「驢鞍橋」)。仏道とは、「聞て合点して置くことに非ず。只修行して少充(づつ)も心の垢を抜くこと也。」(同)。妄想を捨て、流れ続ける沢の響きと共に一心に念仏をお称えしました。
 13時に坐を立ち、南西へ。霧山白山宮の山を南東に遥拝しつつ、歩いてゆきました。


正三和尚が寛永8年(1631)に修復したという医王寺に参拝し、恩真寺から一時間弱で鞍ヶ池公園に戻りました。
 「昔も実に隙の明たるは、釈迦御一人なるべし。其外の祖師、殊に我朝の伝教・弘法、まだ仏境界には遙(はるか)なるべし。」
「達磨は、禅宗こそ用れ、三界の大導師釈迦如来とは格別也。」(「驢鞍橋」)
と、一宗一派を超えた萬徳円満のお釈迦さまをこそ崇め、
「一世や二世で自由になるべしとは思ふべからず。」(同)
と、「世世生生をかけて」修行された鈴木正三和尚。その教えは、仏法を日常生活の中に応用実践する為の、素晴らしい手引きです。正三和尚の教えを日常に実践し、セクハラ長老やパワハラ僧兵になってしまわぬよう、心してゆく決意を新たにしました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝