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豪潮律師忌/熊本順拝

 豪潮律師のご命日・7月3日午後、律師が遷化された名古屋から新幹線で律師の故郷・熊本へ。東海地方は好天でしたが九州に台風接近中、山口辺りから強風のため速度を落として走行。九州に入ると、雨はさほどではないものの風強く、博多に約10分遅れで到着。乗り換え予定だった九州新幹線さくら号には間に合わず、つばめ号に乗って熊本へ。豪潮律師が最初に起てた八万四千塔(宝篋印塔)がある基山・大興善寺の西を南下し、豪潮律師の故郷・玉名の町を望んで18時半前に熊本に到着しました。
 雨は降っておらず、駅から北へ歩を進めて花岡山麓の清水寺(天台宗)に参拝。新幹線からも見えた高台の境内にて豪潮律師の宝篋印塔を礼拝し、南からの突風の中、宝篋印陀羅尼を誦して豪潮律師を供養しました。


清水寺の宝篋印塔は文化2年(1805)の建立、さほど大きな塔ではなく、平戸・最教寺の宝篋印塔と同じくらい(2~3m)の初期の宝塔。塔身下段の正面には「シッチリヤ」の梵字、側面には「宝篋印陀羅尼経」の経文。



能く此の塔に於て
一香・一華もて
礼拝供養するならば
八十億劫にわたる
生死の重罪は
一時に消滅するであろう

なぜならば、この塔は過去のすべての仏さまの舎利(ご遺骨)と現在・未来のすべての仏さまの分身を包含する「宝篋印陀羅尼」を納めた宝塔であり、この塔を礼拝供養することは、過去・現在・未来の三世のみ仏とその教えを礼拝供養することに他ならないからです。
 清水寺本堂にて般若心経をお唱えして境内を出、享保年中(1716~36)に熊本の放牛和尚が父の菩提を弔うために建立したお地蔵さまに参拝。


百体の石仏の中の、五体目であるようです。放牛石仏から花岡山へと登ってゆき、19時すぎに山頂の仏舎利塔に参拝。


阿蘇出身の藤井日達聖人が昭和29年(1954)に建立した宝塔で、同年、インドのネール首相が日本に贈った十粒の仏舎利(お釈迦さまのご遺骨)のお一つが祀られています。ネール首相の仏舎利は、長崎・浦上の平和公園内にある「原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂」にもお祀りされています。


(2015年7月参拝時)
仏舎利塔にて法華経如来寿量品偈と舎利礼文をお唱えし、万徳円満のお釈迦さまと、豪潮律師を礼拝供養。山上から市街の灯りや熊本城、雲に覆われた阿蘇山の裾を望み、山を下りました。


 翌7月4日早朝、路面は濡れているものの雨は止み、風も穏やか。熊本大神宮に参拝し、北十八間櫓を経て修復中の天守閣を見上げました。


上空には、二十夜の月。5時に加藤神社参拝、二年前(2016年4月)の大地震の爪痕がまだ至る処に残っている熊本城の、復興をお祈りしました。


城の北へ下り東へ歩を進め、藤崎八幡宮に参拝。


近くにある、豪潮律師の宝篋印塔がある報恩寺(曹洞宗)を目指しました。が・・・門前に着くと、建物も境内もまだ被災したままであることに気づかされました。


豪潮律師の宝篋印塔は文化12年(1815)の建立、基礎が低いので高さはありませんが、塔身から上はかなり大きな作りで、元は立派な基礎の上に乗っていたことでしょう。


宝篋印陀羅尼と念仏をお唱えし、豪潮律師と、二年前の熊本地震で亡くなられた方々を供養すると共に、熊本の復興を改めてお祈りしました。隣にも小振りの宝篋印塔があり、天保五年とあります。天保5年(1834)は、豪潮律師遷化の前年です。
 報恩寺ご本尊の十一面観音さまに般若心経をお唱えし、西へ歩を進めて坪井川を渡り、6時に流長院(曹洞宗)参拝。


境内は二年前(2016年)の10月に参詣した時とあまり変わっていないようで、報恩寺と同様です。宝篋印塔は豪潮律師の八万四千塔ではありませんが、先ほどと同じく宝篋印陀羅尼と念仏をお唱えし、震災犠牲者のご冥福と熊本の復興をお祈りすると共に、豪潮律師より二百年ほど前の十七世紀前半にこの寺で修行された桃水和尚・恵中和尚・雲歩和尚の徳行を偲びました。桃水和尚は、後に肥前島原・禅林寺(現・本光寺)に住した後、寺を出て京都や大津などで社会の底辺の人たちと同態となり、菩薩行を実践されました。恵中和尚と雲歩和尚は、江戸に出て晩年の鈴木正三和尚に入門し、一宗一派を越えた正三道人の教えを実践し、後世に伝えました。
 流長院から西側へ進んで瀬戸坂を登り、北へ。6時半前に往生院(浄土宗)参拝、念仏をお称えしました。


境内には、昨日花岡山の麓で拝んだ「放牛石仏」の、百体目のお地蔵さまがおられます。


そして、その近くの片隅に、地震で倒壊したままの豪潮律師宝篋印塔。


文化4年(1807)の宝塔ですが、塔身上段から上は地面に転がっています・・・。



「爾の時、世尊、彼の朽ちたる塔を礼して右遶三匝したまい、身の上衣を脱ぎて用いて其の上を覆い、ゲン然(「ゲン」はさんずいに玄)として涙を垂れたまう。」
「仏、金剛手に告げたまう、此れ土聚にあらず、乃ち是れ殊妙の大宝塔なり。」
「是の塔は堅固にして滅せず、一切の如来の神力に持せらるるなり。無智の衆生は惑障覆蔽して徒(いたずら)に珍宝を朽ちらして、採り用ることを知らず。是の事を以ての故に、我今涙を流せり。彼の諸の如来も亦、皆涙を流したまう。」
「或いは人の力に随いて、一丸の泥を以て塔の壊れし壁を塗り、一拳の石を運びて塔の礎の傾けるを扶くならば、此の功徳に由って福を増し寿を延べ、命終の後は転輪王と成らん。」(「宝篋印陀羅尼経」)

過去・現在・未来の三世のみ仏の三身(法身・報身・応身)を納めた、時空を超えた舎利塔である宝篋印塔を礼拝供養すること、それは、お釈迦さまの一粒の舎利に万徳を礼拝供養することと、異なりません。摧壊崩倒した宝篋印塔の御前で宝篋印陀羅尼と念仏をお唱えしていると、私たち生きとし生けるものを憐愍したまうお釈迦さまの涙が、ひしと感じられるのでした。


 昨夜から今朝にかけて、熊本市内の豪潮律師宝篋印塔を三ヶ所順拝しました。熊本市内には、他にも豪潮律師の宝篋印塔(八万四千塔)が起つ寺院はいくつかあります。豪潮律師は天台宗の僧であり、律師の八万四千塔も天台宗の寺院に建立されていることが多いようですが、今朝順拝した寺院は曹洞宗と浄土宗。豪潮律師の八万四千塔の行願は、一宗一派を超えた大願でありました。
 上熊本駅から電車に乗り、豪潮律師の故郷・玉名へと向かいました。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝