白水滝より白山登拝1~御厨池
- 2023/10/08
- 14:21
令和五年(2023)十月七日 飛騨白川の白水滝(しらみずのたき)より白山登拝
朝六時十五分に滝を拝むと 背後の山上は早くも白い
ここ十数年の白山の冠雪は 十月後半~十一月始めであり
十月前半に冠雪したのは平成二十七年(2015)の 十月十四日以来八年ぶり
白水滝が流れ落ちている岩壁は 紀元前二百年頃噴火した時の溶岩だ(「日本活火山総覧(第4版)」)
山上の火口から流れ出た溶岩は谷をせき止め 山上の火口は溶岩ドームとなり剣ヶ峰ができた
そして一時的な天然ダムから溢れた水がこの滝を作った 今の白水湖は昭和三十八年(1963)にできた人工ダム湖
大白川登山口にはたくさんの車 野人は独り歩く白水滝から静かな道を
アクアブルーの美しい小白水谷拝み 大白水谷を経て大白川登山口へ
登山届をポストに入れ登っていった まずまずの天気だが三方崩山・奥三方岳は雲隠れ
大倉山辺りから山道の脇に雪 だが山上は晴れているよう思いの外に
雪に覆われた道を登ってゆけば 八時半頃雪化粧の御前峰がお姿現わした
野人は独り山道離れて 凍ったハイマツに囲まれた神秘の池へ
眼下に見下ろす白水ダム湖 雲間に見え隠れする大日ヶ岳
池の藪の下には岩が立ち並び 岩の下には穴がある底なしの
岩と池越しに遥拝す 白山の頂・御前峰を
南無白山妙理大権現 白きお姿に戻ったお山と共に
南無白山妙理大権現 白い半月が見下ろしている上空より
人知れずひっそりと佇むこの池こそ 泰澄大師が毒龍悪鬼を籠め
浄蔵法師・日台聖人(日泰上人)・末代上人が 水を酌(く)んだと伝わる御厨池(みくりやのいけ)
石徹白に伝わる江戸時代末期の白山絵図に 山頂御前峰の「てんぽうりん岩や」の南東辺りに
「みくりやの池」が描かれている 翠ヶ池には「みどりの池こうやぢごくとも云」とあり
千蛇ヶ池には「万歳ヶ池」天池には「天いけ室」とある 「みくりやの池」は明らかにこれらとは別の池だ
石徹白に伝わる「白山名所案内」(安永七年(1777))にも 「御来屋の池(みくりやのいけ)」は「緑之池」や
「万歳が谷」「御馬屋の池(おんまやのいけ、天池)」と別に記され 「神代の田天の狭田(あまのさなだ)長田此所にあり」
「参詣の人木末に紙を付後人の道しるべとす」とある この描写はハイマツの中にひっそりと佇むこの池にこそ相応しい
十七世紀後半に白山に登拝した 越前の漢学者・野路汝謙の「白山紀行」に
転法輪の窟より「二町余谷を下りて 御厨屋(みくりや)とてすさまじき池あり
大師禅定の時九頭竜出現の所なりと云」とある 「大法師浄蔵伝」によれば天慶二年(939)に
四十九歳の浄蔵法師が白山で安居修行した際 次のような伝承を聞いたという古老に
昔神融(泰澄大師の別号)という名の苦行人がいて 景雲年中(慶雲?704~707)に始めて白山を開き
法華経の功力によって毒龍悪鬼を 閉じ籠めた御厨という名の池に
もし人がこの池に到るなら 天地震吼し四方は暗闇になると
浄蔵法師はその真偽を確かめようと 晴れた昼間に訪れた御厨池を
法師が竹筒に水を酌(く)み 護身結界して引き返そうとしたその時
凄まじい雷雨となり毒龍が現われた 法師はほうほうの体で戻ったという宿に
浄蔵法師が白山御厨池の水を汲んだことは「古事談」にも記され その後日台聖人も御厨池の水を汲んだとある
「本朝世紀」によると日泰上人が白山に登って 龍池の水を酌んだのは天喜年中(1053~58)
さらに十二世紀には富士山頂に大日寺を建てた 末代上人も白山のこの池の水を酌んでいる
「白山之記」には「御在所ノ東谷ニ宝池有リ人跡不通 唯ダ日域聖人有リテ其ノ水ヲ汲ム」(原漢文)
明応九年(1500)に白山越前馬場・平泉寺で 書写された「白山権現講式」にも
「御厨ノ池ニハ妙躰ヲ示現シテ霊光ヲ顕ス」(原漢文)とあり 行場であったようだ白山の山伏たちの
白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺(ちょうりゅうじ)の 「荘厳講執事帳」によれば万治二年(1659)六月八日
「御山御厨之池上ニ黒雲少斗(すこしばかり)出」 しばらくしておびただしく鳴ってから
その雲より三人の大入道のようなものが現れたとある 御厨池ではなく山頂部の火口の噴火であろうが
どの火口が噴火したのかはよく分からぬ 「荘厳講執事帳」には天文二十三年(1554)の噴火が
「白山御前剣山焼出、地獄五色ニ湧上ルコト一丈余ナリ」と 記されているけっこう具体的に
万治二年の記録も実見に基づくのだろう 紺屋ヶ池火口から約一・二㎞の御厨池付近からの光景?
御厨池の背後に山頂部を望めるのは 南南東からのアングルだ
大日ヶ岳辺りからの遠望かもしれぬ 大日ヶ岳には長瀧寺から尾根伝いにあった
山伏の行場「鳩居峯」の千之宿(泉之宿)があり 長瀧寺経聞坊の年代記録によれば
鳩居峯は寛永十九年(1642)に退転したものの 万治三年(1660)に再立された
(千ノ宿跡と思われる窟、2022/5/3登拝時)
鳩居入峯修行は四月八日~六月十五日までと 六月二十三日~八月十三日までの二期(「修正延年並祭礼次第」)
退転中とはいえ慶安元年(1648)には 「修正延年並祭礼次第」が書き留められており
噴火のあった万治二年六月八日 翌年の鳩居峯再立に向けて鳩居峯に入峯し
大日ヶ岳辺りにいた行者が見たのかもしれぬ 御厨池の上辺りに黒雲が湧き
爆発音が鳴り響いた後 噴煙がもくもくと立ち昇るのを
(大日ヶ岳より拝む白山、2022/5/3)
「荘厳講執事帳」によるとその後も山は鳴り響き 六月十八日~二十日まで越州一円に葦毛(灰)が降ったとのこと
この時の噴火以降現在まで 白山は噴火をしていない
だがいつ活動を始めてもおかしくはない 御厨池より御前峰を拝む北北西に
御厨池周辺の雪の上に ハクサンフウロの紅葉拝む
凍った樹々越しに別山と 大日ヶ岳や鷲ヶ岳の山並望む
(巻頭写真)
山道に戻って山頂目指し 歩いてゆくと御前峰の上を
泳いでいったイッカクのような 巨大な魚の形の雲が東へと
室堂から山頂へと登り 十時すぎ御前峰登頂
山頂部は霧で剣ヶ峰も大汝峰も見えぬ 野人は独り霧の中へと下る
急斜面を雪で滑らぬよう気をつけつつ 下って三十分ほどで着いた転法輪の窟
巨大な氷柱の下で般若心経唱え 白山三所権現王子眷属を讃えた
此処から流れる転法輪谷は 大白水谷と合流して大白川となる
窟の北側の尾根に取りつくべく 急峻な谷をトラバース
新雪で滑れば奈落の底だ 雪上に出てる岩とハイマツをホールドに
使って慎重に進んでゆくと ミヤマリンドウの花が顔を出した雪の下に
無事尾根に辿り着き振り返る 転法輪の窟と大日ヶ岳・鷲ヶ岳を
尾根から見下ろす紀元前二百年頃の 剣ヶ峰火口からの溶岩流を
尾根を越えれば御前峰の山肌越しに 北に剣ヶ峰北西に大汝峰望む
剣ヶ峰は紀元前二百年頃できた溶岩ドーム 大汝峰は十三~六万年前の古白山火山の一部
剣ヶ峰ができる以前はこの尾根から北は 馬蹄形に東に開いた大崩壊地だった
五万年前に活動を始めた新白山火山が 紀元前三千四百~二千九百年頃に大崩壊した(「日本活火山総覧(第4版)」)
そしてその崩壊地の中に紀元前二百年頃 マグマ噴火で剣ヶ峰溶岩ドームができたのだ
北風の中十一時半すぎに剣ヶ峰登頂 木の標柱には氷の旗ができていた
(続く)
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