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米山登拝・上~蝶と海と雪と泰澄

令和五年(2023)四月二十五日 越後・柏崎の谷根(たんね)より
泰澄大師ゆかりの米山(よねやま)に登拝した 六拡トンネル口を朝八時半に発ち
ハナモモ越しに見上げた米山 標高千メートル弱なのに
まだまだ残雪に覆われている 越後の雪は奥美濃の比ではない
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谷根登山口に入る前 参詣した不動滝に
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奈良時代谷根に慈眼寺を開かれた 行基菩薩が不動尊を祀ったという此処に
橋を渡って山道登れば 出迎えてくれたよカナヘビが
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南からの心地よい風の中 南西へと尾根を登ってゆけば
足元をひらひらと舞うギフチョウ 二羽で縺(もつ)れつつ飛んでいるのもある
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やがて右手(北)に海が見え始め 佐渡ヶ島の残雪の山望む
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山道に咲く紫色の大きな花 開きかけているシラネアオイ
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標高六〇八メートルの前山からは 残雪も現われ始めた山道に
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前山より南南西に見上げた米山 この雪の量は標高千メート弱とは思えない
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足元に咲くショウジョウバカマ シロバナショウジョウバカマの美しい色合い
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雪に埋もれた白蛇ヶ池 南へと続く尾根を登っていった
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やがて山道に現われた 春の妖精カタクリの花
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山中にポポ ポポと朴訥に ツツドリの鳴き声響く
シベリアから渡ってきたのだろう 探せどなかなか姿は見せてくれぬ
目の前横切り隠れたカモシカ 藪中でこちらの様子を伺っている
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残雪登って赤岩山へ 西南西に米山見上ぐ
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タムシバの白い花見つつ 南西へと急峻な尾根登る
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山桜の花越しに 南東に刈羽の黒姫山望む
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急登し十一時に熊野権現着 西に米山の頂遥拝
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山頂まであと一息だ 山肌の残雪越しに見晴るかす海
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山道に咲くカタクリの花 尾根の南側にもまた北側にも
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マルバマンサクの黄色い花 マンサクの亜種だ日本海側の
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十一時半前に山頂部に出 見上げた山頂の米山薬師
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北東の一際白い山は飯豊山(いいでさん)か 北北東には寺泊の彼方に
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拝む国上山(くがみやま)・弥彦山・角田山の三山 そして北には佐渡ヶ島望む
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米山は和銅五年(712)に泰澄大師が 開山されたと伝えられている
泰澄大師が白山を開かれたという 養老元年(717)よりも五年前のこと
大師には一人の沙弥(弟子)がいて 沙弥は日本海を通る船に五輪山(ごりんざん、後の米山)から鉢(はつ)を
飛ばして米を乞うていたのだが 出羽の船頭浄定(きよさだ)は官米を
運んでいたため断った すると米俵が五輪山へと
飛んでいってしまったという 浄定が米を返してくれと頼むと
米俵は山から船へと飛んで戻ったそうな 以来五輪山は呼ばれるようになった米山と

越前側の白山開山伝承を伝える 「泰澄和尚伝記」によると
越前の越知山(おちさん)で修行していた 越大徳(こしのだいとこ、後の泰澄和尚)に大宝二年(702)のこと
能登出身の小沙弥が弟子入りし常に 雪上に臥して侍していたので呼ばれた臥行者(ふせりのぎょうじゃ)と
越知山
(越知山頂の越知神社、2019/3/6登拝時)
臥行者は日本海をゆく船に鉢飛ばし 師に奉っていた米を
和銅五年(712)出羽から官米運ぶ船が通った 以下は米山と同じ話で浄定は越大徳に弟子入りした
そして養老元年(717)越大徳は越知山から 後の白山越前禅定道を経て白山を開かれた
臥行者は心の行者で浄定行者は身の行者だ だがこの飛鉢の山が加賀側では
越前の越知山ではなく加賀・越中境の 医王山(いおうぜん)でのこととされた(「白山禅頂御本地垂迹之由来私伝」等)
そして越大徳は医王山から 後の白山加賀禅定道を経て白山を開かれたという
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(城端より望む医王山、2023/4/25早朝)
米山・越知山・医王山に和銅五年(712)のこととして 同じく伝わる泰澄の弟子の飛鉢伝承
だが「続日本紀」によれば和銅五年は 出羽国が始めて置かれた年だ
また奈良時代の官米(庸米)は 運脚(うんきゃく)が官道を陸路で運ばされていた

飛鉢はこの二十一世紀より 千三百年も早いドローンだが
出羽から庸米を船で運ぶなど 有り得ない和銅五年には
また医王山は海から遠く 飛鉢の目視飛行は難しい
越知山は海には近いものの 標高低く山越しにしか海は見えない
その点越後の米山からは 一望することができる海岸を
また佐渡ヶ島もよく見える 奈良時代でも佐渡国や隠岐国など
島の国からの庸米は 決められた駅までは船で運ばれた
佐渡の場合は松埼駅(松ヶ崎)から 越後国の伊神駅(寺泊辺り?)までが船だったか
その航路は見渡せる米山から 目視で鉢を飛ばすのに相応しい臥行者が
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「大日本国法華経験記」や「今昔物語集」には 越後国の神融法師(神融聖人、古志ノ小大徳(こしのこだいとこ))が
国上山(くがみやま)で法華経の功力により雷神を 調伏した話が記されているが
おそらく米山におられた頃のことであろう 「泰澄和尚伝記」によれば越大徳は泰澄和尚と号する前は神融禅師と号していた
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(国上寺の雷井戸、2017/10/12登拝時)

(続く)

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝