FC2ブログ

記事一覧

長良川・各務用水放浪2

(承前)
 8月4日、鉄塔巡視路を進み、二つめの鉄塔がある長良川沿いの山へと登ってゆくと、西の対岸から大きな銃声が響いてきます。国際射撃場の銃声です。まさかこちらに銃口を向けることはないでしょうが、8時半すぎに山頂の鉄塔に出ると、足早に北東側への踏み跡を下ってゆきました。やがて眼下に長良川。


麓に下ると、一番樋門がありました!



取入水門まで、あと一息です。グランドの北西沿いを流れる各務用水の土手に、一旦グランドの南と東の道を歩いて再会すると、立入禁止の標識があります。土手に上ってみると・・・水路と思しき処に、水がありません。


どうやら、補修工事中のよう。一番樋門にあった水は、迂回水路を流れてきたものと思われますが、確認はできませんでした。
 取入水門を目指して歩を進め、小瀬の永昌寺へ。


門前の役行者に参拝し、鮎之瀬橋の手前を河岸へ。


水神さまに掌を合わせ、9時半、各務用水取入水門に到着しました!


白山連峰を源流とする長良川の水が、此処で取水され、全長二十キロにわたる用水路周辺の農地を潤しているのです。水神さまに般若心経と白山権現ご真言・ご宝号をお唱えし、水の恵みと、先人の努力に感謝しました。
 橋を渡り、長良川対岸の円空上人塚へ。


真正面に、各務用水取入水門が見えます。


円空上人は元禄8年(1695)7月15日、長良川沿いの此処に穴を掘って入定されたのでした。上人を偲び、念仏をお称えしました。弥勒寺跡を経て円空上人のお墓に参拝。


上人が再興された弥勒寺にもお参りし、久しぶりに円空館へ。戸田の阿弥陀寺の聖観音さまは、明治26年(1893)の長良川大洪水の時に上流から流れてき、阿弥陀寺にお祀りされたそうです。観音さまは、宗派を超え宗教も超え、相手に応じた姿で現われるお方。久々にお会いした一・五m近い観音さまを拝み、亡き人の菩提を弔いました。端正なお姿のお釈迦さま坐像、体の傾いた十一面観音さま坐像。熊野権現、天照大神、愛宕権現等の神像。円空上人は仏像を彫り歌も詠まれましたが、何よりも、山伏として尊敬に値するお方です。
 復路は各務用水ではなく、長良川沿いに放浪することにしました。10時半に円空館を出、池尻の白山神社に参拝。


山県の大桑(おおが)城主・土岐美濃守の家臣であった平田宗善が、土岐氏滅亡の後、永禄年中(1558~70)に当地に来て田を開墾し、白山神社を勧請して田を寄附したそうです(「関市社寺一覧」)。


田んぼを見つつ西へ進み、天正5年(1577)に宗善が建立したと伝わる西光寺に参拝。南側へ歩を進めると、長良川沿いに辺り一面の太陽光発電パネル。


日が高くなり今日も猛暑ですが、草木を刈ってパネルばかり並べた太陽光発電所の周りは一際暑く、地球温暖化に一役買っているのではないでしょうか。草木を刈った代わりに、水路を作る等の配慮をしてほしいものです。
 太陽光発電所の向こうには、往路に登った鉄塔の山。大きな銃声がまた聞こえてき、向かいの山から波音のようにこだましてきます。国際射撃場の下を通り、11時半に塚原遺跡着。


縄文時代早期のキャンプ地、縄文時代中期の「むら」や、古墳時代の古墳群の遺跡です。竪穴建物は、けっこう風通しがよいです。縄文時代にも、現代に勝るとも劣らぬ温暖化があったようです。暑さを凌ぐため、エアコンがなくても彼らなりに工夫していたはずです。展示館に入り、館の方のお話を聞きました。縄文人の平均寿命は15歳で、乳幼児の死亡率が高かったため、子供を八人くらい出産しなければ人口を維持できなかったとのこと。縄文時代中期の日本の人口は、約26万人だったそうです。まだ農業が伝わる以前、ドングリやイノシシや魚を食べる生活では、自然の動向に大きく左右されざるを得ません。改めて、用水路を作り、農地を安定して灌漑することの大切さを思いました。と共に、地球温暖化がこのまま進めば、深刻な水不足が起き、将来の日本人は縄文人のような服を着てライフルを手にし、水や食料を争っているかもしれない・・・との妄想が湧きました。
 猛暑の中、塚原遺跡から長良川沿いに下流へ足を進め、正午すぎに千疋神社参拝。橋を渡って長良川左岸へ。川と各務用水の間に広がる水田、彼方には芥見の権現山。


長良川はこの辺りから下流で一旦、二手(本流と今川)に分かれ、間には大きな中洲・保戸島があります。今川橋から下手を見渡すと、明らかに水が少ないです。


橋を保戸島へ渡って戸田の阿弥陀寺へ。本堂は再建工事中のようで、暑さの中、工事の方たちが昼休みをしていました。門前に宝篋印塔があったので、宝篋印陀羅尼をお唱えしました。


円空館で拝んだ聖観音さまは、明治26年(1893)の大洪水でこの辺りに流れてき、阿弥陀寺にお祀りされたのでした。また、各務用水の実現に功績のあった岡田只治氏は、戸田の方でした。
 阿弥陀寺から南下して保戸島橋を渡り、下手を見ると・・・


今川に全く水がありません!ニュース等では、猛暑とか命にかかわる暑さなどと表現されていますが、これは日照り(旱)ではありませんか。沙漠のような河床へ降下。



処々に水たまりがあり、鳥たちが集まっていました。下流へ歩いてゆくと、やがて流れが現われましたが、下流からの風に逆流していました。


流れがあっては河床を歩き続けることはできず、川岸へ上がろうとしましたが・・・先月(2018年7月)初めの豪雨で下流側に靡いた、密生する二~三mの葦のジャングルは、毎月巡拝している白山鳩居峯の西山~毘沙門岳の笹藪地獄に劣りません。


その上、増水で大量の泥をかぶっており、前に進むために葦をかき分けると、大量の砂埃が舞って口の中はガラガラ、目もまともに開けていられませんでした。挙げ句の果てに、葦藪にメガネが弾き飛ばされ、ド近眼なので地面を這いつくばってメガネ探し・・・。しばらくして、なんとか見つけることができました。


山で藪を漕ぐ時はメガネストラップやマスクを着けますが、川で斯様な藪地獄を味わうとは思ってもおらず、川の葦藪の凄まじさと共に、水害で被災された方々の大変さを実感したのでした。
 藪中を二十分ほど徘徊した後、全身泥まるけで13時半に出た処は、今川と津保川の合流地点にあるグランド。


口の中がザラザラで、食欲も飲欲も湧きません。ただただ、口を嗽ぎ手や顔を洗いたい。水の大切さは、体内に摂取することだけでなく、汚れや菌を洗い清めることにもあるのだ、と気づかされました。津保川と、川をくぐって長良川の水を下流の農地へと送る各務用水・津保川サイホンを望み、水の有難さと同時に、過酷さをも思いました。


いかなる人間の生存にも欠かせない水は、過去・現在・未来の三世に渡る宝物。生きとし生けるものと共に、適切に使わせていただきたいものです。
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝