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初詣 中洞白山神社~庵の庭~神野

 COVID-19の第三波で、今までにないお正月。年末年始は雪も積もり、野人の車の調子も悪い・・・これも、遠出を控えよとの白山権現のお諭しなのでありましょう。
 2021年1月4日、岐阜県山県市の中洞白山神社に長靴履いて初詣。
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此処には昔から明智光秀公のお墓や産湯の井戸があり、辺りに山崎の合戦(天正10年(1582))で生き延びた光秀公が隠れ棲んでいたと伝わります。昨年始まり、COVID-19の影響でまだ続いている大河ドラマ「麒麟がくる」のおかげで、昨年は立派な駐車場も作られ、お墓への登り坂も整備されました。
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 光秀公のお墓と伝わる宝篋印塔に参拝。
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宝篋印塔とは、過去の一切の仏さまの舎利(ご遺骨)であり現在・未来の一切の仏さまの分身である、宝篋印陀羅尼を納めた宝塔。

もし有情(衆生)あって
よくこの塔において
一香・一華をたむけて
礼拝供養すれば
八十億劫にわたる
生死の重罪は
一時に消滅し
生あるうちは災殃を免れ
死ののちは仏の家に生まれるであろう
(「宝篋印陀羅尼経」、拙訳)

宝篋印陀羅尼と念仏をお唱えして光秀公の菩提を弔い、当地有縁の生きとし生けるものの現当二世安楽をお祈りしました。
 中洞白山神社は参集殿と阿弥陀堂が並んで建っており、神と仏を同時に拝めます。阿弥陀堂は、光秀公のご母堂が天正17年(1587)に土岐氏の菩提を弔うために建立したそうです。
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今年(2021年)は、白山加賀馬場・笥笠中宮(けがさのちゅうぐう)に西因上人が阿弥陀さまの像を祀って念仏三昧を行じ、白山有縁の生きとし生けるもののために大願を発されてからちょうど九百年。阿弥陀三尊に西因上人願文と念仏をお称えしました。

「弥陀の白毫一たび照らさば、煩悩の黒業悉く除かれん。」
(藤原敦光「白山上人縁記」、西因上人の願文、原漢文)

 参集殿にて白山権現王子眷属に初詣。社伝によれば、嘉吉3年(1443)に当地・中洞庄の中洞左ヱ門大夫頼通の長男・頼道が白山に詣で、白山大権現の霊石のご分身を戴いて神野山神明の森の神明神社内に祀り、その後、上街道東谷に遷座。天文12年(1543)より現在地に鎮座しているそうです(岐阜県神社庁HP)。光秀公が生まれたのは享禄元年(1528)、天文12年は十六歳で元服した年です。旧鎮座地は現在地の近辺であり、幼少の頃は母と共に「上街道東谷」にお参りに行っていたのでしょうか。
 参集殿と阿弥陀堂のまん中に、参道が北西の山へと続いています。
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山の中腹に社があり、享禄3年(1530)に建て替えられたとの記録があるそうです。
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このお社は光秀公の生前からあったのでしょう。白山権現にお参りし、参道途中から東へ。雪の薄藪下って谷を渡り、国道に上りました。
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国道を渡って「庵の庭」の登り口へ。「庵の庭」とは、光秀公のご母堂が土岐家の菩提を弔うために建てたという、仏光山西光寺の旧跡。此処に登るのは2015年7月以来、六年ぶりです。雪に覆われた山道登ってゆくと、上の方を白いお尻のシカたちが鳴きながら駈けてゆきました。
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シカの足跡辿って上へ。
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雪は深い処で二十センチ弱。谷から二十分ほどで「庵の庭」に着きました。
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傍らにある滝の水で手と口を清め、五輪塔にお念仏。
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光秀公のご母堂は慶長9年(1604)、此処にあった庵で亡くなったそうです。
 当地の伝説によれば、天正10年(1582)に羽柴秀吉との山崎の合戦で討たれたのは光秀公の影武者・荒木行信で、光秀公は荒深小五郎と名を変え、西光寺の林中に隠棲したとのこと。その後、雲水姿で諸国を巡り、慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で東軍に参加すべく出立したのですが、ほぼ中間の藪川(根尾川)で洪水に流され、落命されたのでした。
 庵の庭から来た道を戻り、途中から分岐を上へ。津島神社に牛頭天王(素戔烏尊(スサノヲノミコト))を拝み、疫病退散祈願。
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さらに登ってゆくと、急峻な岩場に大黒さまが祀られていました。
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今宮戎神社です。足元は危険ですが、とても見晴らしのよい処。南麓に白山神社、彼方に百々ヶ峰(どどがみね)と岐阜市街、金華山(岐阜城)もわずかに頭を覗かせています。
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南西には「荒深小五郎」が目指した関ヶ原。
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伊吹山は雲に隠れていますが、霊仙山は雪を被っています。南東には明智庄があった東濃方面。
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山を北に越えれば、荒深小五郎は洞戸~板取を経て越前にも出られます。
 岩場の上の大黒さまは、この2021年の初詣にうってつけ。大黒さま、即ち大国主神(大己貴尊(オホナムチノミコト))は素戔烏尊の子孫。わが国の国作りをされて天照大御神の子孫に国を譲り、幽世(かくりよ)の神となられたお方。白山に於いては、白山三所権現の越南知権現(本地・阿弥陀如来)として白山大汝峰におられ、白山妙理大権現(本地・十一面観音菩薩、垂迹・伊弉諾尊(イザナギノミコト)伊弉冊尊(イザナミノミコト))を補佐しておられます。大黒さまに柏手を打って神語をお唱えしました。
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 西に、白山神社の裏山の奥に土岐氏の居城・大桑城(おおがじょう)の古城山望みつつ、国道へと降下。
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国道離れて南東へ、白山神社駐車場を通過して西洞川沿いに道を歩んでゆきました。
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この辺りの字名は、「上ノ街道」。中洞白山神社は現在地に遷座する前は、「上街道東谷」にあったのでした。「東谷」がどこのことかは分かりませんが、山の東側に回った辺りのどこかでしょうか。
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此処から北へ山を越せば、洞戸に出ます。南へ下ってゆくと、西洞川に「神明橋」が架かっていました。
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中洞白山神社の最初の鎮座地は、「神野山神明の森の神明神社」。この辺りの字名は下神野、西に聳える山の反対側は上神野。
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この山が「神野山」でしょう。
 「神野山」に登る前に、南下して武儀川に降り「行徳岩」へ。
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光秀公が生まれる前、ご母堂がこの岩の上で「生まれる子が男であったら、三日でも天下を取るような子に・・・」と祈ったそうです。行徳岩から先ほどの山の麓に戻り、稲荷社に参拝。
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社から山に突入し、薄藪の中を登ってゆきました。途中から山道らしきものを辿り、雪を踏みつつ上へ。樹間に、北東から東に汾陽寺山~権現山~天王山。
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やがて社の跡に出、参拝。
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数年前までは社(金比羅社?)もあったようです。西の麓には、行徳岩がくっきりと見えました。
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 社の跡から少し登ると、三角点のあるピーク。
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尾根はさらに北へと続き、北西に土岐氏の居城・大桑城があった古城山を遥拝。
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大桑城には越前・一乗谷のような城下町があったようです。雪の尾根道には獣の足跡。
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北には「庵の庭」の山。一旦下って次のピークへと登ってゆきます。
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少し開けた処があり、社でもあったのかな?と思いつつ歩を進めると、愛宕神社の石碑が現われました。
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参拝してピークへ。
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この真下を、国道のトンネルが通っています。ピークから中洞白山神社を目指し、藪中を徘徊。此処からは野人好みの、道なき雪と藪。
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沢を渡り、山腹をせっせと(クマと間違えられぬよう忍び足で)進んでゆきました。雪に湿った藪の露で上着はジットリ。藪を漕いでゆくと、ようやく前方に白山神社が見えてきました。
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雪原の向こうに光秀公のお墓と、阿弥陀堂と参集殿。
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パンデミックの藪を抜ければ、そこには白山三所権現がおられ阿弥陀三尊がおられます。2021年の白山順禮は、雪と藪からスタートしたのでした。

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝