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肥前・基山登拝

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 12月18日昼前、基山駅で下車。三ヶ月前にも訪れた神社に参拝し、観音堂にて准提観音さまにお参りしました。豪潮律師の扁額。三ヶ月前は此処から、豪潮律師が享和2年(1802)に「八万四千」宝篋印塔の最初の塔を造立された大興善寺へと行道しました。
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(大興善寺の宝篋印塔、2019.9)
今回は、天智天皇3年(664)に椽城(基肄城(きいじょう))が築かれた基山を目指して行脚(巻頭写真)。途中、「大行事」を祀る石碑に掌を合わせました。
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「大行事」とは、比叡山・山王二十一社の中七社の大行事権現。「山王略抄」によれば、垂迹は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)、本地は毘沙門天。英彦山修験においては、守護神として英彦山四方の四十八ヶ所に祀られました。午前中に訪れた朝倉にも、そのうちのいくつかがあるようです(須川の朝闇神社、黒川の高木神社)。
 昨日も今日も、季節はずれの暖かさ。
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三ヶ月前はうだるような暑さだったのを思い出します。駅から一時間、基肄城水門跡に着きました。
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斉明天皇6年(660)に唐と新羅に滅ぼされた百済の復興支援のため、朝鮮半島に出兵していた日本・百済連合軍は、天智天皇2年(663)に白村江で唐・新羅連合軍に大敗、大宰府防備のため3年(664)に水城、4年(665)には百済からの亡命渡来人たちに大宰府の北に大野城、南に基肄城を築かせたのでした。基肄城は四王寺山の大野城と同様、基山全体が城塞となっています。
 水門から東の尾根に上る山道があったようですが、昨年(2018年)7月の豪雨で崩れているよう。西日本豪雨では十一府県に特別警報が出され、各地で大きな被害が発生しました。水門跡にあった神社は、倒壊したままです。
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高原川沿いの道も車両通行止。
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西の尾根から山頂目指して山道を登ってゆきました。
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二十分ほどで山頂部へ。
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広大な山頂部には「天智天皇欽仰之碑」が建ち、その後ろの「タマタマ石」の祠には、観音さま。
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小雨が降ってきました。観音経と念仏をお唱えし、天智天皇と母の斉明天皇を供養。北に続く山頂部。
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展望所からは、北に北峰と、雲を被った宝満山、博多湾。
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東は朝倉、英彦山方面。
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西南西の草スキー場の彼方には契山(ちぎりやま)、奥に九千部山。
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三ヶ月前、大興善寺から契山に登った際、このようなことが書かれていました。
「その昔、五十猛命(イソタケルノミコト)という神が基山の「たまたま石」に腰をおろして四方を眺めていました。すると園部谷の「さこ」あたりの小川で一人の綺麗な娘が洗濯をしているのが目にとまりました。五十猛命はその娘に一目ぼれ、非常に気に入ったので家来の者をつかわして調べてみました。すると、その娘の名は「さこの姫」といい、氏・素性も非常に良いことが分かりました。そこで、さっそく結婚話を持ち出してみますと話はとんとん拍子でまとまり、結婚式は基山の西にそびえる山の頂ですることになりました。そしてまもなく、五十猛命とさこの姫は、この山の山頂で契りを結びました。人々はその山を「契山」と呼び、今に語り継がれているのです。」
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(契山、2019.9登拝時)
 五十猛命は、「日本書紀」によれば、素戔烏尊(スサノヲノミコト)が姉の天照大神の治める高天の原で大暴れをして追放された際、子の五十猛神を連れて新羅国の曽尸茂梨(そしもり)に降ったものの、
「此の地は吾居らまく欲せじ」
と言って埴土(はに)で舟を作り、東に渡って出雲国の簸川(斐伊川)上流の鳥上峯(船通山)に至り、八岐の大蛇を退治したのでした。子の五十猛神は高天の原を降るときに樹種をたくさん持っていきましたが、韓地には殖えず、
「筑紫より始めて、凡て大八洲国(おおやしまのくに)の内に、播殖して青山に成さずといふこと莫し。」
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(船通山、2019/11/8)
奥出雲の船通山麓・鳥上には、素戔烏尊と五十猛神が乗ってきた埴土舟が石になったと伝わる「岩船大明神」があり、裏山には五十猛神の御陵墓と伝わる「ご陵さん」もあります。
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(2019/11/8参拝時)
五十猛命と「さこの姫」の婚礼の地である契山を遥拝しつつ少し下ると、「日本植林発祥之地」の碑ありました。
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高天の原から持ってきた樹種を、五十猛命は此処・基山から日本全土に播いてゆき、「青山に成さずということ莫し」。国土を緑化したのでありました。この話は、五十猛神の父・素戔烏尊が父・伊弉諾尊(イザナギノミコト)から「海原を治めよ」と命じられながら、亡き母・伊弉冊尊(イザナミノミコト)のおられる根の堅州国(黄泉の国)に行きたい!と泣き続け、「青山は枯山の如く泣き枯らし」たという「古事記」の記述を思わせます。五十猛神の播種は、父のかつての罪の償いでもあったのでしょう。
 「青山」の語はまた、皇極天皇(後の斉明天皇)の時代に高句麗に渡り、「術」を学んで枯山を青山に変え、黄なる地を白き水に変え、鍼で人々の病を治し、帰国することなく毒殺された鞍作得志(くらつくりのとくし)を想起させます。さらに、アフガニスタンの沙漠に水を引いて樹を植え、農村を復興させて銃弾に倒れた中村哲医師を想起させます。五十猛命と鞍作得志と中村哲医師を偲び、本福寺へと下ってゆきました。
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 本福寺はかなり大きな寺院です。基山には本福寺、瀧光徳寺、大興善寺と、宗派の異なる大きな寺院があり、宗派も宗教も超えた霊山といえましょう。本福寺から南に下って荒穂神社に参拝。基山の真南に鎮座するこの社は、まさに基山の遥拝所。
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基山に掌を合わせ、大行事の石碑を拝んで基山駅へと行脚。途中、樹の形をした空色の鉄塔を目にしました。
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鉄塔といえば殺風景だったり毒々しい色のモノが多いですが、こんな鉄塔なら景観にも溶け込み、見ていて楽しくなります。
 基肄城に関連した防衛施設らしい「とうれぎ土塁」より、基山を遥拝。
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基山頂から一時間強で木山口の神社に戻り、観音さまと基山を拝んで駅へと向かいました。
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基山駅で電車を待っていると、シジュウカラのさえずりが聞こえてきました。季節はずれの温かさに、春を感じたのでしょうか。動植物たちは、気候の変動に敏感です。今ごろやっと、温暖化を肌で感じ始めた私たち現代人。何をしたらよいのか?それは、先人たちに学ぶこともできましょう。中村哲医師に、鞍作得志に、五十猛命に。

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝