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歎無常文2 生時裸形死も亦しかり

(承前)

「肉身を愛惜するも終に須(すべから)く捨つべし
但だ是れ生ぜし者は皆滅に帰す
一切の財宝及び田宅
捨てざらんと意(こころ)欲するも終に相別る

縦(たと)い世界に於て栄華を得るとも
心を摧(くだ)いて須く生死の苦を厭うべし
憍慢及び非なる為(わざ)を捨て除き
意(こころ)を専(もっぱ)らにして涅槃の路を勤修せよ

生時裸形 死も亦爾(しか)り
能く多く積聚せしも常住に非ず
男女妻妾 厳身具
死後他に留まり別主に供わる

迥(はる)かに独り羞(はじ)と並びに悪業を将(も)て
無常の已後 背に擔(にな)い負う
平等王前 皆理を屈(ま)げて
却って輪廻生死の苦に配せらる

還(ま)た魔王に綰(つな)ぎ摂(と)られる所
善き縁に遇わず漸(ようよ)うに濁を加う
或いは地獄に入り或いは焚焼され
或いは諸の魔と共に永(とこしえ)の獄に囚(とら)わる

歌い楽しみ舞い㗛(わら)う諸の音楽
百味を喫(く)い噉(くら)い田宅を営むも
皆夢見しが如く皎(しろ)く無に還る
子細に思惟するも倚(よ)り託(たの)むものなし」
(末思信(マール・シシン)「歎無常文」、拙訳)
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 私たちは一糸もまとわず、裸で産まれます。死ぬときも何一つあの世へ持ってゆくことはできません。自分の所有物だと思っていたものも、死ねばすべて他人の物となるか、処分されます。裸の身に背負えるものは、自分の恥と悪業のみ。私たちを裁く平等王の前で言い分けしても許されず、生死輪廻の苦しみを繰り返すか、地獄に落とされるか・・・。この世の楽しみは夢幻の如く、何一つ永続するものなどありません。
 「平等王」とは、中国で九世紀頃に成立した閻魔王を始めとする「十王信仰」の第八王ですが、十王信仰成立以前は、インドの閻魔王の意訳が「平等王」でした。カシュガル出身の唐僧・慧琳の「一切経音義」(783~807執筆)に
「梵音爓魔、義は翻じて平等王と為す、此れ生死罪福を司典(つかさど)る。」
とあります。この「歎無常文」を含む敦煌出土のマニ教文書「下部讃」は、八世紀に漢訳されたものと思われます。中国に布教したマニ教徒たちは、インドの閻魔王の意訳である「平等王」の名を借りて訳したのでしょう。しかし、マニ教における「平等王」はインドの閻魔王そのものではなく、イエスが呼び出した裁判官です(コプト語のマニ教文書「ケファライア」)。

「世諦の暫時の諸(もろもろ)の親眷
豈(あ)に殊なる客館に寄住せん?
暮れには則ち衆人共に止宿するも
旦(あした)には則ち分離し本土に帰る

妻妾男女は債主の如し
皆過去に由りて相侵害す
是の慈悲併(あわ)す怨家の賊
意(おも)い分かるる所以(ゆえ)に他の力に還る

肉を食う衆生の身は塚(はか)に似て
又復(ま)た底なしの坑(あな)に異ならぬ
枉(ま)げて殺す無数の群生類
供給す三毒六賊の兵に

仏性湛然として在中に閉ざし
煩悩逼迫 恒に苦しみを受く
貪(とん)婬(いん)饑(う)えの火及び先だつ殃(わざわい)
相煮られざること一時もあるなし

世界の悪に漸(すす)むこと恒に忽ち迫り
上下相管して歓びも娯しみもなし
衆生唯だ加う多くの貧苦
富者は魔が駈りたてて停住(とど)まることなし

修善の人は極めて微少
造悪の輩(やから)は辺畔(ほとり)なし
貪婬饞(むさぼ)りの魔 熾燃たる王
縦(たと)い善き縁に遇うとも却って退散す」
(末思信(マール・シシン)「歎無常文」、拙訳)
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この世における親類眷属も、家族も、いつまでも一緒にいることはできません。自分の内なる明性・仏性を忘れて無明煩悩をほしいままにし、他の生きものたちを傷つけ殺し、味わい楽しむ。善い縁に会ったとしても長続きせず、堂々めぐりの元の木阿弥・・・。私はいったい、いつまでこんな人生を続けるのでしょう・・・。
(続く)

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝