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笥笠中宮~白山加賀禅定道登拝1

 5月9日朝4時半、小雨の中、カッパを着て白山加賀馬場・下山七社の一つ、笥笠中宮(けがさのちゅうぐう)に参拝。


現在残っているのは「中ノ宮」と呼ばれた産土社のみですが、かつては白山本宮と並ぶ白山加賀馬場の拠点として栄え、神殿(本地・如意輪観音菩薩)・拝殿・彼岸所・五所の小社・講堂(本尊・大日如来)・新宝殿・常行堂(本尊・阿弥陀如来)・法華三昧堂(本尊・普賢菩薩)・不動堂・夏堂・鐘楼などが建ち並んでいました(「白山之記」)。南北朝内乱期に南朝方と結んで勢力が衰退、江戸時代にはすでに中ノ宮と、手杵橋の袂にあった葛籠宮(かごのみや)しか残っていなかったそうです(「吉野谷村史」)。般若心経と如意輪観音さまご真言、笥笠神宮寺の西因上人(さいいんしょうにん)が保安2年(1121)に発願した不断念仏の願文と、念仏をお唱えしました。

「若シ白山ノ名ヲ聞ク善悪諸衆生、生死ニ流転セバ、我レ即チ成仏セジ。若シ此ノ善ニ結縁スル遠近諸衆生、極楽ニ坐セズンバ、我レ即チ往生セジ。・・・」(藤原敦光「白山上人縁記」西因上人願文、原漢文)

肥前国松浦郡出身で、比叡山で受戒して諸国行脚の後、白山で43年久修練行して大願を発された西因上人は、私が最も尊敬する白山行者の一人です。中宮の集落からは四塚山は雲に隠れているものの、長倉山から美女坂、天池へと続く加賀禅定道の峰々が遥拝できました。


 中宮からてくてくと下ってゆき、尾添川の「葛籠の渡し」を渡って尾添の加宝宮に参拝。


「宝社あり、加宝と名づく。虚空蔵菩薩の垂迹なり。」(「白山之記」)


加宝王子(かほうのおうじ)は、白山六所王子のお一人です。5時、尾添の下山仏社に参拝。


加宝宮の背後に中宮の丘が見渡せます。明治の神仏分離で檜新宮(ひのしんぐう)から下山させられた仏菩薩に般若心経と念仏をお唱えし、白山有縁の一切衆生の現当二世安楽と、白山仏法興隆をお祈りしました。
 下山仏社から坂道を歩いてゆくと、東に山毛欅尾山(ブナオ山)。


開成社に参拝してまだ冬期車両通行止の県道に入り、6時にハライ谷登山口着、登山届をポストに入れました。


雨は止まないものの、空は明るいです。カタクリの花はまだまどろんでいました。


処々残雪に覆われた山道を登ってゆくと、やがて雨は止み、北東に笈ヶ岳や大笠山を遥拝。


ショウジョウバカマやタムシバ見つつ登って8時前に檜新宮参拝、中宮山から大笠山、笈ヶ岳などの山並を一望。


「霊験ある宝社あり。檜の新宮と号す。垂迹の禅師権現の本地はこれ地蔵菩薩なり。」(「白山之記」)
白山六所王子のお一人・禅師王子に読経礼拝し、しかり場よりこれから縦走してゆく尾根を望みました。


四塚山から上は、雪雲の中のようです。シャクナゲやタムシバ、うつ向いたカタクリを拝みつつ行道。


9時半に奥長倉避難小屋着、谷から霧が沸いてきました。


カタクリもお目覚めの様子。


 美女坂を登って美女坂ノ頭に出ると、残雪と霧の見分けがつかず。


霧の雪上は一歩先の起伏すらよく分からず、雪庇の縁や雪の割れ目に細心の注意が必要です。尾根筋には雪上に樹が出ており、モノトーンの世界を樹を目印に縦走してゆきました。11時、天池室着。池はまだ雪の下。


「山頂に池あり。雨の池と号す。傍らに堂宇あり、室一宇、三所の御躰を宝社に安置す。」(「白山之記」)
江戸時代後期の「白嶽図解」に、
「昔は金剣宮の社不動堂も有しと見へて天正十三年の絵図に形を図す。今はなし。」
白山六所王子のお一人・金劔王子(かなつるぎのおうじ、本地・不動明王)に読経礼拝し、尾根をはずさず2158m峰へ縦走して正午に油池に降下、池は姿を現わしていました。


長坂から四塚山へ登ってゆくと、新雪が十~三十センチ積もっていました。13時半すぎ四塚山登頂、真っ白な世界。数瞬、薄日が差して七倉山の方角を確認。


七倉山に登ってハイマツの中を南下し月の輪のわたりへ。


14時半、加賀室跡に着きました。


長久3年(1042)の翠ヶ池火口噴火の際、此処に加賀馬場の行人が一人泊まっていましたが、室に「土石を投げ撃つこと雨の如し」と「白山之記」に記されています。御手水鉢の水は、シャーベット状でした。


 大汝峰への登りも視界なく、新雪二十センチくらい。


山頂部は凍てつく北風。15時半、山頂に着きました。


大汝社にて大己貴権現(本地・阿弥陀さま)に西因上人願文と念仏をお唱えしました。

「我ガ日本国ハ仏法他境ヨリ繁昌ス。是ヲ以テ辺鄙下賎ノ人民タリト雖モ、誰カ見仏聞法ノ功徳ナカラン。定メテ知ル、浄刹ニ因有ルノ輩、斯ノ土ニ生ルルコト明カナリ。嗟乎、十悪五逆ハ風前ノ塵、妄想顛倒ハ空中ノ花。弥陀ノ白毫一タビ照ラサバ、煩悩ノ黒業悉ク除カレン。」(「白山上人縁記」西因上人願文より)

「我等罪業深重ニシテ、鎮(トコシ)ヘニ生死ノ故郷ニ吟(サマヨ)ヒ、煩悩熾盛ニシテ、久ク流転ノ凡夫トナル。適々(タマタマ)発心スト雖モ、敢ヘテ深信ナク、屡々(シバシバ)聞法スト雖モ、暫クモ思惟セズ。・・・(中略)・・・此ノ時若シ弥陀応化ノ霊神ニ遇ハズンバ、焉ンゾ往生極楽ノ目足ヲ得ルコト有ランヤ。」(大原勝林院に伝わる平泉寺「白山権現講式」写本、享禄3年(1530)。川口久雄「山岳まんだらの世界」)


 相変わらず視界のない中、大汝峰を下って鏡岩へ。


三河出身の鈴木正三和尚が聞き集めた話を、弟子の雲歩和尚らが寛文元年(1661)に刊行した「因果物語」に、寛永(1624~)の始め頃、三河の市兵衛という鋳物師が三河石巻山の鐘を盗んだ報いで、この岩の辺りで生きながら焔に取り巻かれたことが記されています。念仏をお称えし、御前峰方面へ。霧で御宝庫も見えませんが、雪庇越しに千蛇ヶ池を拝みました。


六道地蔵に参拝し、御前峰頂へと登ってゆきました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝