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パンデミック訳「老子」18 母と子と

 老子爺さんこう述べた。

「この天下には始源があり、それは天下の母ともいえよう。
天下の母を感得できれば、その子供たち、つまり天地万物のことも分かる。
子供たちのことが分かれば、さらにその母を守ってゆく、そうすれば生涯危険はない。
五感の穴を塞ぎ、欲心の門を閉ざせば、終身苦しまない。
五感の穴を開き、様々な事に及べば、終身救われない。
こまやかに見るのを「明」といい、柔らかさを守るのを「強」という。
光を回(めぐ)らせ「明」に立ち返れば、身に災いは及ばない。
これを「常なる道にかなう」という。」
(「老子」第五十二章)

天地万物の母たる道は、私たちを柔らかく、しかもこまやかに見守っている。できのよい子は苦しまない。私のようなできの悪い子は、救いようがない。それでも天下の母は、すべての子らを見守っている、どんなバカ息子でもアホ娘でも。

「徳の厚く備わった者は、まるで赤ん坊のようだ。
ハチやサソリも刺さず、猛獣も捕らえず、猛禽も掴(つか)まない。
骨は弱く筋も柔らだが、私の指を固く握る。
男女の交合知らぬのにチンチンが立派なのは、精気が充分だから。
一日中泣いても声がかれないのは、陰陽の気の調和が充分だから。
精気と和気が充分なのを「常」といい、
「常」を知るのを「明」という。
養生するのを「祥」といい、
心で気を使うのを「強」という。」
(「老子」第五十五章)

老子爺さんがわが子や孫を抱く姿が、彷彿とする。「史記」には、老子爺さんの子孫の名前も記されている。「心で気を使うのを「強」という。」とは、私たちに生まれつき備わっている精気や和気を、うまく用いて養生することを指すのだろう。老子爺さんの教えを発展させた四世紀の「抱朴子」には、身を治めるのを国を治めるのに譬え、
「胸と腹は宮殿、手足は国境、関節は諸役人のよう。
神(意識)は君主、血は臣下、気は国民のよう。」(内篇巻十八「地真」)
とある。

「魂と肉体を一つに抱いて、離さないようにしているか?
気を集めて柔らかさを保ち、嬰児(みどりご)のようでいるか?
心の奥の鏡を洗って、傷つけずにいるか?
民衆を愛し国を治めて、知恵をひけらかさずにいるか?
五感の門を開け閉めして、淑(しと)やかでいるか?
全体を明らかに見通して、ことさらなことをせずにいるか?」
(「老子」第十章)

甲斐の武田信玄が信濃攻略のために作った棒道(ぼうみち)は、後に織田信忠の甲斐侵攻を容易にした。二十世紀に発達した世界中の便利すぎる交通手段は、後に新型コロナウイルスのパンデミックを容易にした。開けっ放しなのがよいワケではないし、閉じこもってばかりがよいワケでもない。事が小さいうちに柔軟に開け閉めできれば、後でことさらなことをせずに済むだろう。

「道がすべてのものを生み、徳がそれらを養育する、
物として形作られ、役割のあるものに成長する。
だからすべてのものは道を尊び、徳を貴(とうと)ぶ。
道が尊く徳が貴いのは、誰かに授けられたワケではなく、自然なことなのだ。
道がすべてのものを生み、徳がそれらを養育する、
成長させ発育させ、実らせ熟させ、養い護(まも)る。
生んでも所有せず、すべてを為しても報酬を求めず、成長させても司(つかさど)らない、これを「幽玄なる徳」という。」
(「老子」第五十一章)

天地自然の母たる道から私たちは生まれ、母の「玄徳」に養い育てられる。その恩恵は量り知れない。大気も大地も山も川も、草木も虫も鳥も獣も、人も家畜も稲も野菜も、みな大自然の道の子供なのだ。細菌やウイルスとて例外ではない。新型コロナウイルスが人から人へ世界中に瞬時に増殖していったのは、自然と人間の活動のバランスが崩れていることの、証しの一つともいえよう。老子爺さんの説く、天地自然の道にかなった素朴な生活。それは、何十世紀たっても人類の古くて新しい理想であり続けるだろう。

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(写真は昨年(2019)9月)

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝