12月4日、中村哲医師が凶弾に倒れた日の夜、来日中のアイルランドのロックバンド、U2が埼玉で一日目の公演を行いました。翌日夜、その公演の動画で聞いた80年代中期の名曲「Bad」。
放っておけば 消え去ってゆく
放っておけば 消え去ってゆく
目を見開いて!
目を見開いて!
目を見開いて!
俺は眠っちゃいない(拙訳)
ボノの叫ぶような歌声に、アフガニスタンとパキスタンの辺境で困窮した人々の為に生涯を捧げた中村医師が偲ばれ、涙が止まりませんでした。そして、ちょうど今頃、埼玉の二日目の公演でボノは中村医師を追悼してるかもしれない、と思いました。
今日、12月5日の公演の動画を見ると、案の定、U2は中村哲医師を追悼していました。しかも、「Bad」の後半で。U2はライブの時、「Bad」の後半によく他のアーティストの名曲を折り込みます。三十年以上前のヨシュア・ツリー・ツアーを撮った映画「魂の叫び」では、ローリング・ストーンズの「ルビー・チューズデイ」。ちょうど三十年前(1989年)にBBキングと一緒に来日した時、東京ドームで観た公演では他の曲は折り込まず、観客の女性をステージに上げて踊っただけでしたが、今回の12月4日の公演ではデビッド・ボウイの「ヒーローズ」。そして12月5日、中村哲医師を追悼して「テツ・ナカムラ」「ぺシャワール会」と讃え、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」を折り込んで
目を見開いて!
目を見開いて!
目を見開いて!
俺は眠っちゃいない
と締めくくり、続けてキング牧師に捧げたU2の代表曲の一つ「Pride(In The Name of Love)」を歌ったのでした。
メンフィスの空に銃声が鳴り響いた
ついに彼らはあなたの命を奪った
だが、あなたの誇りは奪えなかった
(拙訳)
「寒風の中で震え、飢えている者に必要なのは、弾丸ではありません。温かい食べ物と温かい慰めです。」(中村哲医師、ぺシャワール会報No.134)
中村哲医師は九州の誇り、日本の誇り、アジアの誇り、世界の誇りです。
中村医師の業績で驚かされるのは、アフガニスタン東部・クナール河流域で2003年から始めた灌漑事業「緑の大地計画」で建設した用水路の取水堰を、江戸時代に筑後川に造られた山田堰等をモデルに、日本の伝統工法を応用して築いたことです。
「「治水」という言葉は、英訳できません。おそらく、自然観が違うからです。和英辞典では flood control と出ていますが、どうも響きが違う。推測ですが、昔の日本人は自然を畏怖の対象にしても、制御したり征服すべきものとは考えなかった。治水にしても、「元来人間が立ち入れない天の聖域がある。触れたら罰が当たるけれども、触れないと生きられない」という、危うい矛盾の限界を意識していたと思われます。その謙虚さの余韻を、「治水」という言葉が含んでいるような気がしています。だから、工事責任者は必ず神仏に祈り、人柱となることも辞さなかったのでしょう。最近になってよく分かるようになりました。」
(中村哲医師、ぺシャワール会報No.107)
同号で中村医師は
「身辺保護は、決して武装警護をつけることだけではありません。敵を作らぬこと、毅然たる完全中立を厳守すること、そして誰が見ても良い結果を生むことです。」
「アフガニスタンは戦争では滅びませんが、渇水によって滅び得るでしょう。だからと言って、手をこまねいて眺めるべきでしょうか。人は生きることを許されているし、相応しい恵みも与えられています。」
とも記しています。
一年前(2018年12月)の会報(No.138)では、アフガニスタンの大干ばつや日本の集中豪雨、異常高温、大型台風など世界で頻発する災害に触れ、
「私たちが「緑の大地計画」で築いてきた安定灌漑地=六〇万人の農村地帯は、周辺農民の唯一ともいえる希望となっています。更に、アフガン東部で多くの周辺被災者がこの地域に逃げ込み、かろうじて職を得て生きているのを見ると、責任の大きさを自覚せざるを得ません。災害の質量に変化の兆しがある現在、PMSは新たな保全態勢を敷くと共に、敵対よりも協力を呼びかけ、安全な生活圏拡大を目指し、干ばつと対峙し続けます。力を合わせれば、決して不可能なことではありません。
温暖化による災害が世界中で起き、アフガニスタンだけが被災地ではありませんが、人間共通の課題としてこの問題に向き合い、ご理解を賜りたいと存じます。」
と書いておられました。中村哲医師は、気候変動が如何に人間の生活に、飢餓・貧困・治安・戦争に影響を与えるかを察知し、人と人・人と自然の和解を求めてアジアの一隅を照らされたのでした。中村医師がアフガンの大地だけでなく、日本人の心にも播いた「和解」の種を、大切に育ててゆきたいものです。人と人・人と自然が、折り合ってゆけるように。
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