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白山美濃禅定道中居神社~別山登拝1・桃

令和五年(2023)四月十一日朝 全く雪のない桧峠を車で
越えて石徹白に入ると アナグマさんがお出迎え
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六時前に中居神社に参拝し 大宮殿の向かって右から
残雪の全く見られない 古の白山美濃禅定道を登っていった
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浄安杉から斧石(よきいし)を経て 四十分ほどで美女下社跡へ
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祭神だった磐長姫(イワナガヒメ)は記紀によれば 高天原(たかまのはら)からこの葦原中国(あしはらのなかつくに)へ
降臨された瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に 妹の木花開耶姫(コノハナノサクヤビメ)と共に嫁いだ
だが瓊瓊杵尊は美しい妹ばかりを寵愛し 姉の磐長姫を返してしまった
故に天孫の寿命は磐石さを失い 花の如くに移ろうようになったという
天照大御神の孫の瓊瓊杵尊ですら はかない色気に惑わされたという
だが美女下社に祀られていたのは 木花開耶姫ではなく
磐石不変の磐長姫だ 美醜を超えた心でお参りす

シジュウカラの声聞きながら 八丁坂を下ってゆく
犬石の先で右折して 沢渡りつつトラバース
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七時前に初河谷(はっこだに)に出ると シジュウカラが出迎えてくれる
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美濃禅定道は初河谷渡り 吉沢平から念仏坂へと続く
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念仏坂は美濃禅定道中 油坂と並ぶきつい坂だろう
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越前禅定道の妙見坂や 加賀禅定道の美女坂に匹敵す
二十分ほどで鍋倉平に出 残雪の上を歩んでいった
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やがて倉谷へと降下して 下から二つ目の堰を徒渉した
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倉谷の両岸の山はますます 崩壊がひどくなっているようだ
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五つ目の堰の手前から 藪の斜面に取り付けば
山腹に藪化した道の跡があり 藪をかき分け進んでゆくと
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現われる馬蹄形の大崩壊地 よい目印ではあろう藪中の
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崩壊地の崖沿いに進んでゆけば 勢いよく流れる沢に出る
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沢を遡上してゆくと頭上に 樹齢千八百年の大杉が聳え立つ
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樹齢○年というのはいつ誰が 推定したのか明記しないと無意味
Covid-19をいつまでたっても 新型コロナと呼ぶのと同じ
この大杉は芽を出したのだ 弥生時代末の三世紀頃
当時日本には卑弥呼がいて 中国は三国志の英傑たちの頃
白山が開山されるはるか昔から この地を見守り続ける霊樹
沢の熊清水で洗面し喉を潤し 今清水社跡に拝む地蔵菩薩
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大杉からの登山道も地肌が見えている 曇っていたが九時すぎに
ようやく雲間に顔見せた太陽 登れば残雪も増えてきた徐々に
大杉から一時間おたけり坂とかむろ杉見上ぐ おたけり坂は念仏坂より楽だ
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シジュウカラの声聞きつつ十時に神鳩(かんばた)に着き これから登ってゆく母御石山見上げた
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神鳩からは一面の雪 南東に望む芦倉山と初河山(はっこやま)
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神鳩の先で白山美濃禅定道に 長瀧寺(ちょうりゅうじ)から三ノ宿~西山~
毘沙門岳~大日ヶ岳~天狗山~ 芦倉山~丸山と続く尾根が合流
鳩居の峯と呼ばれるこの尾根は 古の山伏たちの行場といわれる
寛文八年(1668)の「長瀧寺神社仏閣記録」に 「鳩居峯八堂之本尊」(または「鳩居峯八宿之本尊」)が記されているが
神鳩は数えられていないので 神鳩に至るまでの尾根が鳩居峯か
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尾根の合流点に出ると別山が望め 遥拝すこれから登る銚子ヶ峰~三ノ峰~別山
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残雪上を這っている毛虫 母御石へと雪登る野人
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十時半に母御石より南東に 丸山~芦倉山~大日ヶ岳と続く鳩居峯拝む
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南には石徹白の奥に 毘沙門岳~西山と続く鳩居峯拝む
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母御石山から銚子ヶ峰へ 残雪の間にもう笹が出ている
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十一時前銚子ヶ峰登頂 別山・三ノ峰・南白山に掌を合わす
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石徹白に伝わる安永六年(1777)の 「白山名所案内」にこうある
「桃子之岑 是を陽の峯といふ 大御前に胎内潜り是を陰の峯といふ
父母の陽門陰門是なり 是最初登山の道者行場なり」
白山の南側が陽で北側が陰なのは 白山三所権現の祭神の配置からも分かり
越前でも美濃でも御前峰は 伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冊尊(イザナミノミコト)であり
南の別山は天照大御神の御子・天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト) 北の大汝峰は大己貴命(オホナムチノミコト)即ち大国主神
つまり北側は伊弉冊尊~素戔嗚尊(スサノヲノミコト)~大国主神と 連なる幽世(かくりよ)の大神たちの系譜
南側は伊弉諾尊~天照大御神~天忍穂耳尊~瓊瓊杵尊と 連なる顕世(うつしよ)の天孫たちの系譜
だが飛騨側では四海波岳(しかいなみだけ)と呼ばれる別山の 祭神は天忍穂耳尊ではなく伊弉諾尊であった
そして陽神(男神、をかみ)即ち伊弉諾尊を祀る 山より流れる川が男神川(尾上郷川)だった
「四海波嶽 頂上の大岩石 東面に青海波(せいがいは)の大紋あまたつけたり
故に四海波と云う 越前にて別山と唱ふ 西麓より登山す 伊弉諾尊を祭れり」(「斐太後風土記」)

「桃子之岑」の桃子は 「古事記」で伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉(よみ)の国に
亡き妻・伊邪那美命(イザナミノミコト)の後を追って行ったとき 約束を破り変わり果てた妻の姿を見てしまい
襲いかかってきた黄泉の軍勢から逃げながら 投げて撃退した桃子(桃の実)を想わせる
助かった伊邪那岐命は桃子(桃の実)に 意富加牟豆美命(オホカムヅミノミコト)の名を与えている
また桃の種子は桃仁(トウニン)という生薬で 「神農本草経」に「瘀血血閉瘕 邪気を治す
小蟲を殺す」とある
延長五年(927)の「延喜式」典薬寮 「諸国進年料新薬」に桃仁(桃人)を貢納する
四十一ヶ国が記されているが 最も多く納めるのは美濃国の六斗三升だった
初入の新客(初入峯の者)の行場であった銚子ヶ峰で どのような行がなされていたのだろうか
銚子ヶ峰にある「ももすり岩」も 関係があるのだろう桃に
ももすりとは桃仁を擂(す)り潰すこと? いずれにしても桃は邪気を払い
陽神(をかみ)・伊弉諾尊を救った 縁起のよい果物だ
銚子ヶ峰から先はシジュウカラ少なく 灌木に名前の分からぬ鳥が留まっていた
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南西に望む願教寺山や野伏ヶ岳 北にはこれから登ってゆく山々
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一ノ峰・二ノ峰・三ノ峰と別山 一~三ノ峰は飛騨側では
高砂岳と呼ばれていた そして別山は四海波岳と
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(江戸時代後期の「官許飛騨国中全図」)
この優雅な山名は明らかに 想わせる謡曲「高砂」を
「四かいなみしづかにて 国もをさまる時津かぜ
枝をならさぬ御代なれや 違(あひ)に相生のまつこそめでたかりけれ
実(げ)にや仰ぎても ことも愚かやかかる代に
住めるたみとて豊かなる 君の恵みぞありがたき」
高砂と住吉の相生の松の精である 尉と姥はイザナギとイザナミ
陽神(をかみ)と陰神(めかみ)が円満に 顕世(うつしよ)の天孫たちと幽世(かくりよ)の大神たちが融和し
悪魔を払い寿福を抱き 穏やけき青海波(せいがいは)には松の影が映っている
「斐太後風土記」にも四海波嶽の東面に 「青海波の大紋あまたつけたり」とある

(続く)

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝