FC2ブログ

記事一覧

白山鳩居峯五宿~美濃禅定道別山登拝1

 毎月二度行じている、白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺から尾根伝いの古の山伏の行場「白山鳩居峯十宿」のうちの五宿巡拝。今月初めは体調を崩して行じることができず、すでに月の半ばを過ぎてしまいました。白山に残雪のあるこの時期は、毎年行じている白山三馬場禅定道登拝の時期でもあり、限られた仕事休みにアレもコレもすることはできません。そこで、長瀧寺から鳩居峯五宿巡拝後、そのまま白山美濃禅定道を別山まで登拝することにしました。
 6月17日朝4時半すぎ、長瀧寺に参拝。


いつものように拝殿・豪潮律師の宝篋印塔・大講堂と順拝して入峯堂跡へ。かつて、入峯堂には白山鳩居峯に入峯する新客(初入峯の山伏)が守るべき十八箇条の壁書があったそうです。「長瀧寺真鑑正編」に書き写されているその壁書は、寛永12年(1635)に「大峯葛城鳩居峯第七度行人権大僧都行典法印」が書き改めたもので、その内容は、豊前の彦山の春峰・夏峰・秋峰の三峰(さんぶ)の入峯の作法次第をまとめた「三峰相承法則密記」の中の、「峯中壁書」と全く同じものです。「三峰相承法則密記」は、彦山の行者・阿吸房が大永5年(1525)に加賀の那谷寺に掛錫した際に伝えたもので、元禄12年(1699)に金峯山の山伏が書写する等、各地の山伏に書写され伝えられました。
 那谷寺は、「白山之記」に「三ヶ寺」の一つとして記されているように、古くから白山加賀馬場の末寺でありました。大永年中(1521~28)の加賀馬場は、戦国の騒乱で衰運のさ中にありましたが、白山本宮・白山寺では大永7年(1527)、後柏原天皇の皇子・道喜が白山本宮に伝わる白山妙理権現のご神託を清書し奉納しています(「大永神書」)。また、白山美濃馬場・長瀧寺では大永年中に「奥之坊先師長吏」が大峰山に入峯し、吉野川に流れてきた不動明王の像を持ち帰って長瀧寺護摩堂本尊として祀っています(「長瀧寺神社仏閣記録」)。御坊主ヶ洞の見附ノ大岩で長瀧寺の敬愚比丘が焼身供養(火定)を行じられたのも、この頃のことです。「乞人」の如き容貌であったという阿吸房が彦山から白山加賀馬場に伝えた入峯修行の作法次第は、戦国の混乱のさ中の白山三馬場に早くから広まり、影響を及ぼしたのではないでしょうか。「三峰相承法則密記」によれば、十八箇条の壁書は、新客が入宿初夜の勤行(戌時、20時頃)後、並びに毎日の後夜勤行(寅時、朝4時頃)の終に読むべきものとされています。白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺の山伏の鳩居入峯修行は、4月8日~6月15日と、6月23日~8月13日の年二回でした(「修正延年並祭礼次第」、慶安元年(1648))。
 いつもは鳩居峯を日帰りで食わず・座らず・撮らずに順拝するので身軽ですが、今日は泊まりがけで別山まで登拝する為、リュックに登山靴姿。5時半に一ノ宿参拝、すぐ下を流れる沢の水を汲んでお供えし、本地・不動明王に参拝。


鳩居峯の各宿(行場)が沢の側にあるのは、何よりも本地仏に清らかな水をお供えする為でありましょう。コアジサイやギンリョウソウ咲く尾根を登ってゆき、樹間に白山を遥拝。


6時半に越美国境尾根に出、二ノ宿へ。大日ヶ岳は雲の中。立ち止まると小バエが頭にたかってきます。本地・釈迦如来に読経礼拝し、三ノ宿へと尾根の藪を縦走してゆきました。
 三ノ宿への登りは、積雪期は尾根を登りますが、無雪期は沢を登っています。沢の水は冷たく清らかで、豊富です。


沢から藪中にギンリョウソウを拝み、山頂部の作業道へ。


8時15分頃に三ノ宿登頂、涼しい南風。晴れていれば毘沙門岳の後ろに白山三所権現が拝めるのですが、今日は毘沙門岳も雲の中、西山がわずかに見えるのみ。


小バエにたかられつつ、本地・阿弥陀さまに念仏をお称えしました。三ノ宿から尾根を北西へ下り、作業道を登って西山へ。9時すぎ、西山手前のピークから西山と毘沙門岳の間に白山三所権現を遥拝。


西山頂への笹藪に突入し、9時半に西山登頂。


重い荷物を背負って藪を漕ぐのは大変ですが、藪中では開けた処より小バエが少ないです。足の踏み場もない二~三mの笹藪を下って毘沙門岳との鞍部へ。樹間に拝める、見事な白山三所権現のお姿。


別山(聖観音菩薩)と御前峰(十一面観音菩薩)の中央奥に頭を覗かせる大汝峰(阿弥陀如来)のお姿は、山越来迎阿弥陀三尊です。
 10時すぎ、多和ノ宿参拝。


北西からの風が涼しく、小バエは少ないです。本地・毘沙門天王に参拝して毘沙門谷を上へ。毘沙門谷は三ノ宿の谷と違って、いつも水のない谷ですが、ひんやりとした谷は天然の山道。昨年(2017年)、作業道が上に伸びて谷の下部は伐られた樹々に埋めつくされてしまいましたが、上の方はまだ大丈夫。


谷から厳しい笹藪地獄を漕ぎ、11時すぎに毘沙門岳登頂。南側に歩いてきた三ノ宿と西山、その背後に滝波山・美濃平家岳・平家岳の三山。


登山道を北へ下り、正面に白山を遥拝。


別山に雲がかかってきました。白山の向かって左下には、これから桧峠を経て下ってゆく石徹白の集落と、美濃禅定道。白山の向かって右には、桧峠から大日ヶ岳へ上り、尾根伝いに続く鳩居峯。12時半に桧峠に下り、ゴルフ場の看板の後ろに立つ泰澄大師像に参拝。


昨年奉納した障害者施設で作った湯呑に、お水をお供えしました。今年は、大師さまはいつまでも雪吊りに囲まれたままです。
 大日ヶ岳登山道へ進み、鳩居峯五宿目の国坂宿に参拝。


お堂の前の石盤上で投地礼をし、本地・十一面観音さま、即ち白山妙理大権現に観音経を読誦、白山有縁の一切衆生の七難即滅七福即生と、白山仏法興隆を祈願しました。来た道を少し戻り、旧桧峠のお地蔵さまに参拝。


長瀧寺から美濃禅定道を登れば二時間弱で着く此処まで、鳩居峯の藪中を行道すれば七~八時間。いつもは此処から前谷へと下りますが、今日は石徹白へと下ります。車道がクネっている処は、まっ直ぐ藪を降下。涼しい風、彼方に見える願教寺山。


車道の一段上に踏み跡が続き、やがて一之瀬谷を渡渉して一之瀬社の金剛童子に参拝。


さらに下って14時、桂清水の冷たく清らかなお水で手と顔を洗い、喉を潤しました。
 14時半に大師堂参拝。


般若心経と虚空蔵菩薩ご真言、泰澄大師ご宝号をお唱えして上在所へ。注連張の奥には母御石山が拝め、三ノ峰は雲を被っていました。


15時に中居神社参拝。


大宮殿にて虚空蔵菩薩ご真言をお唱えし、古の美濃禅定道を上へ。浄安杉に掌を合わせ、16時に斧石(よきいし)参拝。


泰澄大師は、此処で斧の刃をつぶし、保川に捨てたそうです。美女下平の美女下社跡に参拝し、八丁坂を下って犬石へ。


中居神社から八丁坂までの道は、以前より草が刈られて歩きやすくなっています。刈られた道は八丁坂の尾根から南側へ曲がり、林道に下りているようですが、私は北西へ谷を渡って初河谷へ着地。石徹白川沿いの林道を少し上って急峻な念仏坂を北上。


三十分ほどで登りきり、鍋倉谷を渡渉。


少し登って鍋倉平を快適に行道。


やがてジュラシックなシダ藪をトラバース気味に降下、17時半すぎに倉谷の「こりとり場」に出、身を清めました。


 倉谷を渡渉して右岸の藪中の小道を上へ。途中から山腹の藪に突入し、馬蹄形の崩壊地から谷を遡上。18時半前、頭上にいとしろ大杉が現われました。


泰澄大師に熊が教えたという熊清水で洗面して喉を潤し、今清水社にて本地・地蔵菩薩に参拝。


美濃禅定道をヘッドランプ点けて行道。


母御石山の残雪を見上げ、20時前に神鳩(かんばた)の避難小屋に着きました。


神鳩宿は鳩居峯の十宿目であり、長瀧寺から尾根伝いに逆S字形に続く鳩居峯と、長瀧寺から桧峠を越えて石徹白に下るS字形の美濃禅定道の合流点。三ヶ月前(2018年3月)に桧峠から大日ヶ岳~天狗山~芦倉山~丸山と鳩居峯五宿目から十宿目までの雪の尾根を順拝して三ノ峰まで登拝した際、三ノ峰の避難小屋の入口が雪に埋もれて入れず、此処まで戻って泊まりました。今日はさすがに疲れ、本地・虚空蔵菩薩を拝んで食事をした後、ぐっすりと眠りました。
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝