FC2ブログ

記事一覧

パンデミック「再」宣言

20210114103651868.jpg
 新年早々、再び発令された緊急事態宣言。昨年(2020)4月7日に七都府県に発令され、4月16日に全土に拡大されて以来、九ヶ月ぶりの発令です。今回は1月7日に一都三県に発令、13日に十一都府県に拡大され、期間は今のところ2月7日まで。昨年四月五月の緊急事態宣言下、野人は老子爺さんの「道徳経」五千言と日々向き合い、中国語で読誦し「パンデミック訳」しつつ、パンデミック下さらにパンデミック後をいかに生きていったらよいのかを学びました。野人のパンデミック下の生活を支えてくれているのは、神さんでも仏さんでも妖怪なんぞでもありません。慈しみをもって倹(つま)しく控えめに、朴訥と語ってくれる老子爺さんの、「五千言」です。
20200411153355cea.jpg

「私には三つの宝物があり、いつも大事に持っている。
一に慈しみ、二に倹(つま)しさ、三に敢えて先にやらない。
人々を慈しめばこそ、勇気をもって立ち向かえる。
倹しくあればこそ、物も心も広くゆき渡る。
自分のことは後回し、だから万物の長となる。
今、人々への慈しみを捨てて勇んで出かけたら、
倹しさ捨てて大盤振る舞いしたら、
延期せずに実行したら、
多くの人が死んでしまうだろう!
人々を慈しめばこそ、この戦いに勝ち、固く守れる。
天の助けというものは、慈しむ者をこそ守るのだ。」
(「老子」第六十七章、パンデミック訳)

老子爺さんの「三つの宝」は、長引くCOVID-19の困難を乗り越えるための宝ともいえましょう。
 一つめの宝は、慈愛に基づいた勇気。

「普段どおりに敢えてやる勇気は人を殺し、
自粛する勇気は人を活かす。
人を利し人を害する、二つの勇気。
天のジャッジは計り知れない。
天の道というものは、争わずに勝ち、言わずに応(こた)え、
招かれずとも自(おの)ずからに来、
寛大でしかもよく謀る。
天のネットは広大無辺、網目粗いが誰も逃さぬ。」
(「老子」第七十三章、パンデミック訳)

慈愛に基づく勇気とは、自分ファーストな勇気ではなく、他者を、周りの人たちを慈しみ思いやる勇気です。

「私が大病を恐れるのは、わが身に強くこだわるからだ。
わが身は差し置き人の身になれば、重い大病はどこにあろうか?
だから、身をもって天下に尽くすことを重んじるなら、
天下を委(まか)せることができる。
身をもって天下に尽くすことに熱心なら、
天下を任せることができる。」
(「老子」第十三章、パンデミック訳)

前半の原文は
「吾所以有大患者、為吾有身也。及吾無身、吾有何患?」
十一世紀の宋の詩人・蘇東坡は晩年、老子のこの文に基づいて

「大患は身有るに縁る
身無ければ則ち疾無し」

と詠んでいます(「答径山琳長老」)。他者を慈しめばこそ、自粛する勇気が生まれます。他者を慈しめばこそ、わが身を差し置き、身をもって患者に尽くすこともできます。このパンデミック下でこそ大切な、慈愛の心。

「自分の生活ばかり求めぬ者こそ、自分ファーストな者に勝(まさ)る。」
(「老子」第七十五章、パンデミック訳)
 二つめの宝は、倹(つま)しさ。倹しくあればこそ、物も心も広くゆき渡ります。

「天の道は、弓を張るのに似ている。
高いものは抑え、低いものは挙げる。
余ったものを減らし、足りないものを補う。
だから天の道は、余った分で不足を補う。
人の道はそうじゃない、
足りないものから搾(しぼ)り取り、余ったものに貢ぐ。」
(「老子」第七十七章、パンデミック訳)

COVID-19のワクチンも、金持ちな国や団体、個人が溜め込まぬようにしてほしいもの。倹しさとは、足るを知ることです。

「多欲よりも大きな罪はなく、
足るを知らぬよりも大きな災いはなく、
欲得づくよりもひどい咎(とが)はない。
だから足るを知ることに満足するなら、
いつでも満ち足りていられるのだよ。」
(「老子」第四十六章、パンデミック訳)

 三つめの宝は、自分は後回しにして譲ること。

「聖人は自身を後回しにして、かえって先になり、
自身を度外視して、かえって身を保つ。
自分のことばかり考えない、だから自己を実現できるのだ。」
(「老子」第七章、パンデミック訳)

前半の原文は
「聖人後其身而身先、外其身而身存。」
曇鸞法師(476~542)は、大乗仏教の菩薩が生きとし生けるものの煩悩の草を焼こうとし、皆が仏となれるまでは自分は仏にならない、と誓いつつも自分が先に仏となるのを、木製の火かき棒に譬えて
「後其身而身先」
と「老子」の文を引用しています(「浄土論註」)。曇鸞法師は、菩提流支三蔵に出会って浄土の教えに帰依するまでは陶弘景(456~536)に道教を学んでいました。そのためか、「浄土論註」には老子爺さんの五千言の中の語がいくつか見られ、「抱朴子」からの引用もあります。聖人も菩薩も、
「自身を後回しにして、かえって先になり、
自身を度外視して、かえって身を保つ」
もののようです。
 「荘子」内篇・養生主篇によれば、老子爺さんが亡くなった際、弔問に来た友人の秦失(しんいつ)爺さんは三度泣いただけで退出し、老子爺さんの弟子にこんなことを言いました。
「老子爺さんがこの世に生まれたのもこの世を去ったのも、天地自然の道理のままに去来されたのじゃ。楽しみからも哀しみからも解放されたお方なのじゃよ。」
そのすぐ後に、こう記されています。

「指は薪をくべるのに窮まっても、火は伝わってゆく、尽きることなく。」(拙訳)

この「指」は、曇鸞法師が菩薩の生き方に譬えた「火かき棒」を思わせます。薪をくべ、人々のために尽きることのない教えの「火」を残して、老子爺さんは去っていったのでした。
 「慈しみ」「倹しさ」「自分は後回し」。この三つの宝物が本当に身についたら、どうなるのでしょう?老子爺さんの「道徳経」五千言の最後の文に、こうあります。

「聖人は何も蓄えない、
すべてを人のために使って、
自分はますます豊かになる。
すべてを人のために与えて、
自分はますます有り余る。
だから天の道というものは、
利益を与えて害さない。
聖人の道というものは、
何をやっても争わない。」
(「老子」第八十一章、パンデミック訳)

老子爺さんの説く「聖人の道」は、此処に至れば「菩薩の道」「仏の道」と一つでありましょう。
 新たに始まった、緊急事態宣言下の生活。昨年四月に発令された時は、一ヶ月で解除できずに五月まで延長されました。今回も一ヶ月で終わるとは限りません。COVID-19はどんどん変異してゆきます。いつまでも「新型コロナ」のままではありません。私たちも意識と行動を変えてゆかねばならないはず。昨年5月22日の拙文を再掲します。

「天地自然の道というものは、パンデミック以前も以後も変わらないし、戦前も戦後も変わらないし、産業革命前も後も、四大文明以前も以後も、恐竜絶滅以前も以後も、天地ができる以前も以後も変わらない。老子爺さんは、その変わらぬもの、誰もの根源でありすべてのもののルーツであるものを指し示し、それにかなった生き方を書き残して去った。老子爺さんの言葉は、私たちを本当のルーツへと立ち返らせてくれる。COVID-19以前も以降も、天地自然の道は変わらないし、老子爺さんの教えも変わらない。変わったのは人間とウイルスの活動であり、変わってゆくのも人間とウイルスの活動だろう。人間もウイルスも、「おのおの根源に復帰してゆく」ことができるだろうか。私も残された人生で、本当のルーツに復帰してゆくことができるだろうか。」
(「パンデミック訳「老子」23 根源に帰る)
blog_import_5c781bbd5be13.jpeg

(巻頭写真は昨年(2020)末の満月)

関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝