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豪潮水

 先週(2018年7月第一週)の豪雨で亡くなられた方は、二百名を越えました・・・。お亡くなりになられた方々のご冥福を、お祈り致します。
 岐阜でも7月3日(豪潮律師のご命日)から降り始めた雨は7月8日まで続き、長良川上流のひるがのや長滝で千ミリを超える雨量を観測しました。長滝にある白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺は、文政8年(1825)に大講堂を再建した際、8月6日より10日までの五日間、尾張・柳原の長栄寺より豪潮律師を導師に招いて本尊遷座供養が奉修されました。その後、大雨となって8月14日に大洪水が発生、柳原に帰る途中の豪潮律師一行も洲原神社の南の佐ヶ坂で足留めを食い、難渋しています(「荘厳講執事帳」)。「豪潮律師畧伝」によれば、この時の洪水は「豪潮水」と呼ばれたそうです。豪潮律師が二年後の文政10年(1827)に長瀧寺に奉納した釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩の三尊画像は、天下太平・風雨順時・五穀成熟を祈願して描かれたものです。さらに、天保4年(1833)、律師遷化の二年前、長瀧寺に豪潮律師八万四千塔の一塔である宝篋印塔が建立されました。

「若し人、暫く是の塔を見れば、能く一切の災難を除かん。・・・四大天王と諸眷属、昼夜に護衛し、二十八部の大薬叉将、日・月・五星・幢雲・彗星、昼夜に護持し、一切の龍王、其の精気を加え、時に順じて雨を降らさん。・・・経(一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼)を納めるが故に、塔即ち是の如し。」(「宝篋印陀羅尼経」)

 7月12日は、毎月二度行じている、長瀧寺から尾根伝いの古の山伏の行場「白山鳩居峯」十宿中の五宿順拝を行じる予定でしたが、長良川の支流・津保川上流で8日未明に発生した洪水で被災された方が関市武儀地区に大勢おられ、藪を漕いで十時間山を歩きお祈りしてる時間と体力・気力があるなら、泥かき等のボランティアを優先すべし!と、杖でなく角スコ持ってボランティアに行きました。津保川沿いの草木には、上流の工場から流れてきたポリエチレン樹脂が七夕の吹き流しの如く、延々と垂れ下がっていました。


 床上を覆う一面のヘドロ・・・。8日未明は、私のねぐらの対岸でも避難指示が出され、ケータイで川の水位を確認しつつ過ごしましたが、津保川上流でこんな状況になっていたとは・・・。地球規模の気候変動を前に、祈っているだけではダメで、誰が被災者になってもおかしくない今日、被災された方々への現実的支援と共に、気候変動に即した現実的対策・訓練等の実行の重要性を実感します。
 帰宅後、私のねぐらの前を流れる長良川の河川敷に降りてみると、たまに散歩をしていた河川敷は、一変していました・・・。水は堤防を越えることはなかったのですが、河川敷の小道は、増水した流れに一メートルほどえぐられていました。


此処に車や自転車で下りるのは危険です。また、川沿いの草木には背丈より高い処にビニールゴミがぶら下がっています。


豪潮律師のご命日(その日は私は律師の故郷・熊本を訪れていました)に始まった今回の豪雨は、地球規模で進む気候変動が過去の話でも未来の話でも余所の話でもなく、過去とも未来ともつながっている現在の、私たち自身の課題であるぞ、との、豪潮律師のお示しでありましょうか。


(豪潮律師の故郷・玉名の宝篋印塔。塔身下段の「シッチリヤ」の梵字は、「南無三世(過去・現在・未来)一切如来」の「三」と、その前後をつなぐ音を表す。2018.7.4)
 他を益することはもちろん大切ですが、まだまだ修行が足りず六根清浄に程遠い糞袋としては、自分の行も疎かにできません。

「象の子の力微にして身を刀箭に没し、湯を掬(く)んで氷に投ずるに翻(かえ)って氷聚を添うる。毘婆沙に「破敗の菩薩」というなり。」(「摩訶止観」)

7月14日は、長滝の方の見舞と山の状態の確認を兼ね、鳩居峯五宿順拝を行じることにしました。いつもは喰わず・座らず・撮らずに行じていますが、7月3日~8日の間に千ミリを超える雨が降ったこの山域に、何も起きていないとは思えません。今回は念の為、ケータイ(カメラ付)を持参することにしました。無論、撮影は必要最小限のつもりです。
 山の状態から先に述べますと、長瀧寺のすぐ裏から越前美濃国境の尾根まで、土がまだ湿っています。山麓は谷の水量も豊富ですが、三ノ宿・西山・毘沙門岳の山上は、普段とさほど変わりありません。ただし、桧峠周辺の山道には、小規模な崖崩れが何ヵ所かありました。

・毘沙門岳登山道の最鞍部の沢。


山道が土砂で埋まっています。
・旧桧峠から前谷へ下る古の白山美濃禅定道は、旧桧峠から一つめの谷までの途中、七~八メートルに渡って山道ごと崖が谷底に崩れており、山道は巾50センチほど残っているのみです。今後、さらに崩れるおそれもあります。
・中の峠から茶屋峠方面の下りでは、沢に架けられた木の小橋の上流側に、橋と同じ高さまで小石が堆積しています。
・床並社跡の下、前谷の二十刈へ下る林道の入口は、路面にひびが入って波打っています。
・国道156号線、歩岐島大橋の南から悲願寺の北まで、崖崩れのため通行止です。崩れているのはこの区間の一部分ですが、 通行止区間の崖下にはツートンバッグが積んでありました(2018年7月14日現在)。
・御坊主ヶ洞上部の見附ノ大岩より下流に、土砂が流れ出た跡ができており、谷底には大小の岩が転がっており、麓の砂防堰堤の上流側には大量の土砂が堆積しています。

 7月14日早朝、長瀧寺からの鳩居入峯の前に、長良川対岸の御坊主ヶ洞と向き合って立つお地蔵さまに参拝。


お地蔵さまの後方は、井洞。「長瀧寺真鑑正編」には、治安3年(1023)6月3日、長瀧寺六谷六院の一つ・葦原院谷の六十坊が、晴天に発生した井洞の山抜けで埋没したとの伝承が記されています。広島・府中町では、先週の豪雨の後、晴天の7月10日に川が氾濫しており、災害対策における各地の昔からの言い伝えの大切さを実感しました。
 拝殿・豪潮律師宝篋印塔・大講堂と順拝して鳩居峯へ入峯。

能く此の塔に於いて
一香・一華をたむけて
礼拝供養するならば
八十億劫にわたる
生死の重罪は
一時に消滅するであろう
(「宝篋印陀羅尼経」)

香華を手向けて礼拝供養したいところですが、香炉も花立もないので、湯呑に湧水を汲んでお供えし、宝篋印陀羅尼を誦して三世の諸仏と豪潮律師を供養しました。


一ノ宿の下の谷は、普段より水量豊富。


樹間に残雪の白山三所権現を拝みつつ、二時間で二ノ宿参拝、朝は空気爽やかで、今日は虫も少ないです。三ノ宿へと清らかな沢を登り、藪から作業道に出て登頂。毘沙門岳の背後に、別山(聖観音菩薩)と御前峰(十一面観音菩薩)の間に頭を覗かせる大汝峰(阿弥陀如来)の白山三所権現=阿弥陀三尊を遥拝しつつお念仏。先週の豪雨および先月(2018年6月)の地震で亡くなられた方々のご冥福と、被災地の復興をお祈りしました。


 三ノ宿は水の豊かな山ですが、西山~毘沙門岳の間は、水の乏しい藪地獄。強い日差しの作業道から、眼鏡ストラップ・マスク・軍手着用して西山頂への高さ二~三メートルの笹藪に突入。山頂から足の踏み場もない物干し竿の如き笹藪を降下、藪漕ぎ中に腕時計が取れていました。サワアジサイ咲く多和ノ宿に参拝し、毘沙門谷から笹藪登って長瀧寺から六時間半で毘沙門岳登頂。白山頂部には雲。毘沙門岳からの下りは、暑さに少々バテ気味。山道の起伏が穏やかになると回復し、桧峠の泰澄大師像を経て毘沙門岳から二時間かかって国坂宿参拝。本地・十一面観音さま即ち白山妙理大権現に被災地の復興と、自らも復興に協力せんことを祈願しました。
 旧桧峠からの古の白山美濃禅定道を、前谷へと降下。前述の通り、先週の豪雨で小規模な崖崩れがあちこちで発生しており、写真に撮ろうとしましたが、暑さのため(?)か、ケータイが充電切れ・・・。そんなモノを鳩居入峯修行に持ち込んで人に見せびらかすべからず、との、白山権現と豪潮律師のお諭しでありましょう。
 国道の通行止区間は、長良川沿いを歩行。悲願寺から対岸に渡り、駒の尾滝(千城ヶ滝)から鉄塔を経て毘沙門岳頂の夕日を拝み、御坊主ヶ洞の見附ノ大岩へ。敬愚比丘にお水をお供えし、西面して念仏をお称えしました。災害で亡くなられた方々を供養し、現在被災されている方々と被災地の復興(長良川上流や津保川上流も被災地)を支援するだけでなく、自分たちの地域にも起こりうる災害に備え、災難を未然に防ぐ対策や訓練を家庭や地域で実行することも、とても大切です。
 入峯から十二時間で長瀧寺に戻り、豪潮律師の宝篋印塔を礼拝しました。祈りは、行動を伴わなければ実現することはありません。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝