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立山・白山の地獄2

 一ヶ月前、江戸時代前期の禅僧・鈴木正三和尚の言行録「驢鞍橋」にある、立山・白山の地獄についての会話を紹介しました。
(2018.1.26「 立山・白山の地獄」参照)
正三和尚が聞き集めた話を弟子の雲歩和尚らが撰した「因果物語」にも、立山・白山に関する話がいくつかあり、十七世紀前半の立山・白山信仰の様子が分かります。雲歩和尚は、「驢鞍橋」を記した恵中和尚と同年生まれ、共に13歳の時に熊本の流長院・囲巌禅師の元で得度、正保3年(1646)19歳の時に二人で諸国行脚に出、慶安4年(1651)に江戸で鈴木正三和尚に入門、正三和尚が明暦元年(1655)に遷化されるまで共に随侍されました。「因果物語」は、寛文元年(1661)に刊行されています。
 
 三洲牛窪村(現・豊川市)ニ。市兵衛ト云鋳物師。石巻山ノ鐘ヲ盗ケリ。寛永ノ始比(ころ)(1624~)。白山エ参詣ス。山八分目ニテ。彼市兵衛俄(にわか)ニ立直。回(まわり)ヨリ焔焼揚(やきあげ)タリ。同行見。彼者死セバ。穢有ト云テ。急(いそぎ)山エ登。下向ニ見バ。体ハ其儘有テ。アタリヨリ焔出ケリ。皆肝ヲ消下。又次年。東三川ヨリ。白山エ参詣スル者アリ。見ニ彼市兵衛。去年ノ如シテ有。下向ニ見バ。早消テナシ。今ニ其所ヨリ烟立也。其涯ニ五六尺ノ石有。其石熱シテ手付ラレズ。道雲寺ノ。守的野田ノ意庵。慥(たしか)ニ見タリト語也。(「因果物語」)

この話より二百年後の文政13年(1830)に福井から白山に登った福井藩士・加賀成教の「白山全上記」に、
「近年三州宝飯郡(ほいぐん)吉田郷金谷村(現・豊川市)市兵衛なる者白山にて入定せんと念願にして、三十四度登山してここにて入定す」
とあります。三河国宝飯郡の金谷村と牛窪村は隣接しており、「因果物語」の市兵衛と「白山全上記」の市兵衛は同一人物でしょう。元々、豊橋の石巻山の鐘を盗んだ悪業の報いで白山で「生ナガラ地獄ニ落」ちたという話が、二百年後に越前側では違った話となっています。文政6年(1823)に尾張国知多郡大符村(現・大府市)の人たちが白山・立山・富士を順礼した際の「三山道中記」は、白山・御前峰から大汝峰への道中を

御本社十一面観音


(2017.5登拝時)
ごはんせき 宝岩あり


(御宝庫と千蛇ヶ池、2017.11登拝時)
六地蔵 せんじやうが池


(六地蔵跡、2016.6登拝時)
五万八千才じやう様
十万のこんごうどうじ 一万のけそく
かがみ石
三州の市兵衛つか有


(大汝峰へ、2014.10登拝時)
おくの院みだにょらい


(大汝社、2017.5登拝時)
さいのかわらあり
是よりじごくめぐり
ふこういんぢごく かじじごく
こうやじごく 油やじごく
ちいけじごく ごこう石


(大汝峰より望む翠ヶ池、紺屋ヶ池、油ヶ池、血ノ池 2017.11登拝時)

と記しています。市兵衛塚は大汝峰の山腹にあったようです。市兵衛と同じく東海側から美濃禅定道を登った彼らにとって、二百年前に悪業の報いを受けた市兵衛の話は他人事ではなく、塚にて菩提を弔ったことでありましょう。
 「普光院地獄」とは翠ヶ池のことで、天正年間(1573~92)に越前の山伏・普光院が白山に登った際、翠ヶ池に手を入れると涼しく気持ちよかったが、手を出すと火傷のように痛み、また浸けて次第に腕、足、腹、背、頭まで池に浸けなければならなくなり、黒焦げになって亡くなったことから名付けられたそうです(「白山比メ神社略史」)。翠ヶ池は天文23年(1554)に噴火して火砕流が流下しており、天正年間にはまだ熱かったのでしょう。「因果物語」には、肥前国温泉山(雲仙岳)の寛永年間(1624~44)の話として同じようなことが記されてあり、「生ナガラ地獄ニ落事」と題されています。地獄に手を入れていると快感だが、手を抜くと焼けただれ、また手を入れる・・・悪事から手を抜けないこの普光院の姿は、他人事ではなく、三界の火宅にいる私たちの姿に異ならないでしょう。
 
 尾州愛智郡星崎村(現・名古屋市)ニ。彦十郎ト云者。信者ニテ後世コトニ精ヲ入ケリ。四十ノ比(ころ)女房ヲ去ケルニ。舅ニハ不足ナキ故。本ノ如ク出入ス。女房頓テ死ケリ。然間亦女房ヲ求ケリ。彦十郎四十二三ノ比。白山立山ヘ参詣シケルニ。立山ニテ本ノ死タル女房出テ。彦十郎ニ向テ。其方ハ我等父ノ方ヨリモラウ間敷(まじき)銭ヲ取也。返シ玉ヘト云。彦十郎聞テ左様ノ事有トテ。舅ヨリ請タル銭五十文速ニ返シケリ。其後笠寺ノ鐘撞ト成テ居タリ。慶安五年(1652)ノ事也。南野十左衛門語ヲ聞也。(「因果物語」)

妻と別れた後も舅から金をもらっていた男が、妻の死後、白山立山順礼の際に立山で妻の霊に会い、父に金を返すよう言われて返した、という話です。「因果物語」にはその他にも、寛永16年(1639)夏に尾州山崎(現・稲沢市)の同行十人が立山に参詣した際、室堂にて来ているはずのない同村の二人に会い、下山し帰郷すると二人には何事もなかったが、十一月になって二人とも亡くなった話、遠州市野村(現・浜松市)の惣衛門の宿から立山に参詣した高野聖が、立山の地獄に入ろうとする宿の女房を見、引き止めたが帯だけ残って地獄に入ってしまったこと、不憫に思い惣衛門の処に至ると、女房には何事もなく、彼女に立山での話をして何か心に思い当たる悪事はないか尋ねると、日頃少しでも得をしようと、大小二つの枡を使い分けていたことに思い当たった、という話、慶安年中(1648~52)、立山に鷹の餌の小鳥を取りに来た男が、祖母堂(姥堂)に祀られる66体の三塗川の「おんば様」の目に鳥もちを塗り、見えなくして鳥を取っていたら、自分が盲目になった話、


(姥谷川に架かる布橋、2016.7参拝時)
元和年中(1615~24)、東三河の貴雲寺の弟子の僧が同行五人で立山に参詣し、下山後日が暮れてしまい、とある寺に宿を借りたところ、寺の老僧から米も味噌も奥にあるから食べなさい、と言われて蔵へ行くと、自分の師僧が倒れており、口から白米がザラザラと出ているのを見て、出家となって信施をいただくのは恐ろしいことだ、と、還俗して足軽になった話などがあります。
 十七世紀前半、白山や立山を順礼していた人々にとって、山とは単なる娯楽やスポーツの場、「名山」ではなく、神仏や霊が現われ、浄土や地獄が存在する「霊山」でした。人々は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)輪廻の苦しみを離れ、少しでも六根(眼耳鼻舌身意)清浄になろう、と白山三所権現(本地・十一面観音菩薩、聖観音菩薩、阿弥陀如来)や立山権現(本地・阿弥陀如来)に詣で、現世安穏後生極楽を願っていたのでありました。鈴木正三和尚の「麓草分」にも、行脚とは
「国国を廻り、山山を越、浦浦をつたい、大河小河を渡り、心を清め、霊仏霊社に参詣して信心を発し、霊性清浄の気をうけて自己を清め、貴賤、上下。善悪の人に触て自己の非を改、心をやはらげ、自他の差別なき理を知り、心を住(とどむる)処なく、万境に著せずして、一生は唯、浮世の旅成事を観じて、樹下岩谷あばらやに臥して心を澄し、捨身の心を守りて、専清浄の気を移すべき修行也」とあります。
 正三和尚の「盲安杖」に、
「一心の中に仏有、一心の中に鬼有、一心の中に地獄餓鬼畜生修羅人天あり、経に云。三界唯一心。心外無別法。心仏及衆生。是三無差別。と説たまへり。去ば此心をいましめ、善業を勤る時は。仏果にいたるなり。又心を恣(ほしいまま)にするときは、三毒の心増長して三塗地獄に落入なり。只心にしたがふべからず。つとめて心をしたがゆべし。必心の師となるべし。心を師とすることなかれ。心の鬼、悪道に引て入る。いましめても猶いましむべきは心なり、恐ても猶おそるべし。」
貪り・怒り・愚かさの三毒、八万四千の煩悩に振り回され、生きながら地獄などの六道・三界をグルグル輪廻しているのは、私に他なりません。正三和尚の「念仏草紙」には、
「かへすがへす心にゆだんし給はざれ。あくにはすすみ、善にうときは心也。されば故人も、心の師とはなるべし。心を師とせざれとおしへおかれ候也。心の師と成ものは、南無あみだ仏也。」
心の師となるもの、それは、八万四千煩悩の主人ともいえましょう。
 昨年(2017)11月に陶製の宝篋印塔を作りましたが、塔身がゆがんでいて、写経した宝篋印陀羅尼が中の穴にうまく納まりませんでした。まるで私の散乱し曲がった心のように・・・。今朝、塔身をまっ直ぐに修復し、新たに宝篋印陀羅尼を写経して納めました。



宝篋印塔の塔身には、四智如来(阿シュク、宝生、阿弥陀、不空成就)の種字と、「シッチリヤ」の梵字(「南無三世一切如来」の「三」とその前後を現わす)。四智如来の不空成就如来は、眼耳鼻舌身の五識を成所作智に、阿弥陀如来は、意識を妙観察智に転ずるお方。六根清浄、まさしく「心の師と成ものは南無あみだ仏」です。宝篋印塔とは、過去・現在・未来の三世の一切諸仏の身体・ご遺骨、法身・報身・応身である宝篋印陀羅尼を納めた宝塔。一切の仏さまを礼拝供養することは、阿弥陀さまを礼拝供養することに等しく、阿弥陀さまを拝むことは、一切の仏さまを拝むことに変わりありません。

もし有情(衆生)あって
よくこの塔において
一香・一華をたむけて
礼拝供養すれば
八十億劫にわたる
生死の重罪は
一時に消滅し
生あるうちは災殃を免れ
死ののちは仏の家に生まれるであろう。
もし阿鼻地獄に
堕ちるようなことがあっても
もしこの塔において
あるいは一たび礼拝し
あるいは一たび右遶すれば
地獄の門は塞がれ
菩提の路が開かれるであろう。
(「宝篋印陀羅尼経」)

白山・立山の白浄の気を受け、すべての生きとし生けるものと共に、心の地獄の門を遮し、菩提の道へと歩んでまいりたいものです。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝