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平家平・須川院谷放浪

 今冬は、長良川中流の雪の少なさと上流の雪の多さのギャップに驚かされましたが、今日もまたそうでした。4月9日未明、石徹白から別山まで登るべく、先ず白山中宮長瀧寺に参拝。小雪が舞っていました。車で前谷から桧峠へと登ってゆくと、樹々やガードレールには新雪が積もっており、アナグマが道を横切りました。桧峠は、すでに十cm以上の積雪。山麓でこの状況では、標高二千mを超す三ノ峰や別山まで行くのは危険。二週間前は春の陽気、桧峠から大日ヶ岳を経て三ノ峰まで、残雪上をサクサク縦走したものでしたが、また冬に逆戻り。桧峠の泰澄大師も雪を被っておられました。


これも白山権現と泰澄大師の思し召し、石徹白へ下らず、桧峠で車をUターンしました。
 長瀧寺から神鳩までの尾根伝いにあった古の山伏の行場「鳩居峯十宿」のうち、五宿目の国坂宿までを毎月二回巡拝し、旧桧峠から古の白山美濃禅定道を下って長瀧寺に戻っておりますが、美濃禅定道には十八社があったと伝わり、旧桧峠から長瀧寺までには、そのうちの八社があったそうです。三ノ宿~西山~毘沙門岳と縦走しながら鳩居峯五宿巡拝後、旧桧峠から禅定道を下って床並社跡や千人塚に参拝、日が短く雪の深い積雪期以外は、長良川を渡って千城ヶ滝(駒の尾滝)~御坊主ヶ洞に参拝して長瀧寺へ下っているのですが、ふと、鳩居峯五宿だけでなく禅定道八社のほとんども巡拝していることに気づかされました。かつて大杉があったという「大杉」は、千人塚の近くです。唯一参拝していないのは、「加羅瀬」(がらん神)。今日は、千城ヶ滝~がらん神~御坊主ヶ洞への巡拝ルートを探索することにしました。(尚、古の長瀧寺の鳩居峯行者がどのような修行をしていたのかは、古の鳩居峯の先達が途絶えてしまった今となっては、知る由もありません。鳩居十宿の絵図や本地仏の記録は残っているものの、肝心なことはすべて口伝であったはずだからです。私は、藪に埋もれたこれらの宿の本地仏・白山の諸仏諸尊を、せめて礼拝読経して供養したい、と思い、毎月巡拝をさせていただいておる者です。)
 長良川を渡り、がらん神のお堂に参拝。


桜の花と、雪。お堂の前からは、長良川の向こうに長瀧寺から一ノ宿・二ノ宿・三ノ宿と続く鳩居峯を遥拝。


がらん神の本地仏は分からないようですが、長瀧寺の守護神でありましょう。(2018.4.21付記、長瀧寺の「寺院所有物明細帳」(明治38年(1905))には、虚空蔵菩薩立像の由緒として「元伽藍堂ノ本尊依テ一名伽藍神ト称シ泰澄大師作也」とあります。)般若心経と白山権現ご宝号をお唱えしました。車の腹を擦りながら平家平へ上がり、登山靴履いて出発。鳩居峯巡拝の時は、今の時期は作務衣に長靴姿ですが、今日は泊まりで白山登拝のつもりだった為、登山スタイル。かつてスキー場があったという平家平には、藪中にリフトの跡があります。


尾根を南西に登ってゆくと小ピークに出ました。


昔、この辺りに平家の砦があったそうです。毎月の巡拝時にお参りしている前谷の千人塚も、この辺りでの源平合戦で亡くなった、平家方の千人の「耳塚」との伝承があります(「北濃の史跡と傳承)」。小ピークから尾根を東へ進むと、毎月の巡拝時に千城ヶ滝から御坊主ヶ洞へ向かう途中の、鉄塔に出ました。いつも、大日ヶ岳と仏岩を遥拝する処です。今日は雪で何も見えません。小ピークに戻り、尾根を西へ降下。雪で展望ありませんが、下から長良川の響きが聞こえるので方角は分かります。急峻で岩場がある尾根を下ると、巨石のある平坦な処に出、そのすぐ下が「がらん神」でした。



雪は、本降りとなってきました。
 平家平まで歩いて戻ると、一面の雪景色。


此処から千城ヶ滝まで、林道(悪路です)を迂回すれば行けますが、北へ谷越え山越えする方が距離は近いはず。谷へ下り、一つ目の山に取り付きました・・・が、急斜面の上、新雪で足が滑ります。たちまち全身泥んこに。一山越えてまた谷へ下り、二つ目の山越え。こちらも急峻です。急斜面を滑りつつ下ると、千城ヶ滝に出ました。


滝の上から、不動明王を拝みました。


戻りは山越えでなく、林道へ。距離はあっても、急斜面を迂回するこのルートの方が早いです。急峻な山中に開けた平家平は、平家の落人が隠れ棲むにはうってつけの場所であったことでしょう。
 平家平から車で長滝へ下り、後谷の林道へ。雪深く、途中で車が進めなくなりました。まだ冬タイヤ履いてて正解でした。長靴履いて谷沿いに上へ。昨年(2017年)12月20日の鳩居峯巡拝時は、深い雪に体が半分埋まってしまう処もあり、二ノ宿まで巡拝して1116mピークの次のピークから北東へ、尾根をラッセルしつつ長瀧寺へと下ったのですが、その時通った辺りは、かつての長瀧寺六谷の一つ・須川院谷(須河院谷、すごういんだに)であり、長瀧寺の古図には地蔵堂が描かれています。その際、尾根から雪の作業道に出、道が大きくカーブする処から東に御坊主ヶ洞の見附ノ大岩が遥拝できました。御坊主ヶ洞で約五百年前(大永・享禄の頃、1521~31)に焼身供養を行じられた敬愚比丘は、「洲河院谷、地蔵山房」で修行されたようです(「高鷲村史」)。地蔵堂は現存しているらしく、敬愚比丘を偲んで参拝しようと思ったのでした。
 谷は雪景色。


道の雪は、深い処で三十cmくらい。12月に御坊主ヶ洞を拝んだ地点に着き、周囲を徘徊しましたが、それらしきものは見当たらず。


来た道を戻って林道を下っていると、渡った橋に「地蔵山橋」と書いてありました。この周辺に違いありません。


山中を上り下りしつつ徘徊していると、下方にお堂が見えました!


地蔵堂です。雪上に投地礼し、般若心経と地蔵菩薩ご真言、敬愚比丘ご宝号をお唱えしました。


須川院谷は、御坊主ヶ洞・見附ノ大岩の真西に当たります。


(見附ノ大岩、正月参拝時)
「長瀧真鑑正編」に、天長5年(828)、長瀧寺は法相宗から天台宗となり、六谷(葦原院谷・本院谷・中院谷・上院谷・須川院谷・蓮原院谷)六院(開厳院・仏洞院・普明院・捕陀洛院・十禅院・浄土院)に区画して神社仏閣三十余宇・衆徒三百六十坊を置いたことが記されています。
 地蔵堂から谷沿いに下ると、ひな壇状の造成地の跡が現われました。


かつての須川院谷六十坊の跡でしょう。実際、六十坊くらいはありそうです。


雪中、石上に暫し正身端坐。敬愚比丘が焼身供養をされたのは6月1日であったそうです(「長瀧寺真鑑正編」)。6月1日は、長瀧寺では朝戸開、即ち「石徹白より御山奥の院迄の御戸を開」ける日でした(「修正延年並祭礼次第」)。この日に御坊主ヶ洞を登り、見附ノ大岩の下で西面して焼身供養を行じられた、敬愚比丘。それは、戸が開けられた白山の諸仏諸尊を、身を以て供養する為であったのではないでしょうか。「法華経」に説かれる、一切衆生喜見菩薩(薬王菩薩の前世)のように。

「香油を身に塗り、日月浄明徳仏の前に於て、天の寶衣を以て自ら身に纏ひ已って、諸の香油を灑(そそ)ぎ、神通力の願を以て自ら身を燃して、光明遍く八十億恒河沙の世界を照す。」(「法華経」薬王菩薩本事品)

一切衆生喜見菩薩が「現一切色身三昧」を得てから焼身供養をされた如く、本当の自由を得た者だけができる、「真法供養」。敬愚比丘の火定の焔に照らされつつ、身を以て白山の神仏の礼拝供養を続けてまいりたく思います。
 長良川の河畔は、桜が見頃。


対岸にある岩の上に、治安3年(1023)、土石流で埋まった葦原院谷六十坊の一坊の仏像が流され、打ち上げられたそうです。五百年前、敬愚比丘のご遺灰も、この川を流れ下っていったことでしょう。大海へ、大地へ、大空へと。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝