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敵は人にあらず。敵はウイルスにあり。

G県の山の麓の、障害者施設。ある男がおずおずと入ってきてこう言った。「トイレを貸してくれませんか?」おりしも前日、C県の障害者施設で新型コロナウイルスの集団感染が発生したばかり。職員のモロ松は男に尋ねた。「どちらの方ですか?」「山登りに来たんですが・・・」モロ松は断り、こう言った。「登山口にあるトイレを使ってください!」

モロ松も登山や放浪が好きなので、男の気持ちはよく分かる。だが、新型コロナウイルスの感染が拡大している今、たとえその男のウンコがもれようとも、障害者を、施設を感染から守ることこそ彼のなすべきことだった。そして彼はハッキリと気がついた。自分も当面、大好きな登山を自粛しなければならぬ、と。国内での感染が収まるまでは、人類がこのウイルスの侵略に打ち勝つまでは。

イタリアでもスペインでも毎日何百人もの人が亡くなっている今、世界で何万という人々の命が失われている今、山に登って一人でいい気になっていられるほど、モロ松は無神経ではない。天平9年(737)に日本で天然痘が猛威を振るった際、白山を開かれた泰澄和尚は疫病退散を祈って十一面法を修し、十一面観音菩薩の像を造立した。疫病の現実の前には加持祈祷など空しいばかりだ、とモロ松は思う。が、泰澄和尚は少なくとも、日本中が苦しんでいた時に超然と白山に籠ったりなどしてはいられなかった。和尚は人々の苦難を見るに見かねて、山に登らず里で自分にできる限りのことをしたのだ。和尚の刻んだ観音像は、苦しみと悲しみに打ちひしがれた人々の心に慰めと、勇気を与えたことだろう。

モロ松は思う、「老子」第七十三章ほど現在の状況によくあてはまる言葉はない、と。おそらく老子も、古代の中国で疫病流行を目の当たりにしたのではなかったか。「敢えてやろうという勇気を持つならば殺され、敢えてやらないという勇気を持つならば生きられる。この二つの勇気は、あるいは利益あり、あるいは害がある。天の嫌うところが誰に分かろうか?天の道は争わずによく勝ち、言わずによく応え、招かれずにおのずから来、大らかにしてよく計る。天の網は広大無辺、網目は粗いが、何一つ(誰一人)漏らしはしない。」敢えてやらないという勇気、敢えて遠出しないという勇気、引き返す勇気、ウイルスを拡散させてはならないという慈愛に基づく勇気。二十一世紀の人類が直面している古くて新しい危難に、打ち勝つために必要なのは、このような勇気である、と老子爺さんは伝えてくれていたのだ。

感染している人もそうでない人も見分けのつかぬ今、人類がこのウイルスに征服されないためにできること、それは無闇に出歩かないことだ。自分は大丈夫、などとタカをくくって遠方まで外出すれば、新型コロナウイルス野郎の思うツボ。遠出をすればするほど、人と接触する機会も時間も増える。他県ナンバーの見知らぬ車が与える不安感。人間の欲に奴らはうまく乗る。ウイルスの野郎は人間を便利な乗り物として利用しつつ、地球上に奴らのクラスターを拡散してゆくのだ。もしモロ松が気づかずに感染し、見えない感染を周りの人たちに広げて誰かが亡くなったとしたら、モロ松は間接的に殺人に荷担したことになるのだ!「敢えてするに勇ならば則ち殺され、敢えてせざるに勇ならば則ち活く。」(「老子」第七十三章)。「慈なり、故に能く勇なり。」「夫れ慈は、以て戦わば則ち勝ち、以て守らば則ち固し。」(「老子」第六十七章)。新型コロナウイルスの侵略から高齢者や持病ある人たちの命を守るため、親しい人・愛する人の命を守るため、そして彼自身の命を守るために、モロ松は手にした。生活圏外には、敢えて山にも登りにゆかぬ勇気を。ウイルス軍団の策略にはまらない勇気を。新型コロナウイルスの侵略への、レジスタンスの勇気を。

敵は人にあらず。敵はウイルスにあり。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝