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白山越前禅定道~別山登拝・前

 昨年(2017)同様、平泉寺から古の白山越前禅定道を登拝する予定でおりましたが、前日の予報では天気は下り坂、夕方からは雨とのこと。山頂部で雷雨にでも遭ってはかなわないので、予定変更。午前中は平泉寺周辺を順拝し、午後に市ノ瀬から殿ヶ池の避難小屋まで登って雨をしのぎ、翌日、御前峰~大汝峰~別山と白山三所権現を順拝してチブリ尾根を市ノ瀬へ下ることにしました。
 6月8日朝8時15分、勝山市の淀川(じょうがわ)沿いにある、泰澄大師母君御廟に参拝。


「泰澄和尚伝記」によれば、大師の母君は当地の豪族・伊野氏の娘で、天武天皇の御宇・白鳳22年(682)6月11日に大師を出産されました。泰澄大師と母君に般若心経と念仏をお唱えし、淀川(浄川)の土手を歩いて東へ。


8時半、白山稚児神社・日之御前社に参拝。


神社の北には大師山。


稚児神社は、かつての児宮(ちごのみや)、白山六所王子の児宮王子(本地・釈迦如来)です。児宮からさらに東へ歩を進め、下馬大橋から古の平泉寺参道・菩提林の苔むす石畳を行道。


此処から平泉寺の白山三所権現の神殿まで、約二キロ。白山中宮平泉寺の規模の巨大さが感じられます。途中、牛岩・馬岩を通って9時に霊応山平泉寺に参拝。



明治の神仏分離で白山中宮平泉寺は廃寺とされ、平泉寺白山神社となりました。が、村人たちが明治39年(1906)に今宮跡に再興したのが、この本堂です。今宮は、丸岡の国神神社に伝わる室町時代の「白山参詣曼荼羅図」に、平泉寺境内の此の辺りに「今宮第一王子」として描かれており、平泉寺の「白山権現講式」(享禄3年(1530)書写、大原・勝林院所蔵)で白山六所王子の筆頭に挙げられている「佐羅王子」(本地・毘沙門天王)を祀ったお宮でしょう(他の王子は、三宮王子(本地・如意輪観音菩薩)・加宝王子(本地・虚空蔵菩薩))・禅師王子(本地・地蔵菩薩)・金劔王子(本地・不動明王)・児宮王子(本地・釈迦如来))。平泉寺から九キロ近く離れた皿川沿いの伊波に、佐羅宮があります(当ブログ2018.5.22「白山七社大権現下四社・岩根宮佐羅宮」参照)。平泉寺境内の今宮は、伊波の佐羅宮を勧請した処でしょうか。
 さらに参道を進み、泰澄大師廟に参拝。廟前に、「弁慶の足跡」があります。


文治2年(1186)、源義経一行は京から山伏姿で奥州平泉へと落ちる途次、平泉寺に参拝しています(「義経記」)。平泉寺塔頭・顕海寺の阿弥陀さま(藤原秀衡寄進)に念仏をお称えし、さらに境内奥へ。


養老元年(717)4月1日、泰澄大師が女神より
「吾ガ本地ノ真身ハ天嶺ニ在リ、往テ礼スベシ」
との神託を受けた御手洗池にて、般若心経を読誦しました。


 御手洗池から奥へ登ると、左に今宮神社、前方に拝殿。



今宮神社は先ほど参拝した平泉寺本堂の辺りから移転した社で、元々、此処には平泉寺大講堂(本尊・薬師如来)がありました。薬師如来と佐羅王子(本地・毘沙門天王)を拝み、拝殿後ろの白山三所権現の社に参拝。中央に白山妙理大権現(御前峰、本地・十一面観音菩薩)。


白山から見て左手(向かって右手)に別山大権現(本地・聖観音菩薩)、白山から見て右手(向かって左手)に越南知大権現(大汝峰、本地・阿弥陀如来)。三所権現のご宝前で読経礼拝しました。


古は、越南知社の脇に加宝宮(加宝王子、本地・虚空蔵菩薩)、別山社の脇に金劔宮(金劔王子、本地・不動明王)の二王子も祀られ、五社が建ち並んでいました。さらに登って白山越前禅定道入口の三之宮(三宮王子、本地・如意輪観音菩薩)に参拝。


禅定道は、此処から山に登って金劔宮・釈迦之原(中ノ平)・法音(法音寺)・妙見坂~払川・温川・伏拝(小原峠)・河上(川上御前)・秘密谷(三ツ谷)を経て一之瀬(市ノ瀬)へと続くのですが、今日は昼から車で市ノ瀬に向かいます。三之宮から来た道を戻り、南谷の坊院跡へ。石畳の古道の両脇に築地塀と坊院入口が並んでおり、中宮平泉寺の規模の巨大さに改めて驚かされます。



平泉寺は戦国時代には一乗谷の朝倉氏と手を結んでいましたが、天正元年(1573)、朝倉義景が北近江に出兵して織田信長に敗れ、一乗谷に敗走すると、平泉寺は朝倉景鏡(かげあきら)と共に信長方に寝返り、義景は自害、朝倉氏は滅亡します。翌天正2年(1574)、平泉寺が景鏡を匿うと、本願寺・顕如上人の指令で蜂起した越前一向一揆は平泉寺を焼き討ちし、全山壊滅、景鏡も平泉寺院主も自害して果てたのでした。
 若宮八幡社の傍らに聳え立つ、焼き討ちに生き残った大杉に合掌。


西へ下ってゆき、10時半に辻観音堂に参拝しました。


文治2年(1186)に源義経一行が宿した処です。観音経を読誦し、義経公や武蔵坊弁慶に思いを馳せました。菩提林に戻り、車で白峰へと向かいました。
 正午前に白峰の林西寺・白山本地堂・八坂神社(牛首社、本地・薬師如来。泰澄大師が牛頭天王を祀った処)を順拝。


風嵐の岩根宮の手前から白山を遥拝しました。



白山の西に当たる此処からは、大汝峰が御前峰よりも大きく拝めます。岩根宮にて白山三所権現のご加護を祈り、市ノ瀬へ。登山届をポストに入れ、12時半に越前禅定道を登り始めました。森の中はヒグラシの声が響き、涼しいです。が、六万山の登りは蒸します。一時間弱で尾根に出、ギンリョウソウを拝みつつ行道。


かつて、檜宿には泰澄大師作のお釈迦さまの像が祀られていました。


14時前、指尾山より白山を遥拝。


山頂部は雲に隠れました。此処までの山道には全く雪がありません。カナヘビに掌を合わせ、別山・御舎利山を遥拝しつつ行道。



振り向けば、大長山・赤兎山の間の小原峠の奥に経ヶ岳。


15時前に慶松平通過、残雪が少しありました。


一年前(2017)にクマを見た辺りです。残雪は去年より少ないです。小雨が時折ポツポツ、山道には太いアオダイショウ。右手に別山・御舎利山・不動滝、足元にハクサンチドリなどの花を拝みつつ禅定道を登ってゆき、16時に殿ヶ池避難小屋に着くと、雨は本降りとなりました。




別山は山上が雲に隠れ、釈迦岳はお姿を現わしていました。



今日(6月8日)は、二十年前に亡くなった我が子の命日。昨日は修験道の祖・役行者のご命日であり、明日は多武峰の聖(ひじり)・増賀上人のご命日。尊い方々が我が子を見守ってくださっておられます。断続的な雨風の音の合間に聞こえる、ウグイスの題目の声。法要を修し、我が子と二聖者に供養しました。増賀上人の辞世の歌に、

みつわさす八十(やそぢ)あまりの老のなみ海月の骨に逢ふぞ嬉しき

クラゲが骨に逢えたほどの、仏恩・法恩の有難さ。辛く苦しい人生の波のさ中にあっても、波の一つ一つに、妙理の光・白浄の光は、煌めいています。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝