吉備放浪4 鬼ノ城~古郡神社
- 2023/09/09
- 06:49
(承前)
造山古墳(つくりやまこふん)から北へ足を進めると 庚申山の上の神社から鐘の音
この地域には神社に鐘楼が 普通にあって長閑(のどか)に響く音
江戸~明治時代の神仏分離までは当たり前だった 光景が何故残っているのか不思議だ
足守川を左岸に渡り右岸に戻り 高塚の天神宮に参詣
高速道路下の高塚遺跡からは 弥生時代後期の銅鐸が出土した
銅鐸も鐘の一種なり 仏教伝来以前から鳴らされてきた
九時半に矢喰神社に参拝 吉備中山(きびのなかやま)から吉備津彦命が射た矢
そして鬼ノ城(きのじょう)から温羅(うら)の放った矢が ぶつかって落ち岩になったという矢喰の岩
だが矢喰神社の祭神は吉備武彦命(きびのたけひこのみこと) 社の後ろより鬼ノ城を見上げた
吉備津彦命が放った二本の矢の一本が 温羅の目に刺さり流れたという血吸川
松ヶ鼻から南西へと歩み 天井川の砂川に出た
砂川左岸の田園歩き 十時半に久米大池に着いた
砂川公園よりいよいよ鬼ノ城目指し 北へと車道を登ってゆく
赤坂池にひっそりと咲く睡蓮 車道の脇を流れる渓流
十一時半すぎに新山集落に出ると 現われた大きな鬼の釜
昔此処にあった新山寺の 湯屋で使った湯釜のようだ
車道を離れ湿った山道をゆく アキノタムラソウが咲いている
ケッと鳴いてから池に飛び込む蛙 ビジターセンターより登城す鬼ノ城
麓からも見えていた大きな西門 鬼ノ城は神籠石系山城(こうごいしけいやまじろ、文献に記載のない古代山城。記載がある古代山城は朝鮮式山城)
この城を築いたのは温羅ではなく 天智天皇二年(663)の白村江での敗戦後
大陸からの侵攻に備え大和朝廷が 築いた山城の一つらしい
(太宰府・大野城の土塁、2019/12/17)
(肥前・基山の基肄城(きいじょう)の水門、2019/12/18)
東門より南東に望む吉備中山から 歩いてきた吉備路と四国の山並
十三時南門より服部駅方面を見おろした 高速道のすぐ向こうに見える丘へとこれから下る
鬼ノ城にも基肄城のような水門がある 朝鮮式山城は百年後に吉備真備(きびのまきび)も造っている(筑前の怡土城)
西門に戻ってビジターセンターで一休み 池に飛び込んでいたのはトノサマガエル
湿地に咲くミソハギの花 車道に出て麓へと一気に降る
野人を見送るルリタテハ 美しい羽を閉じ開きながら
十四時に砂川公園に戻り 南へと歩を進めていった
鬼ノ城から見えていた高速道奥の丘 目指して丘の南に回れば
鳥居の前に一人で草を 刈っているおばあさんがいた
急峻な参道を登ってゆき 稲荷大明神にお参りした
さらに上へと登ってゆけば 丘の上に鎮座する古郡神社(ふるこおりじんじゃ)
延喜式神名帳記載の式内社で 祭神は吉備武彦命
祠の周りは蔓(つる)がはびこり からみついていた祠にも
蔓を取り払い掌を合わす 吉備武彦命に
金蔵山古墳に吉備津新宮社 矢喰神社そしてこの社に
あなたを偲んで巡拝してきた 白山麓石徹白に伊弉諾尊(イザナギノミコト)を祀ったあなたを
丘を下っておばあさんにご挨拶 もう九十歳で神社には上れぬけど
お稲荷さまのために月に何度か こうして麓の草を刈っているとのこと
野人が祠の蔓を取り払ったのよりも ずっと功徳のある仕事
ただ歩き祈るだけよりも 神さまのために身を尽くしてこそ
神さまのおかげも蒙(こうむ)れよう 健康も長寿も安らかな心も
心の中でおばあさんに掌を合わせ 南より古郡神社と鬼ノ城を遥拝
十五時すぎに服部駅に着き 帰路についた桃太郎電車に乗り
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