FC2ブログ

記事一覧

白山越前禅定道~別山登拝・後

 翌6月9日、朝4時半に殿ヶ池避難小屋を出発。上空には、お月さま。


昨晩の雨はあがり、清々しい朝です。シナノキンバイの花と別山を拝みつつ上へ。


馬のたてがみから、殿ヶ池の避難小屋や昨日登ってきた越前禅定道の尾根を見下ろしました。


南には御舎利山と別山。


殿ヶ池から四十分ほどで弥陀ヶ原に出、白山頂・御前峰を遥拝。


5時半、室堂平に登ると、朝日が差してきました。


山頂へ登ってゆき、高天原から室堂平と別山を見下ろしました。


かつて、高天原には日之新宮があり、天照太神若御魂(雨宝童子)が祀られていたようです(石徹白に伝わる「越白山大社小社尊号鎮所写」(寛保3年(1743))、「白山名所案内」(安永6年(1777))、郡上歩岐島・悲願寺住職の「白山参り」(文化4年(1807)))。天照皇太神を拝み、6時に御前峰登頂。


一月前(2018年5月)に加賀禅定道を登拝した際は、山頂の大御前社にまだ雪がありましたが、雪はすっかり融けました。白山妙理大権現(本地・十一面観音さま)ご宝前で般若心経を読誦しました。
 山頂から北側に剣ヶ峰と大汝峰を遥拝。


南には、油坂~御舎利山~別山へと続く美濃禅定道。


アイゼンと眼鏡ストラップを装着し、転法輪の窟へ。


ここ十年近く、毎年、残雪のこの時期に傾斜45°のカチンコチンの雪渓を彼岸へと渡り、転法輪の窟に参詣してきました。今年もこの危険な雪渓を渡るつもりでしたが、昨晩の雨風の為か、表面が凍ってツルツルの箇所があり、病みあがりの身では滑落のおそれ有り。雪渓を渡るのは止め、上から岩壁と残雪の壁の間を下ってみることにしました。転法輪の窟の上は絶壁ですが、この時期であれば、岩壁と分厚い雪壁の隙間を伝うことが野人には可能です。ハイマツにつかまりながら隙間へと降下。


7時、無事に転法輪の窟着。


窟前の雪の衝立越しに奥三方岳・三方崩山を遥拝。


窟にて観音経を読誦し、白山妙理大権現に投地礼しました。

「十方法界皆我神躰にあらすといふ事なく、世界衆生みな吾生みなせる子なり。我な穢しそ穢しそ」(「大永神書」)

「我な穢しそ」との白山妙理大権現のご神託、それは、私たち(世界衆生)自身の身と心を穢してはならない、との意でありましょう。窟の上には、月が拝めました。


 窟から来た道(岩壁・雪壁・ハイマツの藪)をよじ登り、8時前に御前峰に戻りました。


山頂から油ヶ池(油屋地獄)へ下り、大汝峰遥拝。


剣ヶ峰麓の紺屋ヶ池(紺屋地獄)は、まだ雪の下。


翠ヶ池(不孝因地獄)は、残雪の中にマリンブルーの水を湛えていました。


池畔に坐し、身心を清めて観音経読誦。


明るく静かな池面に立つさざ波に、一つの太陽が無数に煌めいていました。


私たちの八万四千の煩悩のさざ波にも、み仏の光明は普く煌めいているのでした。
 翠ヶ池から大汝峰へと向かい、鏡石より御前峰遥拝。


9時に大汝峰登頂、大汝社にて本地・阿弥陀さまにお念仏。保安2年(1121)に白山加賀馬場・笥笠中宮神宮寺で昼夜不断の念仏三昧を行じられた西因上人の願文に、

「弥陀ノ白毫一タビ照ラサバ、煩悩ノ黒業悉ク除カレン。然レバ則チ誰カ観音ノ金台ニ登ラザランヤ、ナンゾ安養ノ宝池ニ詣デザランヤ。」(藤原敦光「白山上人縁記」)

平泉寺の「白山権現講式」(享禄3年(1530)書写、大原勝林院所蔵)に

「弥陀ト観音、其ノ躰不二ニシテ、妙理ト大己貴、其ノ相異ナルコトナシ。是ヲ以テ仏ト為リ神ト為ル、皆是衆生済度之方便。主ト顕レ伴ト顕ル、寧ロ随縁利物ノ化導ニアラザランヤ。」

白山妙理大権現と越南知大権現、観音さまと阿弥陀さま、伊弉冊尊と伊弉諾尊は、決して別のものではありません。一つのものの、無量の現われです。


 大汝峰を下って、9時半に御宝庫の下の千蛇ヶ池へ。池は雪の下です。


六道地蔵に参拝し、10時に三たび御前峰頂へ。


室堂平から東へ進み、ハイマツの海を漕いで四十五分ほどで御厨池(みくりやのいけ)に参拝。池はまだ雪の下。


「(転法輪の窟より)二町余谷を下りて御厨屋とてすさまじき池あり。大師禅定の時九頭竜出現の所なりと云う。」(「白山紀行」(十七世紀後半))

「御来屋の池 神代の田天の狭田長田此所にあり、是我朝の田のはしまりなり。参詣の人木末に紙を付後人の道しるべとす」(「白山名所案内」安永6年(1777))

観音経を読誦し、御厨池に法華経の功力で毒龍悪鬼を籠めた神融法師(泰澄大師)、御厨池の水を汲んだ浄蔵法師・日代(日泰・日台)上人・末代上人を供養。無雪期は藪中ですが、まだ残雪の多い今は、池の下方の雪上に島のような岩場が見えます。雪上を渡って「島」に着くと、岩場の下は上を残雪に覆われて窟のよう。


御厨池の方を見上げると、池の背後に均整のとれた神々しい御前峰のお姿。


南無白山妙理大権現。
 平瀬道に出、賽の河原へ登っていると、右の二の腕に違和感があり、触ってみたら何かが付いていました。よく見ると、マダニが頭から食い込んでいました!


体が平べったいのでつまみにくく、引っこ抜こうとしても強力に喰いついており、抜けません。こちらが力を入れて抜こうとすればするほど、マダニ君も必死に喰らいついて抵抗します。マダニにこうも喰いつかれたのは、2012年秋に仏御前の滝から荒島岳に登った時以来ですが、まさか白山で喰いつかれるとは・・・。ハイマツ帯にいたのでしょうか?

「世界衆生みな吾うみなせる子なり」(「大永神書」)

白山のマダニ君も私も、白山権現の子、兄弟姉妹といえます。マダニは病原菌を媒介することがあるので危険とはいえ、マダニ自体が毒をもっているワケではありません。ジタバタしても仕方がないので、このままマダニ君を連れて行道することにしました(入れ墨やピアスなどより、マダニ付けてる方が格好いいかも)。
 展望コースを下って南龍ヶ馬場を目指しましたが、途中、残雪が多く道を見失い、西の尾根のハイマツ帯を越え、トンビ岩コースの雪上を下ってゆきました。


正午すぎに南龍ヶ馬場着。昔は馬頭観音堂があったそうで、馬頭観音ご真言をお唱えしました。12時半に赤谷(畜生谷)を渡り、油坂へ。


江戸時代の登拝記録を見ると、畜生谷の水は飲んではならないとされており、山頂の火口群には地獄道に落ちた者がいるように、此処には畜生道に落ちた者がいると信じられていたようです。しかし、この谷はキヌガサソウなどの花々が咲き、美しい谷です。


 油坂の残雪を一心に登ってゆき、13時すぎに油坂ノ頭着。


「火口域から2.5km圏内」の標柱が、雪の重みの為か傾いています。


この標柱を初めてみたのは2016年でしたので、まだ新しいはずですが・・・。雪に埋もれた天池(「白山名所案内」に「天池同拝殿 仏説上品生之霊地」とあり)に参拝し、大屏風の尾根を縦走。


火口域から4kmの標柱も傾いていました。14時すぎ、ようやく御舎利山と別山が目の前に。


ハクサンコザクラなどの花を拝みつつ行道し、14時半すぎに別山登頂。



北に雲をまとった御前峰、南西には別山平の御手洗池や三ノ峰を拝み、別山大行事権現(本地・聖観音菩薩)に般若心経をお唱えしました。


 別山から来た道を戻り、15時に御舎利山へ。山頂より南に別山、北に白山頂部から歩いてきた尾根を遥拝。



「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼」を誦し、白山有縁の一切衆生の七難即滅七福即生と、白山仏法興隆を祈願しました。

「若し人、高山峯上に住在して、至心に呪を誦せば、眼根の及ぶ所の遠近世界、山谷林野江湖河海、其の中に有る所の毛羽鱗甲の一切生類、惑障を碎破し無明を覚悟して、本有の三種の仏性を顕現し、畢竟して大涅槃の中に安處せん。」(「宝篋印陀羅尼経」)
 霧の中、チブリ尾根を延々と降下。



展望もなく、只、一心に歩き続けること三時間半。18時半に市ノ瀬に下りました。シャツを着替え、すっかり忘れていた右腕のマダニ君を見てみると・・・マダニは消え失せ、皮膚には赤い咬み跡だけがありました。いつの間にか、きれいに抜け落ちたようです。ふと、「サトリ」という化け物の話を思い出しました。昔、炭焼きが小屋でかんじきを作る為、木をたわめて炙っていたところ、相手が心に思ったことをすべて読んでしまう「サトリ」という化け物が小屋に入ってきて、炭焼きが口に出す前に「今、お前はこう思っただろ」と言い当ててしまうので、ほとほと困ってしまいました。が、突然、炙っていた「かんじき」の木が弾けて「サトリ」の顔面を直撃し、「サトリ」は逃げ帰ったそうです。「サトリ」を追っ払おうとあれこれ考えても、全て事前に見通されてしまったように、マダニを引っこ抜こうと躍起になればなるほど、マダニも必死に喰らいついてきたのでした。しかし、「サトリ」は「無念無心」の力・はたらきは読めませんでした。マダニも、見つけてから七時間半、無念無心に行脚礼拝しているうちに、いつの間にか抜け落ちていました。

「十方の諸国土に 刹(くに)として身を現ぜざるは無」い観音さまの自在な働きも、無念無心であればこそ。

「抜けがら坐禅を作(なし)、あつか忘然と成て、物を思わざる處を無念無心と思う人あり。是大なる錯也。(中略)仏法の無念無心と云は、一切の上に用る無念無心也。悲む時も悦ぶ時も、万事の上に使ふ無念無心也。」(鈴木正三「驢鞍橋」)

白山権現はマダニを媒介して、私に妙理を示して下さいました。

「是の諸法の空相は、生ぜ滅せず、垢つかず浄からず、増さず減ぜず」(「般若心経」)

南無白山妙理大権現王子眷属


関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝