FC2ブログ

記事一覧

白山上人縁記2 西因上人

(承前)

 「爰(ここ)に西因とは、本是れ肥前国松浦郡の人也。齢十有四、出家して道を求め、本郷を離れて台山に登り、登壇受戒す。其の後年々歳々、在々處々、難行苦行して、休息有ること無し。遂に此の山に到りて、永く其の棲(すみか)と為し、久修練行すること、茲(ここ)に四十三年。」

西因上人の故郷・肥前国松浦郡とは、現在の佐賀県唐津市や伊万里市から長崎県松浦市、平戸市さらに五島市にまで至る一帯です。西因上人が松浦郡のどこで生まれ育ったのかは分かりませんが、平戸の安満岳(やすまんだけ)には泰澄大師が白山妙理大菩薩を祀ったとの伝承があり、今も山頂に白山宮が鎮座しています。
blog_import_5c77fbb84ec56.jpeg
(2017年7月登拝時)
「平戸安満嶽縁起」によれば、養老元年(717)に白山を開かれた泰澄大師は翌養老2年(718)、安満岳に登って白山妙理大菩薩を崇め奉ったのでした。おそらく此処は、泰澄大師伝承の最西端でありましょう。
blog_import_5c77fa05ad4f6.jpeg
(生月島より望む安満岳、2017年9月)
松浦郡出身の西因上人が十一世紀後半、比叡山で受戒して諸国遍歴の末、白山とのご縁に結ばれたことは、安満岳の泰澄開山伝承と何かしらのつながりがあるのかもしれません。白山に魅せられた西因上人は山で修行を続け、四十三年の月日が流れたのでした。

 「興法の志深しと雖(いえど)も、利生の願大なりと雖も、身に依怙(えこ)無く、力及ばざる所なり。然れども且(か)つは一大事因縁に依り、且つは十方界の施与に任せ、今朝より始めて、未来際を期(ご)し、先ず一万年の星霜を契りて、十二口の夏臈(げろう)を定置し、昼夜不断に、弥陀の寳号を念じ奉る。是れ則ち末法万年の間、弥陀の一教、遺すべきの故也。」

白山で四十三年修行してきた西因上人は大願を発(おこ)し、末法一万年の間、下根の者をも救ってくださる阿弥陀仏の教えを遺すべく、十二人の僧侶を配置して昼夜不断の念仏三昧を行じ始めたのでした。「白山大鏡」の三十七所の秘所神仙洞の一つ・月輪仙洞には、晨朝・日中・日没、初夜・中夜・後夜の昼三時夜三時に十二神が化現す、とあります。西因上人も、十二人の僧侶に昼夜六時に交代で念仏三昧を行じさせたのでありましょう。

 「抑(そもそも)、此の善を勤修するの道場は、当山の麓、笥笠(けがさ)神宮寺也。半丈六皆金色の阿弥陀如来像一躰、毘首を誂(あつら)え尊容を瑩(みが)き、其の像を負戴して此處に奉請す。将に精舎を立て以て安置奉らんとするのみ。是れ則ち妙理権現の初めて弥陀身を現わす也。」

「白山之記」によれば、白山加賀馬場の笥笠中宮(けがさのちゅうぐう)には神殿、拝殿、彼岸所、講堂、新寶殿、常行堂、法華三昧堂、不動堂、夏堂、鐘楼等が建ち並んでいました。
blog_import_5c77fd6d0a273.jpeg
(加賀禅定道より見下ろした中宮の集落、2017年5月)
西因上人の大願から五十六年後の安元3年(1177)、白山中宮三社(笥笠中宮・佐羅宮・別宮)の衆徒が神輿を比叡山に振り上げ、叡山衆徒の神輿と共に入洛して加賀国守を流罪にさせた事件(「源平盛衰記」)は有名です。笥笠中宮は中宮三社の中心的存在でありました。しかし、南北朝時代に南朝方と結んで勢力を衰退させ、戦国時代にはすでにかつての面影はありませんでした(「吉野谷村史」)。江戸時代、十七世紀後半の越前の漢学者・野路汝謙が記した「白山紀行」には、
「笥笠と云所尋れ共しれず」
とあり、元禄15年(1702)成立の「本朝高僧傳」には、西因上人のことが
「越前神宮寺沙門西因傳」
と記されるなど、江戸時代にはもはや笥笠とはどこのことかさえ分からぬ有り様だったようです。現在は、笥笠中宮の流れを引く中ノ宮という産土社が明治時代に笥笠中宮神社となって、残るのみです。
20200719221740af9.jpg
(2020年7月16日参拝時)
 西因上人は笥笠中宮の神宮寺に、仏師に作らせた半丈六(立像なら約二・四メートル、坐像ならその半分の高さ)の阿弥陀如来像を奉請し、念仏三昧を行じられたのでした。そして、白山にこの阿弥陀さまの為のお堂を建立し安置しようとされていたのでした。それは、十一面観音さまを本地とする白山妙理大権現が、阿弥陀如来としてのお姿を現わす初めての出来事なのでした。
 「続古事談」には、
「白山の西因上人かたりけるは、三所権現は、阿弥陀・聖観音・十一面の垂迹也。(中略)四十八年この山に籠りて、大願を発して山の頂に堂を作て、阿弥陀の三尊をすへたてまつる。」
とあります。笥笠神宮寺で念仏三昧を行じ始めた時が四十三年目でしたから、その五年後には山頂部にお堂を建立し、阿弥陀三尊を祀ることができたのでしょう。「白山之記」によれば、長久3年(1042)の噴火以降、山頂部に堂五宇室三宇が再建され、阿弥陀堂には大般若経一部と数々の仏具があったそうです。
2020061216024139a.jpg
(2020年6月8日登拝時)
(続く)


関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝