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豊原寺~化生ヶ岳/丸岡・春江放浪2

(承前)
 2月13日お昼前、丸岡町八ツ口の八幡神社と善立寺(浄土真宗)に参拝。


善立寺は、元は豊原寺華蔵院の末寺(天台宗)であったそうです(「丸岡町めぐり」昭和33年発行)。天正15年(1587)堀秀政の知行宛行状には「小島郷八口村」とあるとのこと。江戸時代初期、村民が丸岡藩に
「一つの口でさえ養われないのに、八ツの口では、世界中の貧乏、独り買いになる・・・」(「丸岡町めぐり」)
と、村名の改称を願い出て福元と称したそうで、隣の今福はその名残りのようです。八ツ口の集落から西は、広大な田園地帯。


大昔、坂井平野には沼沢が広がっていたと伝わるそうですが、西に見える称念寺の林は、まるで沼沢の中の洲のよう。古代の人々は、九頭竜川扇状地の沼沢を舟で行き交っていたのでしょう。清々しい空気。振り返ると化生ヶ岳(鉄塔横のピーク)の山並、その奥には白山へと続く峯々が、雲間に山肌を現わしていました。


 称念寺に着くと、境内のすぐ横を通る高架の工事が行われていました。高速道路?と思いましたが、さにあらず、北陸新幹線です。


称念寺は養老5年(721)に泰澄大師が創建、正応3年(1290) 、一遍上人遷化の翌年に時宗の念仏道場となりました。江戸時代までは「泰澄大師舟つなぎの松」があったそうですが、「丸岡町めぐり」には「今は枯れてない」と記されています。また、当地の地名「長崎」は、長い御崎(ミサキ)から転化したものと伝わるそうです。本堂前に起つ宝篋印塔。


称念寺は、延元3年(1338)に此処から南方・九頭竜川対岸の燈明寺畷で戦死した新田義貞公埋葬の地。宝篋印塔は、義貞公及び一門郎党八千余人を偲んで昭和10年に建てられたそうです。新田義貞公の墓所にてお念仏、宝篋印塔に宝篋印陀羅尼をお唱えしました。


称念寺は、美濃から妻子を連れて落ち延びた明智光秀が、朝倉家に仕官するまで過ごしていた処でもあるそうです。
 称念寺からさらに西側へ行道。兵庫川が流れているこの地区の名は、舟寄(ふなよせ)。


縄文時代から水郷地帯が広がっていたそうです。東、即ち豊原寺と白山を背に鎮座する、舟寄白山神社。


勤行を修し、白山三所権現と泰澄大師を供養しました。13時、兵庫川を渡り、田園から東に拝んだ豊原・化生ヶ岳。


その背後の雪嶺は、左から富士写ヶ岳、火燈山(ひともしやま)、丈競山(たけくらべやま)、そして浄法寺山。古の白山豊原寺の山伏たちは、豊原から浄法寺山~大日山と縦走する「豊原禅定道」を行場としていたそうです。この辺りには縄文時代中期(4500年前)の舟寄遺跡や後期(3000年前)の舟寄福島通遺跡があり、縄文人たちも真東に白山の山並を拝んでいたことでしょう。西側は、JRの線路の向こうに春江町。


兵庫川沿いに上流(南東)へと歩を進めました。
 14時、八ツ口の南の高柳に着きました。


この辺りには弥生時代後期(西暦200年前後)の集落跡である高柳・下安田遺跡があり、銅鐸の破片も出土しています。高柳の八幡神社に参拝。


この近辺に八幡神社(祭神・応神天皇)がとても多いのは、継体天皇が応神天皇の五世の子孫だからでありましょうか。遺跡の側には、丸岡を本拠地とするドラッグストア・ゲンキー。最近、岐阜県内でもスーパーやコンビニがない地区にどんどん進出しています。本場のゲンキーは、さすがに岐阜県のゲンキーより巨大です。


 高柳から、東へ行道。牛ヶ島から真北に丸岡城を遠望。


丸岡城で見た石棺(古墳時代前期~中期、西暦400年前後)が出土した辺りです。
「坂井平野が充分涸渇しきらなかった時、島であったのだろう。」(「丸岡町めぐり」)
牛ヶ島から南東へ、豊原高瀬の八幡神社、筑後清水の八幡神社と順拝。


筑後清水について、「丸岡町めぐり」には
「九頭竜川扇状地は掌を開いた様に、指と指との間に、昔の川のあとを残し、沼田(泥湿地)になっている。そして、その沼田に清水が湧いて出る所がある。筑後清水は、その一番扇状地のかなめに近い清水であったという。」
とあります。
 やがて、前方の集落の中に建つ社が見えてきました。


15時前、高田の高向神社に参拝。継体天皇の母・振媛(ふるひめ)の故郷です。応神天皇の四世の子孫・近江国高島郡の彦主人王(ひこうしのおほきみ)に嫁ぎ、男大迹王(おほどのおほきみ)を産みましたが、彦主人王が若くして亡くなったため、故郷の高向に帰って男大迹王(後の継体天皇)を養育したのでした(「日本書紀」)。参拝し、社の後方(北東)に化生ヶ岳を遥拝。


豊葦原の中つ国を創生し発展させた白山三所権現の祭神(伊弉諾尊・伊弉冊尊、天忍穂耳尊、大己貴命)から、継体天皇を経て現在にまで至る系譜に、思いを馳せました。(続く)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝