越中魚津・宇奈月縄文巡礼~虹と精霊
- 2023/11/16
- 22:29
令和五年(2023)十一月十四日午後 越中・魚津港の北より西に望んだ能登半島
海から内陸(東)へと車を走らせ 片貝川を渡り天神山のトンネルをくぐる
天神山遺跡出土の土器は加賀の上山田貝塚と並び 縄文時代中期中葉の北陸の標識土器
(天神山より望む片貝川、魚津市街と富山湾、2023/10/24)
トンネルを出て右へ車を進め 小川山千光寺観音堂に参拝
ご本尊の千手観音さまは寺伝によれば 魚津の北の経田浦(きょうでんうら)で大同元年(806)に
網にかかって祀られたという 観音堂と並んで白山社が鎮座している高台に
南無白山妙理大権現 この辺りの山間には白山社が多く勧請されている
観音堂と白山社から宇奈月方面へ車を走らせ 運動公園から丘へと上って下る
初めての道で何処を走ってるのか分からない 栃屋金毘羅社という標識が現われた
山道があり展望台もあるようなので 車を停めちょっくら登ることにした
天保十二年(1841)完成の龍ノ口用水沿いに登り 山上の金毘羅社に参詣
社殿の上に展望台があり 登って驚いた見事な景色に
眼下に広がる黒部川扇状地 東の初雪山の白い稜線が
黒菱山を経て海沿いの城山までつながっている 山の手前にはあるはずだ縄文時代中期の不動堂遺跡が
(不動堂遺跡、2023/11/6)
そして北側の海から昇る 神秘的な虹色の柱
虹のようだが水平線から 北の彼方へと渡る橋のようだ
海の彼方の虹の橋 その奥にあるのは天国だろうか
掌を合わせすべての善き美しきものを 創られしお方を讃えた
車道に戻ると龍ノ口用水の 江戸時代に使われていた石管が保管されていた
加賀藩の椎名道三(しいなどうさん)はこの石管で サイフォンを作って水を通した
車で麓に降ると浦山寺蔵遺跡(うらやまてらぞういせき)に出た 縄文時代中期前葉~後期前葉の集落跡だ
縄文時代中期中葉の天神山式土器や 磨性石斧(ませいせきふ)の未成品が大量に出土した
越中東端の境A遺跡と同様 蛇紋岩製の磨性石斧を生産していたよう
(境A遺跡、2023/11/6)
浦山寺蔵遺跡で出土した土器には 爬虫類のような紋様の台付深鉢がある
(「縄文時代中期の石斧つくりのムラ 浦山寺蔵遺跡【土器編1】」富山県埋蔵文化財センター発行)
実物は見ていないが写真を見るかぎり 土器の四面にハート型の顔をした
蛇のような生きものが表現されている 顔の横にある三本に分かれたものは
とぐろを巻いた体の尾の先端か 似た生きものの台付鉢が神通川上流の飛騨・宮川の縄文時代中期集落
堂ノ前遺跡から出土している 四匹ともハート型の顔で尾の先は三~四本に分かれている
(飛騨みやがわ考古民俗館、2023/11/5)
また越中・庄川扇状地の扇頂部にある 縄文時代中期前葉~後葉の松原遺跡からも出土している
(松原遺跡、2023/9/15)
(「砺波平野の縄文時代中期のムラ 松原遺跡」富山県埋蔵文化財センター発行)
写真で見るかぎり二匹のようだが 尾の先端はやはり三本に分かれている
これらの生きものは蛇のようにも見えるが 野人が思うにトカゲやカナヘビではないか?
(ヒガシニホントカゲ、美濃・郡上にて、2023/6/27)
(ニホンカナヘビ、美濃・山県にて、2023/6/14)
トカゲやカナヘビやヤモリは尾を切って逃げるが 尾はまた生えてくる切れた処から
時には切れた処から二本やごく稀に三本の 尾が生え二叉尾(にさび)や三叉尾と呼ばれる
一度切れた尾が再生することに 縄文人たちは不死身な力を感じたのではないか
そして再生し二本や三本になった尾に 神秘的な霊力を拝んだのではないか?
これらの土器の生きものはトカゲやカナヘビの精霊かも その霊力を得るためこれらの台付鉢で煮て食べることもあったのでは?
浦山寺蔵遺跡からも北の海に 虹色の橋が見えていた
まるで遺跡の畦道から天国へと まっすぐ続く滑走路のようだ
浦山寺蔵遺跡からうなづき友学館へ行き見学後 愛本橋を渡って着いた縄文時代中期~晩期の風野遺跡
遺跡から黒部川の対岸に友学館や浦山方面を望んだ 奥には立山へと続く雪化粧の山並
さらに北へ下り縄文時代中期~後期の愛本新遺跡(あいもとしんいせき)で望んだ夕日 友学館で見たヤモリのような飾り(把手?)付の土器が出土した処
(愛本新遺跡にある案内板)
この野人めが思うにヤモリの尾はこんなには長くない けっこうずんぐりしているヤモリもトカゲも
(ニホンヤモリ、美濃・山県にて、2023/7/20)
尾が全長の半分よりも長いのはカナヘビだ この土器の生きものはカナヘビかも?
(ニホンカナヘビ、越後・米山登拝時、2023/4/25)
越中・氷見の朝日貝塚から出土した 縄文時代前期末の土器の爬虫類のような把手も
カナヘビをこよなく愛するこの野人めには あのカサカサとした肌触りの見事な表現としか見えない
(氷見市立博物館、2023/10/29)
縄文時代中期約五千年前頃の越中一帯の縄文人たちは すらりとした長い尾が切れても生え変わり
時には二叉尾や三叉尾にもなる この愛らしい蛇という名の生きものをモデルに
ハート頭に胴(骨?)と長い尾と三叉尾(四叉尾)をもつ 精霊を感得して祀っていたのかもしれない
(百均の粘土製の拙作、縄文人の土器はもっともっと洗練された形をしている)
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