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白山上人縁記3 願文

(承前)

 「西因便(すなわ)ち大願を発(おこ)して曰く、
若し白山の名を聞く善悪諸衆生、生死に流転せば、我れ即ち成仏せじ。若し此の善に結縁する遠近諸衆生、極楽に坐せずんば、我れ即ち往生せじ。」

奈良時代に白山を開山された泰澄大師は、白山三所権現を御前峰の白山妙理大権現=十一面観音菩薩を中心に、別山大行事権現=聖観音菩薩と大汝峰の越南知権現=阿弥陀如来が補佐する形で拝みました。しかし、「続古事談」に
「白山の西因上人かたりけるは、三所権現は、阿弥陀・聖観音・十一面の垂迹也。」
とあるように、白山開山の約四百年後の平安時代後期、西因上人は白山三所権現を阿弥陀三尊として拝んだのでした。泰澄大師の白山三所権現の配置は、白山を西側から遥拝した時のお姿です。
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(越前大日山より拝む白山、2015年11月)
白山を南から遥拝すると、別山(聖観音菩薩)と御前峰(十一面観音菩薩)の中央奥に大汝峰(阿弥陀如来)が頭を覗かせる、山越来迎阿弥陀三尊として拝むこともできます。
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(西山より拝む白山、2018年3月)
西因上人こそは、白山三所権現を阿弥陀三尊として拝んだ最初の人なのでした。

 「我れ普賢の行を修して、無尽の世界に遍(あま)ねくし、諸衆生を引導して、無上菩提を證せん者、伏して惟(おもんみ)れば、娑婆世界、極楽国土と浄穢異なりと雖(いえど)も、機縁甚だ深し。其の中我が日本国は、仏法、他境より繁昌す。是れを以て辺鄙下賎の人民たりと雖も、誰か見仏聞法の功徳無からん。定めて知る、浄刹に因有るの輩、斯の土に生まるること明らかなり。」

「無量寿経」に説かれる、無量寿仏(阿弥陀仏)が仏と成る前に発された四十八願の第二十二願に
「たとい、われ仏となるを得んとき、他方の仏土の諸(もろもろ)の菩薩衆、わが国に来生せば、究竟して必ず、一生補処に至らしめん。その本願、自在に化せんとするところの、衆生の為の故に、弘誓の鎧(よろい)を被り、徳本を積累し、一切を度脱し、諸仏の国に遊んで、菩薩の行を修し、十方の諸の仏・如来を供養し、恒沙の無量の衆生を開化して、無上正真の道に立せしめ、常倫に超出して、諸地の行現前し、普賢の徳を修習せんものをば除く。」
とあります。西因上人は、極楽浄土に往生して一生補処(あと一生で仏となる位)の等覚の菩薩となるよりも、極楽浄土に留まらず生きとし生けるものの為に働く普賢菩薩の行を、この日本国で続けようとされたのでした。山と同じく、極楽浄土も往ったきりにするものではないようです。

 「嗟乎(ああ)、十悪五逆は風前の塵、妄想顛倒は空中の花。弥陀の白毫(びゃくごう)一たび照らさば、煩悩の黒業悉く除かれん。然れば則ち誰か観音の金台に登らざらんや、詎(なん)ぞ安養の宝池に詣でざらんや。」

「観無量寿経」に
「仏、阿難及び韋提希に告げたもう、下品下生とは、或いは衆生有りて、不善業の五逆十悪を作り、諸の不善を具す。此の如き愚人、悪業を以ての故に応(まさ)に悪道に堕し、多劫を経歴して、苦を受くること窮まりなかるべし。此の如きの愚人、命終わる時に臨みて、善知識の、種々に安慰して、為に妙法を説き、教えて仏を念ぜしむるに遇わん。此の人、苦に逼(せま)られて、仏を念ずるに遑(いとま)あらず。善友、告げて言う、汝、若し念ずること能わざれば、応に無量寿仏を称うべし、と。是の如く至心に、声をして絶えざらしめ、十念を具足して、南無阿弥陀仏と称えしむ。仏の名を称うるが故に、念々の中に於いて、八十億劫の生死の罪を除き、命終わる時、金蓮華の、猶お日輪の如くにして、其の人の前に住するを見ん。一念の頃(あいだ)ほどに、即ち極楽世界に往生することを得、蓮華の中に於いて、十二大劫を満たし、蓮華方(まさ)に開く。観世音・大勢至、大悲の音声を以て、其れが為に、広く諸法の実相と、罪を除滅する法を説く。聞きおわりて歓喜し、ただちに菩提の心を発す。」
また、
「仏、阿難及び韋提希に告げたもう、下品上生とは、或いは衆生有りて、諸の悪業を作る。(中略)命終わらんと欲する時、たまたま善知識、為に大乗十二部経の首題の名字を讃えん。是の如きの諸経の名を聞くを以ての故に、千劫の極重の悪業を除却す。智者復(ま)た教えて、合掌・叉手して南無阿弥陀仏と称えしむ。仏の名を称うるが故に、五十億劫の生死の罪を除く。その時、彼の仏、即ち化仏と化観世音、化大勢至を遣わして、行者の前に至り、讃えて言いたもう、善男子、汝、仏の名を称うるが故に、諸の罪消滅す。我れ来りて汝を迎うと。是の語を作しおわるに、行者、即ち化仏の光明の、其の室に遍満せるを見る。見おわりて歓喜し、即ち命終わる。宝蓮華に乗り、化仏の後に随(したが)いて、宝池の中に生まる。七七日を経て、蓮華乃(すなわ)ち敷(ひら)く。華の敷く時に当たりて、大悲観世音菩薩及び大勢至、大光明を放ちて、其の人の前に住し、為に甚深の十二部経を説きたもう。聞きおわりて信解し、無上道の心を発す。十小劫を経て、百法明門を具し、初地に入ることを得。」
また、
「無量寿仏を観ん者、一の相好より入れ。但だ眉間の白毫を観て、極めて明了ならしめよ。眉間の白毫を見なば、八万四千の相好、自然当現す。無量寿仏を見なば、即ち十方の無量の諸仏を見ん。無量の諸仏を見ることを得るが故に、諸仏、現前に授記せん。」
いかなる愚か者であろうとも、阿弥陀仏の無量の光明は、全宇宙の念仏する生きとし生けるものを極楽浄土に摂(おさ)め取って、決して見捨てることはないのです。
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(2014年10月登拝時)

 「若し一人も往生せざれば、我れ誓って正覚を成ぜじ。況んや此の会結縁の輩、此の地促膝(そくしつ)の人、今生には鎮(とこし)えに我が山の加護を蒙り、当来には必ず彼岸の覚位を證せん。時に保安二年六月一日。仏子西因将来に貽(のこ)す為に、揚搉(ようかく)して之を記す。」

西因上人が末法一万年の間、阿弥陀仏の教えを遺さんと、白山麓・笥笠中宮(けがさのちゅうぐう)の神宮寺で保安2年(1121)より始めた念仏三昧。上人はその五年後には白山頂部にお堂を建立し、阿弥陀三尊を祀ったようです(「続古事談」)。しかし九百年後の現在、笥笠中宮に当時の面影はなく、白山頂にはお堂も仏像も全くありません。大汝峰に祀られていた阿弥陀如来の坐像も、御前峰の十一面観音菩薩坐像、別山の聖観音菩薩坐像共々、明治の神仏分離の際に下山させられました。とはいえ、西因上人の末法一万年の大願は、式部大輔・敦光朝臣の筆によって九百年後の今に遺され、その灯火はまだ消えることはありません。
 「白山大鏡」によれば、泰澄大師は白山に三所権現を祀った後、麓に三つの道を開かれました。正殿の南道(越前禅定道)は正法明如来の道・成道転法輪の道。越南智の西道(加賀禅定道)は等覚菩薩道・証菩提の道。別山の東道(美濃禅定道)は初地の薩埵の道・菩薩説法の道。この三道は、菩薩の仏道修行の五十二の位階(十信・十住・十行・十迴向・十地・等覚・妙覚)のうちの、妙覚・等覚・初地を表しています。妙覚とは、生死輪廻を解脱した仏。等覚とは、あと一度生まれ変われば仏となる、菩薩の最高位。初地とは、十地の中の一番下の位、下から数えると四十一番目の位で歓喜地とも呼ばれます。白山に何十遍登ったからとて、私のような愚劣な野人が斯様な覚位に至れるものではありません。しかし、阿弥陀さまの教えに順えば、どんなに下劣愚凡な者でも安養の浄土に往生し、やがては初地、即ち歓喜地に入ることができるのです。この世では白山の恵みに生かされ、あの世では阿弥陀さまの大慈悲心に救われて初地の菩薩となる。西因上人は歓喜地の菩薩となった後、一生補処の等覚の菩薩にはあえてならず、末法一万年の生きとし生けるものの為に普賢の行を修し続けておられるのでしょう。
 「将来に貽(のこ)す為に、揚搉(ようかく)して之を記す。」揚搉とは、あらましを述べること。将来に貽すとは、後世の私たち日本人に遺されたのでした。何を?白山三所権現とは畢竟、阿弥陀三尊であり、幽顕、この世とあの世にわたって、すべてのものに利益を与えてやむことがないのだ、ということを。
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(西山より拝む白山、2018年3月)

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝