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歎無常文3 万物いずれの所に帰す

(承前)

「対面すれば綺言し恒に相競い
元より羞恥及び怕懼(おそれ)なし
聖・光明・大力・恵に於て
非分に諸の虚妄の語を加う

衆生の多くは無明に覆われ
真正の路を勤修するを肯(がえん)ぜず
仏を謗(そし)り法を毀(こぼ)ち真の僧を慢(あなど)り
唯だ損害を加えて相護らず

汝ら智人細やかに観察せよ
大界小界誰に由って作らる?
建立の時何に縁りてか造る?
損益二條須(すべから)く了知すべし

一切の有情 諸(もろもろ)の形の類
世界の成敗されしを安置する處
此の如きは並(みな)是れ秘密事
究竟 万物は何(いず)れの所に帰す?

善業の忙你(マニ)具(つぶさ)に開楊し
顕らかに説く一切の諸性相
汝ら解脱を尋ね求むる者よ
応に須く覚了して諦(あきら)かに思量せよ

布施し持齋し読誦を勤め
智を用いて分別し浄戒を受け
憐愍し怕懼(おそ)れ軌儀を好む
此の力に依り因って災隘(さいあい)を免(まぬが)る」
(末思信(マール・シシン)「歎無常文」、拙訳)
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 口から出る虚飾の言葉、恒に自分のメンツにこだわる。自分の責任認めずに、神仏や恩師にすらなすりつけ謗(そし)る・・・。
 「清浄・光明・大力・智慧」は、マニ教の「四処の仏」。「清浄」は光明世界(明界、天国)の主である明尊。「光明」は、明界から派遣され、悪魔たちが呑み込んだ光のかけらを吐き出させた浄風仏(浄風明使)が造った、太陽と月。「大力」は、最初の戦いのときに悪魔たちに呑み込まれ、その後すべての被造物の中に混在し救出を待っている、五種の光のかけら(五明子)。「智慧」は、明尊から派遣されたすべての光明の使者たち。
 この世界は誰がどのように作ったのか?マニによれば、明界と暗界の最初の戦いで悪魔たちに捕らわれた先意仏(善母仏の息子)を、善母仏と浄風仏が手をさし伸べて救出し、倒した悪魔の遺体で八層の地を、皮で十層の天を造ったのでした。先意仏を救わんとする浄風仏の呼びかけと先意仏の応答も神格化され、「観音」と「勢至」と漢訳されています(「下部讃」)。この天地を、浄風仏の五人の息子たち(持世明使・十天大王・降魔勝使・地蔵明使・催光明使)が
「光明の身の療養所、また暗黒の悪魔たちの牢獄」(「摩尼教残経」)として維持管理しているのです。さらに、浄風仏は十層の天内に監禁された悪魔たちから抽出した光のかけらを集め、太陽と月を造ったのでした。
 万物の帰する所は?マニによれば、現在混じりあっている光と闇、明性と暗性は、やがてイエスによる最後の審判で完全に分離され、すべての光は永遠の明界(天国)へ、すべての闇は永遠の暗界(地獄)へとそれぞれ帰します。マニがササン朝ペルシア第二代皇帝・シャープール一世に献じた著書「シャープーラカーン」には、「マタイによる福音書」第二十五章三十一~四十六節と同じ内容が記されています。
「・・・王は右側にいる人たちに言う。「・・・お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた・・・わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」・・・王は左側にいる人たちにも言う。「・・・お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いていたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに訪ねてくれなかった・・・この最も小さいものの一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。」こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」(「マタイによる福音書」)

中国は三国志の時代、日本は邪馬台国の卑弥呼の時代であった三世紀。マニはペルシアで、ザラスシュトラ・仏陀・イエスに続く預言者の自覚をもって、民族や言語を超えた光の福音を説き始めたのでした。

「正法に於て踴躍し堅牢に
智恵を勤修して法の如くに住す
共に一切の悪しき軌儀を捨て
決定して解脱の處に心を安んぜよ

寧(むし)ろ今自在に性を為(おさ)めんが故に
能く一切の愛欲の習いを捨てよ
無常忽ちに至り来て相逼(せま)らば
時に臨んで懊悩するも悔い何(いず)くにか及ばん?

子細に世間の下を尋思せば
憑(たの)むに堪ゆる一事もあることなし
親戚男女及び妻妾
無常の日は相替えられず

唯だ両般の善悪業有り
彼の仏性に随いて将に行き坐せん
一切の栄華 珍しき玩具
無常の日には皆須(すべから)く捨つべし

智者は覚り察して預(あらかじ)め前に修し
魔王に生死を侵されず
能く恩愛と諸の栄楽を捨て
即ち三毒五欲の沈(にごり)を免(まぬが)る

普(あまね)く心斉(ひと)しく正路を登り
速やかに涅槃を獲(え)て国土を浄めんと願う
七厄も四苦も彼(かしこ)に元なし
是の故に名づけて常楽の處と為す」
(末思信(マール・シシン)「歎無常文」、拙訳)
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 この世で自分のやったことの報いは、親戚も家族も身替わることはできません。自分の所有物だと思っていたものもすべて手放さざるを得ず、残るは己れの善業と悪業、内なる明性と暗性のみ。はたして私は明界に、天国に、常楽世界に、浄土に往くことができるのでしょうか・・・。己れの内なる暗性と明性、悪業と善業の自覚なしには、それは無理でしょう。
 かつて、西はローマ帝国領の北アフリカからスペイン、東はウイグル、中国江南まで広まったマニ教。今や教団は滅び、その教えは断片的にしか伝わっていません。が、命を懸けて伝道されたマール・マニやマール・シシンが遺した教えは、安易な楽観にも絶望的な悲観にも陥ることなく、人間の内なる悪と善を、暗性と明性を照らし出してくれます。
 仏教、神道、道教、キリスト教等の諸尊を拝みつつも、一宗一派に固執することなく、マール・マニが示された光のふるさと目指して順禮を続けてゆこうと思います。

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝