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横蔵寺~妙法ヶ岳~華厳寺順拝

 2月8日、西美濃・谷汲の横蔵寺から華厳寺までの尾根を縦走してきました。朝8時前、谷汲の道の駅を長靴履いて出発。県道脇の歩道には新雪が積もり、山々はうっすらと雪化粧。



恭徳稲荷神社、貴船神社、天神神社と順拝して飛鳥川沿いに歩を進めてゆくと、前方に横蔵寺の霊峰が一望できました。


現在、横蔵寺は山麓にありますが、かつてはこの山上に堂宇が建ち並び、一番高いピークには今も白山権現が祀られています。神原神社に参拝して9時に横蔵寺着。


宝篋印塔、本堂、観音堂と順拝して入峯しました。お猿さんがいました。
 雪を踏んで三十分ほどで仁王門跡に登り、さらに登って稚児の岩から谷を見下ろしました。


嘉禎3年(1237)、この岩上から身を投げて入定した稚児は、地蔵菩薩の化身であったと伝えられています(「谷汲村史」)。岩を下って熊谷直実(蓮生坊)のお墓に参拝。


寿永3年(1184)2月7日の一ノ谷の合戦で、わが子と同じ16歳の平敦盛の首を取った熊谷直実は、敦盛の亡骸を八島へ落ちた平家一門に送りました。敦盛の父・平経盛自筆の、安否が分からなくなっていたわが子の亡骸に出会えた喜びと悲しみを綴った2月14日付の返状を受け取り、直実は菩提心を発します。2月15日は、お釈迦さまが涅槃に入られた日。

「思へば此の世は常の住みかにあらず。草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。金谷(きんこく)に花を詠じ、栄花は先立って無常の風に誘はるる。南楼の月をもてあそぶ輩(やから)も、月に先立って有為の雲に隠れり。人間五十年化天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり。一度(ひとたび)生を受け滅せぬ者の有るべきか。是を菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりし次第ぞ」(幸若舞「敦盛」)

「菩提」とは、覚り、成仏、往生のこと。はかない六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)・三界(欲界・色界・無色界)に生まれ変わり死に変わり永劫輪廻する苦しみから、出離することです。すでに四十歳をすぎていた直実は、菩提を求める心(菩提の種)、即ち道心を発し、法然上人に弟子入りして念仏行者・蓮生坊となったのでした。そして、平敦盛の遺骨を高野山に納めて菩提を弔ったのでした。
 横蔵寺の寺伝によれば、熊谷蓮生坊は元久元年(1204)に横蔵寺を訪れて阿弥陀如来の像を彫り、承元2年(1208)に亡くなったそうです。蓮生坊は建久6年(1195)、京から関東へ布教の旅に出た際、馬に逆向きに乗って西方の阿弥陀さまを常に念じていました。横蔵に来た時も逆馬だったでしょうか?蓮生坊のお墓(宝篋印塔)の御前で投地礼をし、宝篋印陀羅尼・光明真言・念仏百八遍。蓮生坊と敦盛公の菩提を弔いました。


 10時、横蔵寺本堂跡に参拝。


延暦20年(801)に伝教大師(最澄上人)が自作の薬師如来像を祀ってから、元亀2年(1571)に織田信長に焼かれるまで、此処に本堂があったそうです。同じ年に信長は比叡山焼き討ちもしています。現在の比叡山延暦寺根本中堂のご本尊(秘仏)は、横蔵寺から移されたと伝わります。信長が横蔵寺を焼いた際、ご本尊は無事だったのでしょう。般若心経と薬師如来ご真言・伝教大師ご宝号をお唱えしました。
 本堂跡から雪の斜面を一心に急登し、562mピークの白山権現堂に参拝。


昨年(2017年)2月に此処にお参りした際、当ブログに、「弥陀の白毫一たび照らさば、煩悩の黒業悉く除かれん」(「白山上人縁記」)とは言っても、信長の黒業が悉く除かれるのか、自分には分からない、と書きました。今思うに、もちろん、そんなことは分かりません。分からないからこそ、六道・三界を出離できるようにと菩提を弔い続けるのではないでしょうか。「人間五十年化天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を受け滅せぬ者の有るべきか。」永禄3年(1560)、尾張に攻め込んできた今川義元の四万五千の大軍に三千の兵で立ち向かう前夜、信長は清洲城で幸若舞「敦盛」を舞いました。義元は桶狭間にて42歳で亡び、信長も後に、49歳で本能寺に果てました。白山権現のご宝前で観音経と念仏、白山三所権現ご宝号をお唱えし、信長公が三界を出離して菩提に至らんことを祈りました。信長が延暦寺焼き討ちと同年(元亀2年(1571))、白山の別山大行事権現(本地・聖観音菩薩)に鰐口を奉納し、天正8年(1580)には白山・大汝峰(本地・阿弥陀如来)の社殿を再建したことを思いました。
 白山権現堂から、雪の尾根を縦走。


尾根上の積雪は深い処で20~30センチ、軽い雪でかんじきを使うほどではありません。山腹のトラバース道では40センチくらい積もっていました。樹間に妙法ヶ岳を望みつつ、一心に行道。


正午前に妙法ヶ岳に登頂すると、雪が降ってきました。


冷気の中、北面して妙法蓮華経如来寿量品偈や舎利礼文を読誦。

一心頂礼 万徳円満 釈迦如来

2月15日の中夜に涅槃に入られた万徳円満のお釈迦さまを想い、雪上にて投地礼しました。「遺教経」に、

汝等比丘、常に当に一心に、勤めて出道を求むべし。一切世間の、動不動の法は、皆是れ敗壊不安之相なり。

お釈迦さまの最期の教えです。三界・六道はすべて「敗壊不安の相」です。戦争、自然災害、疫病は絶えることがありません。今ばかりではなく、お釈迦さまの時代もそうでしたし、弥勒仏下生の未来もそうでしょう。五十年の人間界ばかりではなく、化天(化楽天)も同じです。地獄界から天上界まで、生まれ変わり死に変わり、グルグルと永劫輪廻しているにすぎません。私の心の中も同様です。一念一念に、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道を上っては下り、下っては上り・・・この苦しみの世界を出離する道、苦しみを滅する道を説かれた、お釈迦さま。念仏も、坐禅も、真言念誦も、行脚礼拝も、その実践です。心に六道輪廻の種をまくのではなく、菩提の種、往生の種をまきたいものです。
 山頂から南側へと山道を下ってゆくと、雪も風もおさまり、積雪も数センチ、地肌が見えるほどです。尾根の南側と北側で、雪の深さが断然違います。不動明王が祀られている窟に掌を合わせ、12時半前に谷汲山奥之院に参拝。



十一面観音さまに投地礼し、観音経をお唱えしました。観音さまを一心に念じること(念彼観音力)もまた、世間、即ち三界の苦しみを出離する道。

衆生困厄を被って 無量の苦しみ身を逼(せ)めんに 観音の妙智の力 能く世間の苦しみを救う

13時に西国三十三所満願霊場・華厳寺に下りました。ご本尊の十一面観音さまにお参りした後、本堂前の宝篋印塔に投地礼をし、宝篋印陀羅尼読誦。


塔身に、

若し衆生有りて 能く此の塔に於いて 一香一華もて 礼拝供養し 見聞し行道せば 罪障悉く滅し 求むる所、意の如く 後には極楽に生まれん

怨も親も、敵も味方も、皆共に三界・六道を出離するのが、菩提の道・平和の道です。門前町を下って県道を歩き、14時に道の駅に戻りました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝