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飛騨白川~越中五箇山巡拝

飛騨白川より越中五箇山まで 車で巡拝してきた庄川下って
令和五年(2023)九月九日 御母衣(みぼろ)湖畔の荘川桜へ
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昭和三十五年(1960)十二月 ダム湖に沈む直前の荘川村中野の
照蓮寺と光輪寺にあった アズマヒガンザクラが高台の
此処に移植され無事に活着した 照蓮寺は長享二年(1488)に明心上人が
下白川(しもしらかわ)にあった浄土真宗の 道場を移し再興した寺(「飛騨史畧」)
明心上人の祖先の嘉念坊善俊上人は 親鸞聖人の弟子であり
師の教えを弘めるため建長五年(1253) 道場を建てた下白川の鳩谷(はとがや)に(「斐太後風土記」)
道場は弘安年中(1278~88)北隣の飯島に移ったが 文明七年(1475)第九世明教上人の時
白川郷を治めていた内ヶ島氏に攻められ 道場は焼かれ明教上人は戦死
当時二歳だった息子の明心上人は 乳母に抱かれて越前に亡命した
だが十三年後に蓮如上人・実如上人父子の仲裁により 内ヶ島氏と和解し照蓮寺を建てたのだ
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(照蓮寺桜と善俊上人像)

平安時代後期より飛騨には天台宗の 白山美濃馬場長瀧寺(ちょうりゅうじ)の荘園が広がっていた
だが戦国時代照蓮寺を拠点に 飛騨は浄土真宗の教えに一気に染まっていった
天正十四年(1586)飛騨国主となった金森長近は 長瀧寺の荘園・河上庄三千石を没収したが
天正十六年(1588)に中野の照蓮寺を 高山城下に移し寺領も保護した
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(現・高山別院、2022/9/6参拝時)
掛所として残った中野の照蓮寺は 昭和三十五年(1960)御母衣ダム建設のため
高山城二之丸に移築され 今も残る五百年以上前のままの姿で
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(2022/9/6参拝時)
荘川桜より下流へ車を走らせ 尾上郷川に架かる尾神橋を渡った
大野郡白川郷は明治八年(1875)までは 此処から上流が上白川(現・荘川町)
下流が下白川(現・白川村)と呼ばれ 庄川も白川と呼ばれていた飛騨では
御母衣の合掌造りの家屋に着き 向かいの白山神社の石段を登っていった
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奈良時代に越前より白山を開かれた泰澄大師が 衣を置き忘れたという当地を訪れた際に
後で大師の母が衣を取りにきた 高台に建つ社の脇には立石
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此処から東に山を越えた小鳥郷(おどりごう)の 池本にある椹(サワラ)の樹に
御母衣白山神社の神さまが遷り来て 白山社が建てられたという池本に
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(2023/8/2参拝時)
長瀧寺の勢力が及ぶ前に白山東麓の この地にも白山信仰の拠点があったのか
庄川左岸を平瀬から北へと下り 帰雲城跡より見上ぐ帰雲山(かえりくもやま)
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戦国時代に白川郷を治めていた 内ヶ島氏の本拠地だ
飛騨は天正十一年(1583)三木自綱(みつきよりつな)が 白川郷以外を平定したが
天正十三年(1585)八月豊臣秀吉の命により 金森長近・可重(ありしげ)父子が飛騨に侵攻した
三木氏は敗れ自綱は追放 佐々成政の命で越中に出陣していた
内ヶ島氏理(うじまさ)も帰国すると ただちに降伏した金森長近に
豊臣秀吉より氏理は所領を安堵され 帰雲城に戻ったがその年の十一月末に
大地震が発生し対岸の帰雲山が 大崩壊し城下町は埋没
内ヶ島氏は滅びてしまった 帰雲城跡にて唱える念仏

庄川左岸から野谷荘司山東麓の 馬狩谷へと車を走らせ
上っていった卒塔婆峠 峠に咲くツリフネソウの花を愛で
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降車し尾根を北へと登ってゆけば カモシカさんがお出迎え
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藪中の小さな石のお堂 峠の北東麓にあった飯島の道場へ
文明七年(1475)内ヶ島氏が攻め込み 明教上人は卒塔婆峠に隠れたが
見つかって此処で自害したという 乳母に抱かれて越前に落ちのびた
二歳の息子・亀寿丸(後の明心上人)は十三年後 蓮如上人・実如上人父子の仲裁により
内ヶ島氏と和睦して 照蓮寺を建てた上白川の中野に
卒塔婆峠は寛治八年(1094)に 目代(さかん)・藤原依堪(よりひで)が白山美濃馬場・長瀧寺に
寄進した広大な土地の西限だ 峠で父・明教上人が非業の死を遂げた後(のち)
息子の明心上人は峠を越えて白川に戻り 天台宗長瀧寺の末寺を転宗させていった続々と
カモシカに守られつつ眠る明教上人に 南無阿弥陀仏称える念仏を
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峠を北東へ下り飯島の道の駅に 駐車し南へと足を進める
明教上人がおられた道場(正蓮寺)跡へ 今は敬勝寺となっている
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南西に見上げる卒塔婆峠 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
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さらに南の鳩谷(はとがや)へ歩を進めて 建長五年(1253)頃親鸞聖人の弟子である
嘉念坊善俊上人が建てた道場跡へ 飯島正蓮寺・中野照蓮寺・高山照蓮寺の前身だ
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戸島橋より望む庄川上流 庄川を遡り弘まっていった真宗の教えは
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六日後の九月十五日 再び訪れた白川郷に
平瀬から庄川右岸へ渡り 稗田(ひえだ)の白山神社に参拝
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神社の北にあるお寺の下に 大きな栃の樹が立っている
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文明七年(1475)蓮如上人が この樹の根元で休んだと伝わる
内ヶ島氏による法難の直前か 法難を生きのびた実は各地に根付いて
見事に弘まっていったのだ 庄川を遡り飛騨から美濃へ
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稗田から下流の木谷(きだに)の白山神社へ 木谷は江戸時代末の巨漢力士
白真弓肥太右衛門の故郷だ 嘉永七年(1854)相州浦賀に
ペリー率いる艦隊が再来航した際 幕府は五斗俵を運ばせた力士十人に
白真弓は背に四俵を負い 胸に二俵懸け両手に各一俵持ち
アメリカ人を驚かせたという(「飛騨史畧」) 身長六尺八寸五分(207.5cm)体重四十貫目余(150kg以上)
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木谷には合掌造りの家屋が残り 縄文~弥生時代の遺跡から出土しているヒスイの勾玉も
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木谷より西に見上げる三方崩山(さんぽうくずれやま) 木谷はのどかな河岸段丘上の高地
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庄川左岸に渡り国道を北へ下ってゆく 帰雲城跡や鳩谷・飯島を通り
飛騨白川から越中五箇山に入って 上平(かみたいら)・赤尾の行徳寺に参詣した
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蓮如上人の弟子で赤尾出身の 赤尾道宗(あかおのどうしゅう)が永正十年(1513)開いた寺
鎌倉時代に善俊上人が白川に伝えた 教えは五箇山には伝わらなかったようだ
だが明心上人が中野に照蓮寺を建てた頃 道宗は毎年山科本願寺に上り蓮如上人の教えを受けていた

赤尾から庄川沿いに車を下らせ 参拝した上梨の白山宮
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白山を開いた泰澄大師が人形山に創建 後に麓に遷座したという
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(人形山の宮屋敷、2011/9/24登拝時)
赤尾にも上梨にも合掌造りの 大きな家屋が残されている
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上梨から下梨へ下って 上松尾へと車で上ってゆく
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東に東中江辺りを見下ろして さらに山の北側へ回り込めば
到着した聳え立つ天柱石 金剛堂山を開いた役行者(えんのぎょうじゃ)が
この立石の上に坐していたそうな おそらく太古から祀られていた磐だろう
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上松尾から相倉(あいのくら)へと下り 合掌造りの集落を散策
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原始合掌造りの建物や相念寺など 昔のままの集落と生活
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地主神社には皇御祖(すめみおや)である 伊弉諾尊(イザナギノミコト)が祀られている
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相倉から下梨へ下り庄川を渡って 籠渡白山神社に参詣
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昔は庄川を橋ではなしに 綱を対岸まで張り籠で渡っていたらしい

籠渡白山神社より北に見上げた上松尾 神社下の河岸段丘の崖を斜めに
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下ってゆく歩道があり降りてみた 途中で出会ったミヤマカラスアゲハ
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ヒスイ色に煌めく美しい羽を 閉じては開いていたゆったり
坂を下ると車で通った平橋に出た 庄川の対岸は下梨こもむら遺跡辺り
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縄文時代のヒスイ大珠(たいしゅ)が出土した処 籠渡白山神社へ上り直し東中江の
水波廼女(みずはのめ)神社と高台の神明神社に参拝 ヒスイ大珠は出土しているこの辺りからも
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五箇山には各地区に念仏道場があり 浄土真宗の信仰が根付いているようだ
東中江から下り大渡橋を渡り 渡原の大きな栃の樹に参詣した
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この樹が何代目かは分からぬが 太古から人々に恵みを与えてきたことだろう
大自然の恵みに掌を合わす 大地の女神に掌を合わす
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白山から山間を削りつつ流れてきた庄川は やがて扇状地に出て流れゆく砺波平野を
縄文・弥生の昔から庄川は 人々に与えてきた畏れと恵みを
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奈良時代八世紀前半に泰澄大師は 白山に顕世(うつしよ)と幽世(かくりよ)の神々を祀った
また神と仏を融和させ 本地として観音・弥陀を祀ったが
その源流は崇神天皇七年(四世紀初頭) 白山北麓・鶴来に祀られた白山比咩神(しらやまひめのかみ)と
景行天皇十二年(四世紀中葉)白山南麓 石徹白に吉備武彦命(きびのたけひこのみこと)が祀った伊弉諾尊(イザナギノミコト)
泰澄大師は南北の信仰を 陰陽・幽顕の神々を融合し
白山三所権現の本地垂迹を大成した 観音・弥陀の信仰は真宗を受け容れやすくもした後に
だが古墳時代よりずっと前から白山はあった 人々も住んでいた白山麓に
インドの仏や大和王権の神 それらよりも前の原初的なカミに
野人はますますあこがれる 自分が心からしっくりと受け容れられる
信仰を求めてこの野人めの 白山順禮の旅はさらに続く
今回の巡礼で垣間見えてきた 太古の白山の秘密は
やがて明かされることになろう 次なる白山登拝から下山したなら

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝