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歎無常文1 さばくの中の化城閣

「無常を歎ずる文     末思信(マール・シシン)法王 暴君の為に逼(せま)られ、因りて即ち之を製(つく)る。」

 マール・シシン(「マール」は「師」の意)は、三世紀のペルシャの人。ササン朝ペルシア第二代皇帝・シャープール一世の治下、ザラスシュトラ・仏陀・イエスに続く預言者として伝道を始めたマール・マニの弟子で、マニがバフラーム一世あるいはバフラーム二世に投獄され殉教(274あるいは276、277)された後、師の後を継いで教団の法王となりました。そのおよそ十年後、マール・シシンもバフラーム二世の迫害を受け、殉教されたのでした。「歎無常文」は、師・マニの教えに殉じたマール・シシンの、後世の私たち人類への遺言です。
 マニの教えは八世紀までには中国(唐)に伝わり、ウイグル帝国の国教ともなりました。「歎無常文」が収められている敦煌出土のマニ教文書「下部讃」もその頃漢訳され、八~十世紀に書写されたようです。三十六の偈からなるこの「歎無常文」を、六偈ずつに区切って読んでゆきます。

「汝一切の智人の輩(ともがら)に告げん
各(おのおの)活ける命の真実の言(ことば)を聴け
智を具(そな)えし法王 忙你(マニ)仏は
咸(みな)皆に顕現す 目前の如くに

我ら既に大聖の悟りを蒙らば
必ず須(すべから)く諸(もろもろ)の恩愛を捨て離れ
決定して正法の門に心を安んじ
涅槃を勤求し火の海を超ゆべし

又上(すぐ)れし相の福徳の人に告げん
意(こころ)を専(もっぱ)らにして解脱を勤求する者は
努力精修して閑暇なく
速やかに即ち諸の生死の怕(おそ)れを離れよ

一切の世界は常住に非ず
一切の倚(よ)り託(たの)むもの亦真に非ず
彼の磧(さばく)の中の化城閣
愚人は奔(はし)り逐いて其の身を喪う

世界の栄華と及び尊貴
少(わず)かの福徳もて自在なる者は
四山の頭(かしら)に雲湧き起こるが如く
聚(あつ)め風もて吹かば速やかに散り罷(や)む

臭穢の肉身は久住に非ず
無常の時至らば並(みな)破れ毀(こぼ)れる
春の花と葉の暫(しば)し柯(えだ)に栄ゆるが如し
豈(あ)に堅牢にして恒に青翠なるを得ん?」
(拙訳)
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 マニはアラム語で「Mani hayya」(活けるマニ)と呼ばれていました。敦煌出土の「摩尼光佛教法儀略」(開元19年(731)漢訳)には、マニの名号の訳として「光明使者」「具智法王」「摩尼光仏」の三つが記されています。その教えの基本は「二宗三際」、「二宗」とは光明の世界(天国、明界)と無明の闇の世界(地獄、暗界)であり、私たちすべての被造物の内なる明性と暗性です。「三際」とは初際・中際・後際の三時で、「初際」は天地が創られる以前、光と闇が侵すことなくあった時代。中際は暗界の勢力と明界の使者との戦いの時代、明性と暗性の混合物であるすべての被造物の内なる五種の光のかけらを、傷つけることなく解放し、浄化して光の世界へと帰してゆく時代。「後際」は光のかけらが回収され、すべての光は永遠の光に、すべての闇は永遠の闇に帰す時代。
 この世は常住不変ではなく、移ろってゆくもの。欲望のままに極めた栄華も、永遠にと願った幸せも、砂漠の中の蜃気楼の如く、山に湧いた霧の如く跡形もなく消え去ってゆきます。春に咲いた桜の花はたちまちに散り、葉が出て実が成り、やがてすべての実も葉も落ち尽くします。変わらぬものは、いったいどこにあるのでしょう?

「当に肉身を造るは巧(うま)き匠に由るべし
即ち是れ虚妄の悪魔王
斯(かく)の如き窟宅を成就するのみ
明性を綱(つな)ぎ捕らえて自ら潜(ひそ)め蔵(かく)す

恩(いつくしみ)なき飢火充(み)ち連鎖して
衆生を殺害すること停住(とど)まらず
終日諸(もろもろ)の身分を食い噉(くら)う
仍(すなわ)ち生死の苦しみ免(まぬが)れず

一切の諸の財宝を積聚するは
皆悪業と妄語に由る
無常の日に並(みな)悉く留むれば
仍ち明性のために充(あ)てて杻(てかせ)と為る

先ず無明恩愛の欲を断つべし
彼は是れ一切の煩悩の海なり
未来には彼に縁(よ)りて諸の殃(わざわい)を受け
現世には充(あ)てて仏性の械(あしかせ)と為る

苦なるかな 世間の衆生の類
誠信に正しき路を尋ぬる能わず
日夜に財を求めて暫しも停まらず
皆肉身の為に魔主を貪る

肉身破壊すれば魔即ち出で
罪業の殃(わざわい) 清浄の性に及ぶ
随所生まるる處に諸の殃受くは
良(まこと)に前身の業の不正の為なり」
(拙訳)
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 マニの教えによれば、最初の人類であるアダムとイヴは、暗界の悪魔たちによって創られました。暗界の悪魔たちと明界の使者たちとの戦いの過程で、五種の光(気風明水火)が悪魔たちの体内に摂取され、これらをつなぎ止め蓄積しておくべく、明界の使者の姿に似せてアダムとイヴが創り出されたのでした。しかし、アダムは明界の使者の一人である光輝のイエスによって、自分の内なる暗性と明性の由来に目覚めます。そして、「明性」(仏性、清浄性)の解放と完全なる人間回復への戦いは、マール・マニやマール・シシンらの殉教、マニ教団の発展と消滅を経た現在も、続けられているといえましょう、意識するとしないとに関わらず。
 財欲は明性の手かせ、愛欲は仏性の足かせとなって五種の光のかけらをつなぎ止め、それらの欲を満たす悪しき業によって、死の後も生まれかわり死にかわり苦しみを受けることになるのだ、とマール・シシンは説きます。

(続く)

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松尾如秋

Author:松尾如秋
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、森羅万象を統べているものとの一対一の対話
白山と、白山に育まれているすべてのものへの讃歌
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝