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パンデミック訳「老子」24 最終章

 老子爺さんこう述べた。

「天下の人たちは皆、美しいものを美しいとわきまえているが、
それは醜いものなのだ。
皆、善いことをわきまえているが、
それは善からぬことなのだ。
「ある」と「ない」はお互いがあって生まれ、
「難しい」と「易しい」はお互いがあって成り立ち、
「長い」と「短い」はお互いがあって形を成し、
「高い」と「低い」はお互いがあって充ち足り、
「楽器の音色」と「歌声」はお互いがあって調和し、
「前」と「後ろ」はお互いがあってつながり、永遠となる。
だから聖人は、ことさらなことはやらず、言わずして教え、
すべてのものを成長させても何もしでかさず、
すべてを為しても報酬を求めない、
功績があってもそこに居座らない。
居座らないからこそ、功績は消えることがない。」
(「老子」第二章)

新型コロナウイルスのパンデミック以前は、仲間同士ふれあうこと、人と直接会って話すことは善いことだった。だが、今はソーシャルディスタンスをとり、オンラインで会話することが勧められている。どちらが善いというものではない。善いことはやがて善からぬことになり、善からぬことはやがて善いことになる。だからどちらかに居座ることなく、柔軟に、争うことなく、時にかなった行動をとろう。すべてのものを利してへり下る、水のように。
 新型コロナウイルスの感染拡大による外出自粛生活の中で、四月上旬から向き合ってきた老子爺さんの「道徳経」五千言・八十一章も、残り一章を残すのみとなった。ここまで章の順序にはこだわらずに訳してきたが、老子爺さんの「道徳経」最終章は、最後にとっておいた。

「誠実な言葉は美しくない、
美しい言葉は誠実でない。
道を知る者は博識でない、
博識な者は道を知らない。
善い者は多く語らない、
多弁な者は善良でない。
聖人は何も蓄えない、
すべてを人のために使って、
自分はますます豊かになる。
すべてを人のために与えて、
自分はますます有り余る。
だから天の道というものは、
利益を与えて害さない。
聖人の道というものは、
何をやっても争わない。」
(「老子」第八十一章)

老子爺さんが書き残した「道徳経」五千言の最後の言葉は、「不争」。老子爺さんの教えは、争わない生き方だ。人と争わず、大地と争わず、天と争わず、道と争わず、大自然と争わない生き方だ。約二ヶ月にわたる自粛生活を、支え続けてくれた老子爺さん。四月下旬には、新型コロナウイルスで亡くなった方は世界で約二十万人、日本で約四百人だった。一ヶ月たった現在では、世界で三十五万人に迫り、日本でも八百人を超えている。緊急事態宣言(2020年4月7日に七都府県に発令、4月16日に全都道府県に拡大)はすでに四十二府県で解除され、残る北海道・東京・神奈川・千葉・埼玉も明日(2020年5月25日)解除の見通しだ。今後もまだ第二波があるかもしれないが、自粛生活はひとまず終わろうとしている。
 自粛生活が終わっても、私は「道徳経」を中国語で音読しつつ、老子爺さんの教えに繰り返し繰り返し学んでゆくだろう。「パンデミック訳「老子」」の初回(4月7日)と重複するが、最後に老子爺さんの理想郷が描かれた「第八十章」を再掲したい。

「国は小さく、住民は少ない。
様々な機器があっても使わせず、
住民には命を大切にさせ遠くに行かせない。
船や車があっても乗らず、
武器具があっても出陣せず、
住民に文字でなく縄目使わせる、太古のように。
郷土の食べ物おいしくいただき、
郷土の衣服を着てよろこび、
習俗楽しみ、住居で安らぐ。
隣の国と相望み、聞こえるニワトリ・イヌの声。
だが住民は老いに至るまで、行き来しようとも思わない。」
(「老子」第八十章)

新型コロナウイルスによる自粛生活中は、強いられてこのような生活となった。だが、足るを知ることに満足し、自足した生活を求めるならば、それは強いられた生活ではなくなる。天地自然の道にかなった、古くて新しい、理想の生活を求めよう。

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(写真は2013/6、白山)

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝