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縄文時代のお墓

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 お墓のあり方が変わりつつある、二十一世紀の現代。日本人の祖先である縄文人たちは、土器の使用によって食べ物を煮炊きするようになり、日本で定住生活をした初めての人たちだった。当然、まとまった墓地が現われたのも縄文時代だったろう。彼らはどのような埋葬をしていたのか?野人が訪れたいささかの遺跡から縄文のご先祖さまに学んでみたい。
 千葉県船橋市の飛ノ台貝塚(とびのだいかいづか)。
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(2023/11/21)
縄文時代早期、約八千年前の男女二体の骨が、貝塚の下から頭を北に向け、両ひざを曲げて抱き合うような姿で発掘された。壮年男性と思春期女性で、兄妹か夫婦、恋人だったよう。日本最古級の合葬らしい。二人が埋葬された後、やがて二人のことは忘れ去られ、その上に貝殻が棄てられるようになったのだった。
 富山市の小竹貝塚(おだけかいづか)。
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(2023/11/15)
縄文時代前期約六千年前、現代を上回る温暖化と海進で、気温も海面も今より高かった時代の遺跡。九十一体の人骨が見つかっており、墓域は住居域と廃棄域(貝層)の間にあった。大半が手と足を曲げた屈葬だったという。仰向けの屈葬が多く、石を抱いている遺体もけっこうある。男性は磨性石斧やツキノワグマの牙で作った垂飾、女性は玦状耳飾(けつじょうみみかざり)などが副葬されていた。また、新生児を土器に入れた土器棺葬もある。亡くなった人の年齢は多い順に、青年、中年、老年。若死にする人が多かったようだ。中年男性の上に、先に亡くなった中年男性が改葬されている例もある。兄弟だったのだろうか?
 千葉市の加曽利貝塚。
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(2023/11/21)
縄文時代中期(約五千年前)と後期(約四千年前)の貝塚から、今までに約二百三十体の人骨が見つかっている。中には、貝層を掘った穴に埋葬された人骨もある。
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貝塚はただのごみ捨て場ではなかった。縄文人が知っていたかは分からぬが、日本の土壌は酸度が高く、骨も長年の間には溶けて残らないことが多い。だが、貝塚では貝殻の炭酸カルシウムで土壌が中和され、骨が残りやすいのだ。古墳時代五世紀頃の巨大古墳に埋葬された権力者の骨はほとんど残らぬが、はるか昔に貝塚に埋葬された人の骨は、しっかりと残っている。
 岐阜県飛騨市、縄文時代中期の堂ノ前遺跡から出土した埋甕(うめがめ) 。
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(飛騨みやがわ考古民俗館、2023/11/5)
縄文時代中期、中部高地周辺では竪穴住居の入口に深鉢を埋める風習が広まっていた。中には胞衣(えな、出産時の胎盤)、あるいは亡くなった乳幼児を入れていたらしい。新潟県糸魚川市の長者ケ原遺跡でも、竪穴住居の入口下(東側)から埋甕(土器棺)が出土しており、円形の建物の奥(西側)には祭祀用と思われる木柱が立っていた。
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(2023/10/24)
この建物の西側斜面の捨て場からは、頭を東に向け石皿の上に仰向けに寝かされた大型の河童形土偶が出土している。あるいは、亡き子の魂の再生を願って祀られた女神なのだろうか?
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(写真はレプリカ)
山梨県笛吹市の釈迦堂遺跡からは、大型の埋甕も見つかっている。成人を再葬した可能性があるという。
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(2023/11/20)
 千葉県市川市の堀之内貝塚。
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(2023/11/21)
縄文時代後期~晩期(約四千年前~二千五百年前)のこの貝塚から見つかった人骨は、抜歯されていたり、虫歯も残っている。縄文時代後期の人々の六割近くに虫歯があったとの報告もあり、彼らはけっこうグルメな食事をしていたようだ。堀之内貝塚のニキロほど東に江戸時代後期から祀られている、白山大明神。
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歯痛の神さまとして信仰されてきたという。白山権現は元々歯とは関係ないが、歯苦散の語呂合わせで拝まれるようになったか。縄文人も、虫歯が痛んだらカミや精霊に祈っただろう。
 岐阜県飛騨市の家ノ下遺跡から出土した、縄文時代晩期、約二千五百年前の配石墓。
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(飛騨みやがわ考古民俗館、2023/11/5)
敷いた川原石の上に遺体が安置されていたらしい。この上に埋葬された人は、インドのお釈迦さまや中国の孔子さんと同時代の人だったか。岐阜市の芥見町屋遺跡。
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(2023/11/25)
今までに弥生時代の竪穴建物跡や古代~中世の遺構などが見つかっていたが、新たに縄文時代晩期の土器棺が出土した。見つかった深鉢は横倒しの状態で埋められており、深鉢を垂直か逆さまに埋める埋甕ではないようだが、死産児や乳幼児を納めたものらしい。縄文時代の集落跡もどこかに埋まっているのだろうか。 
 仏教や神道が広まるはるか昔から、この列島で生き死にしてきた我らの先人たち。小竹貝塚等の人骨のゲノム(遺伝情報)解析によれば、現代日本人は縄文人に弥生時代と古墳時代の渡来人が混血して成立したらしい。身体だけでなく、我々の精神の基盤も縄文人に由来するのだろう。混迷を深める二十一世紀前半の、この地球。西も東も右も左も表裏あり、誰を、何を信用してよいのかも分からない。右往左往せず、我らの祖先である縄文人に、今を上回る温暖化を乗り越えた偉大なご先祖たちに学び、子孫として彼らを讃える時なのかもしれない。彼らは立派なお墓は作らなかった。だが、心を込めて亡き人を偲び、土に返した。土器捨て場や貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、使い終わったモノを送る場だった。彼らは毎年土器を作り替えていたらしい。彼らは気候も海水面も変動することを知っていただろう、永代供養なんてあり得ないことも分かっていたろう。環境の変化に合わせて柔軟に適応していったからこそ、彼らは一万年以上も存続できたのではないか。
 飛ノ台貝塚の下に一組の男女が合葬された後、その上に貝殻が棄てられたのと同様、縄文~弥生~古代~中世~近世の遺跡や遺骸が下にあることに気づくことなく、我々は普段生活している。やがて我々の時代の遺物や亡骸の上に新たな層が積み重なり、その上を我らの遠い子孫たちが闊歩するだろう、我らのことなど気づかずに。永遠の墓なんてあり得ない。もしそんなものが残ったら、地球上はすべて墓場になってしまうだろう。

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝