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白山六所王子

 白山美濃馬場・中宮長瀧寺の「荘厳講執事帳」正保2年(1645)6月の記録に、一山の衆徒が残らず長瀧寺で七日間の護摩供を行じた後、山に登って「王子」にて一日一夜ずつ勤行したことが記されています。これは当時、長瀧寺が浜松のニ諦坊に対して、三河・遠江・駿河での白山牛王札配札の権益侵害につき江戸で訴訟を起こし、その祈祷の為でありました。結局、長瀧寺は三河・遠江・駿河での権益を失って衰退してゆくことになりますが、山上の「王子」とは何でしょう?慶安元年(1648)の「修正延年並祭礼次第」にも、
「六月朔日朝戸開、是は石徹白より御山奥の院迄の御戸を開也、王子々室々にて礼を打也」
とあります。長瀧寺の衆徒・山伏たちは、毎年6月1日に石徹白から白山の奥の院、即ち大汝峰までの「戸開け」をし、王子や室を礼拝していたのでした。
 白山には、泰澄大師が感得された三所権現が祀られています。

御前峰に白山妙理大権現(本地・十一面観音菩薩)
別山に別山大行事権現(本地・聖観音菩薩)
大汝峰に越南知(大己貴)権現(本地・阿弥陀如来)

京都大原の勝林院に伝わる、白山越前馬場・平泉寺の「白山権現講式」の写し(享禄3年(1530))や、長瀧寺の「泰澄講法則」(寛文11(1671))を読むと、三所権現に続いて「六所王子」を讚じています。白山の六所王子とは、

佐羅王子(さらのおうじ)本地・毘沙門天王
三宮王子(さんのみやおうじ)本地・如意輪観音菩薩
加宝王子(かほうのおうじ)本地・虚空蔵菩薩
禅師王子(ぜんじおうじ)本地・地蔵菩薩
金劔王子(かねつるぎのおうじ)本地・不動明王
児宮王子(ちごのみやのおうじ)本地・釈尊

「越前国名蹟考」に引用されている「白山紀行」(17世紀後半)に、美濃禅定道の「竜が馬場の王子」(南竜ヶ馬場)と「水飲王子」(水呑権現)が「長瀧寺の行者共山上行法の六所の王子の其一つ」と記されています。水呑王子はお釈迦さまの誕生仏が祀られていた処で、児宮王子に当たります。


(2016.11登拝時)
竜が馬場王子は、倶利伽羅不動明王を本地とする金劔王子でしょうか。江戸時代の記録によれば、南竜ヶ馬場の辺りには馬頭観音さまが祀られていたようです。別山平にあった加宝王子も、美濃禅定道の山上六所王子の一つでしょう。今や、美濃禅定道にこれらの「王子」は一つも残っておりませんが、古の行者たちは、白山に三所権現と六所王子、一万の眷属、十万の金剛童子、五万八千の采女を拝みつつ登拝していたのでありました。
 白山の「六所王子」は、越前禅定道や加賀禅定道の山上にも祀られていたことでしょう。加賀馬場には、笥笠中宮の先に加宝宮(本地・虚空蔵菩薩)があり、檜新宮には禅師権現(本地・地蔵菩薩)が祀られていました。


(檜新宮、2016.6)
越前馬場・平泉寺の三宮から禅定道を登ると劔宮があり、釈迦ノ平(中ノ原)には古図に「水呑」と記されています。


(剣之宮、2017.6)
近くの稚児堂も、元は児宮王子を祀ったものかもしれません。因みに、美濃禅定道の「水呑権現」はニノ峰と三ノ峰の間にあり、越前禅定道の「水呑」がある釈迦ノ原は、越前禅定道十二宿のニ宿目です。さらに、長瀧寺から尾根伝いの山伏の行場「鳩居峯十宿」の二ノ宿も、本地仏は釈迦如来。白山六所王子の「児宮王子」は、「ニ」のつく処に祀られているようです。
 白山六所王子は、山上だけでなく山麓(山下)にも祀られており、加賀馬場の「本宮四社」の三宮と金劔宮、「中宮三社」の佐羅宮はその名の通りの王子です。


(佐羅早松神社、2017.9)
三宮は、文明12年(1480)に白山本宮が火災で焼け、長享2年(1488)に本宮が遷座して今に至っています。現在の「白山比メ神社」です。越前馬場・平泉寺境内と祭神が描かれている室町時代の「白山参詣曼荼羅図」(丸岡町・国神神社)にも三所権現と六所王子が描かれており、佐羅王子だけは「今宮王子」となっています。越前馬場の佐羅宮は、平泉寺境内の外、九頭竜川に注ぐ皿川沿いの伊波に鎮座し、「白山一の宮」と呼ばれているそうです(「広報かつやま」平成29年10月号)。
 美濃禅定道の山下の「六所王子」は、時代によって変わっているようです。「白山権現鏡之巻」に「注連斎・佐良・梅原・狩安・洲原・立花」とあり、現在の為真白山神社・勝更白山神社・梅原白山神社・苅安白山神社・洲原神社・立花神社と思われますが、佐良王子(勝更白山神社)と、「白山十禅師大権現」と称していた洲原神社以外は、どの王子を祀ったものかよくわかりません。苅安白山神社の縁起には、麓の六所神社として「鷲見奥森神社・中宮長滝神社・剱邑金剱神社・梅原神社・苅安神社・洲原神社」が挙げられています。「越白山大社小社尊号鎮所写」(上村弥江家文書、寛保3年(1743))や「白山名所案内」(石徹白忠家文書、安永6年(1777))には、六所王子として

中居大権現(祭神・天太玉命)
劔之宮(金剣宮)(彦火々出見尊)
佐良宮(天照皇太神)
瓢ヶ嶽(倉稲魂命(ウカノミタマノミコト))
十禅師(彦火瓊々杵尊)
児権現(児之権現)(ウガヤ葺不合尊)

が挙げられ、鎮座地も記されています。その範囲は、石徹白から尾張に至る広大な地域です。
 「中居大権現」とは、石徹白の中居神社のことです。


(2018.3登拝時)
明治の神仏分離までは、正殿に本地・十一面観音さまが祀られ、大宮殿には奥州平泉の藤原秀衡が寄進した虚空蔵菩薩が祀られていました。「六所王子之一社」としては、祭神が天太玉命となっていることから、加宝王子に該当します。加賀馬場の加宝宮の祭神も天太玉命です。
「劔之宮(金剣宮) 六所王子之一社美濃国郡上郡劔村ニ鎮座」


(2013.6参拝時)
大和町の金劔神社、金劔王子です。
「佐良之宮 同国同郡合佐良村ニ鎮座」


(2012.12参拝時)
八幡町勝更の白山神社。祭神が「天照皇太神」となっていますが、現在の祭神はウガヤ葺不合尊です。白山六所王子の「佐羅王子」の本地仏は毘沙門天となっていますが、加賀の中宮三社の一つ・佐羅宮の本地仏は不動明王(「白山之記」)。なぜ毘沙門天となり、さらに天照皇太神となっているのか不明ですが、「白山之記」によれば、加賀の佐羅大明神宮の小社として文殊菩薩・普賢菩薩を本地とする早松・並松や、米持金剛童子が祀られていました。「米持金剛童子」とは熊野十二所権現の一つで、本地は毘沙門天。白山六所王子中、「金劔王子」の本地が倶利伽羅不動明王であるので、佐羅王子は毘沙門天王としたのでしょうか。また、合佐良の「佐良之宮」の本地が天照皇太神とされているのは、天照皇太神の下生の姿とされる雨宝童子のお姿が、毘沙門天王に似通っているからでしょうか?(実際に、円空上人作の雨宝童子が毘沙門天として祀られている例もあります)
 「瓢ヶ嶽」については後述します。
「十禅師 同国同郡洲原村ニ鎮座」
洲原神社のことですが、洲原神社の少し南に泰澄大師作と伝わる地蔵菩薩が祀られています。


(2015.6参拝時)
お堂の周囲には役行者の石像などもあります。おそらく、このお地蔵さまが六所王子の禅師王子でありましょう。
「児権現 尾張国丹羽郡大山村ニ鎮座」
小牧市の大山廃寺(正福寺)のすぐ下にある、児神社です。


(2017.4参拝時)
大山峰正福寺は伝教大師(最澄上人)開山と伝わる大寺院でしたが、十二世紀に比叡山と法論となり、僧兵に焼き払われたと伝わります。その際に亡くなった二人の稚児を祀る為、児権現社が建てられたそうです。正福寺の裏山(本堂ヶ峰)から尾根伝いに西へ進めば、尾張白山。


(2017.4)
此処から十キロ南には、鳥居松。「白山名所案内」に、
「鳥居松 天嶺之三山初入之門也」
「白山一之鳥居と号す。上古者鳥居は今松ニ代ル尾張国春日井郡勝川之辺」。
昨年(2017年)4月に鳥居松から児神社・大山廃寺を経て尾張白山まで歩きました(2017.4.12 「鳥居松~大山廃寺~尾張白山放浪」参照)。樋口好古の「尾張徇行記」によれば、正福寺は七百年以前に廃寺となり、弥勒堂と児権現社のみ残ったこと、百七十年ほど前から修験者が支配していることが記されています。この「百七十年前」が、尾張徇行記成立の文政5年(1822)頃からだとすると、ちょうど十七世紀中頃、長瀧寺が浜松ニ諦坊を訴え、敗訴して三河遠江駿河での権益を失った頃に重なります。三河以遠の檀那場が侵食された為、長瀧寺の山伏たちは尾張の児権現を白山六所王子一つに取り込み、春日井の鳥居松を白山美濃禅定道の「初入之門」として足場を固め直したのでしょうか。
 「瓢ヶ嶽 美濃国郡上郡粥川村鎮座 昔此所に化鳥あり、瓢に化して湖水に遊び・・・(中略)・・・暁光公院宣を蒙り討し給ふ、夫より麓に新宮本宮西高賀山蓮華峰寺を新に建立したまひ、国家の太平を祈らしむ」(「白山名所案内」)
すでに他の五所の王子は紹介しました。残るは「三宮王子」のはずですが、祭神が倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)となっています。倉稲魂命とは、稲荷神のことです。瓢ヶ岳を含む高賀山は、天暦年中(947~57)に藤原高光が虚空蔵菩薩のご加護で妖魔を退治し、山麓に高賀六社を建立し虚空蔵菩薩を祀って以降、虚空蔵菩薩信仰が盛んになりました。


(瓢ヶ岳と白山、2014.2登拝時)
が、白山六所王子としては、虚空蔵菩薩を本地とする加宝王子(天太玉命)ではなく、倉稲魂命が祭神となっています。高賀六社のうち、粥川に鎮座するのは星宮神社。稲荷神即ち倉稲魂命の本地は、白山の三宮王子と同じく如意輪観音さまであるようですが、星宮神社や粥川谷には、特にお稲荷さんを祀った所も存在しないようです・・・。
 「白山六所王子」の一つ、「瓢ヶ嶽」王子の探索は、次回に続きます。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝