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杉原山~星宮~瓢ヶ岳~新宮巡拝2

 星宮神社が鎮座する坊切の少し手前に金剛堂の跡があり、金剛童子が祀られていたそうです。9時15分(4月29日)、星宮神社着。


本殿に祀られているのは、虚空蔵菩薩。今まで二度お参りしたことがありますが、宝篋印塔があることは記憶にありませんでした。安政5年(1858)の塔で、豪潮式の宝塔に似ていますが、塔身の上段には四智如来の種字ではなく、尊像が彫られています。五大虚空蔵菩薩のうちの四尊でしょうか。似たような宝塔を、知多・武豊の徳正寺で昨年(2017年)12月に拝みました。元治元年(1864)のものです。


 星宮神社には本尊として虚空蔵菩薩が祀られ、別当寺であった粥川寺の不動明王も祀られています。また、蔵王権現も祀られているそうです。星宮神社を含む「高賀六社」は、天暦年中(947~57)、藤原高光が妖鬼を瓢ヶ岳で退治した後、虚空蔵菩薩を祀って開いたと伝わります。それより以前、天慶(938~947)の頃成立の「美濃国神名帳」には「正六位上 雄角明神」とあり、坊切の「オヅガ洞」に鎮座していたようです。「雄角」とは役小角、即ち、修験道の開祖・役行者のことです。役行者は大峰山と葛城山を修験の行場として開かれましたが、この二山をつなぐべく、葛城山と金峯山の間に橋を架けようと神々に命じたところ、葛城山の一言主神が夜しか働かなかった為、工事は遅々として進みませんでした。怒った役行者が一言主神を叱責すると、怨んだ一言主神は宮人に託して役行者を讒言し、役行者は逮捕されることとなりました。が、空を飛ぶので捕まえられず、行者の母公様が拘束されてしまいます。母の身を案じた行者は、自ら出頭して伊豆大島に流されたのでした。ところで、役行者の母公様は「白専女(しらとうめ)」という名です。「専女(とうめ)」とは、狐のことでもあります。白山美濃馬場の「六所王子之一社」、粥川村鎮座の「瓢ヶ嶽」王子(「越白山大社小社尊号鎮所写」、「白山名所案内」)は、粥川・森に昔あったという白山神社のことと思われますが、祭神が「倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)」と書かれています。倉稲魂命とは、稲荷明神のこと。粥川に稲荷神社は見当たらず、もしかしたら、「雄角明神」即ち役行者の、母公様と関わりがあるのでは?との空想も沸いてきます。大宝元年(701)に赦免された役行者は、呪力で葛城山の谷底に一言主神を縛りつけ、草座に坐し母公様を鉢に乗せ、海の彼方へと飛び去っていったのでした。
 役行者が吉野・金峯山で感得された蔵王権現は、瓢ヶ岳北東麓の「雄角明神」だけでなく、高賀六社の一つである瓢ヶ岳南麓・片知の蔵王権現社(明治の神仏分離で金峰神社と改称)にも祀られていました。東麓の釜ヶ滝にも、蔵王権現の宝号碑があります。杉原(すいばら)の熊野神社を含め、瓢ヶ岳一帯には古くから役行者ゆかりの大峰の神仏が勧請されています。白山中宮長瀧寺の山伏たちも、大峰山・葛城山とは古くから関わりがありました。長瀧寺にあった護摩堂の本尊・行基菩薩作の不動明王は、長瀧寺の「奥之坊先師長吏」が大永年中(1521~28)に大峰山入峰の際、吉野川に流れてきた不動明王を持ち帰って祀ったと伝わります(「長瀧寺神社仏閣記録」)。また、長瀧寺の山伏たちの行場「鳩居峯」での修行中の規定を記した寛永12年(1635)の壁書は、「大峯葛城鳩居峯七度行人権大僧都行典法印」が書き改めたものでした(「長瀧寺真鑑正編」)。泰澄大師を開祖とする白山修験も、大峰山・葛城山の影響を受けながら発展してきたことでしょう。平安時代後期に大江匡房が書いた「本朝神仙伝」には、役行者が谷底に縛りつけた一言主神を、泰澄大師が加持して縛を解いたものの、叱り声が響いて一言主神はすぐに元通り縛られてしまったと記されています。同書には、泰澄大師が稲荷明神の本地を観音菩薩として感得されたことも記されています。
 星宮神社からさらに粥川谷を上へ。瓢ヶ岳で大鳥となって襲ってきた妖鬼を藤原高光が射落とした後、その矢を納めたと伝わる「矢納ヶ淵(やとうがふち)」には、虹が架かっていました。


谷の向こうに山を見上げつつ林道を上へ。


10時半に登山道に入り、滝を見つつ登ってゆきました。


やがて、三枚滝に参拝。


瓢ヶ岳や高賀山は、清浄な水の豊富な山です。滝前で般若心経を読誦し、高賀山権現・白山権現・蔵王権現を拝みました。大峰や白山の修験の影響を受けつつ、藤原高光と虚空蔵菩薩という独自の信仰を開いた、高賀山修験。歴史上の藤原高光は「多武峰少将」とも呼ばれ、右大臣であった父・師輔が亡くなった翌応和元年(961)、23歳の時に官位を捨てて比叡山で出家(法名・如覚)、翌年には大和の多武峰に移っています。そして、応和3年(963)に増賀上人を比叡山から多武峰に招き、終生、増賀上人の元で修行されました。増賀上人は、比叡山根本中堂に「道心付きたまえ」と千夜通して礼拝を行じ、伊勢神宮でも礼拝を行じて「身を身と思うことなかれ」とのご神託を得、衣服を乞食たちに与えて素っ裸で比叡山に戻るなど、名利を捨てて道心に生きた聖でした。真言宗系の高賀山修験の開山者が天台僧であった藤原高光(如覚)とされているのは不思議ですが、藤原高光と増賀上人の名が「高賀」に通じるからでしょうか?
 清々しい谷に心を洗われつつ、上へ。


登り坂の連続でさすがに疲れてきましたが、樹間には御嶽山のお姿。稜線上に出ると、高賀山も白山も見えてきました。正午前、奥瓢ヶ岳登頂。


岩上から白山三所権現を遥拝しました。向かって左から別山(聖観音菩薩)、大汝峰(阿弥陀如来)と御前峰(十一面観音菩薩)。観音経をお唱えし、清浄なるお山を拝みつつ坐しました。この辺りでは、やはり、白山権現の存在感はデカいです。


カタクリの花を見つつ瓢ヶ岳へと縦走。


瓢ヶ岳山頂に着き、北東に御嶽山、北に高賀山と白山を遥拝。



瓢ヶ岳は連休中でも静かでしたが、高賀山の方からは太鼓の音が響いていました。
 12時半に下山、北からのそよ風が涼しいです。樹間に白山を拝みつつ、一気に下ってゆきました。一時間ほどで登山道入口付近の滝に下り、谷をジャブジャブ遡って滝の下へ。


三枚滝より水は少なめですが、高さはあります。山の清浄なお水に掌を合わせました。林道に下り、星宮方面ではなく、新宮方面へと行道。林道は八王子峠へとさらに上がってゆき、14時にようやく峠の八王子神社に参拝。


日吉山王七社の八王子権現を祀った社です。朝から熊野権現・白山権現・蔵王権現・高賀山権現と巡拝してきましたが、此処では山王権現にもお参りできました。峠から北へと林道を降下、40分ほどで那比の新宮神社に着きました。


高賀六社の一つで、かつては「巌屋新宮寺」と称していました。本尊はもちろん、虚空蔵菩薩。再び、来た道を登り直し、15時半に八王子峠着。神社の裏山には、岩がたくさんあります。


峠から星宮へと行道、瓢ヶ岳登山道入口付近で沢の水をいただき、林道を下って16時半に星宮神社に戻りました。


 粥川谷下流へとさらに歩を進め、星宮から40分ほどで伽藍様に参拝、白山権現王子眷属に掌を合わせました。谷沿いにフジの花を見つつ行脚。


長良川の近くまで下ると、お猿さんがいました。


17時半、長良川に出ました。


白山連峰を源流とする長良川の如く、白山信仰・白山修験が下流へと広まっていったのと同時に、長良川に様々な山を源流とする谷川が流れ込み合流する如く、白山信仰・白山修験も様々な山岳の信仰・修験の影響を受けてきたことを、感じさせられた巡拝行でした。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝