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中村哲医師のご冥福をお祈りします

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 12月4日夕、ニュースで中村哲医師が銃撃され、亡くなられたとの速報に接し、驚きと悲しみに堪えません。中村医師のパキスタンやアフガニスタンでの活動に感銘を受け、私も九年前からペシャワール会をささやかながら支援させていただき、年四回の会報で中村医師の現地での灌漑事業等の報告を読むのを楽しみにしておりました。
 今年7月の会報(No.140)で、中村医師は現地赴任から三十五年の事業を振り返ってこう書いておられました。

「一九八四年ペシャワール赴任、八八年のソ連軍撤退開始と同時にアフガン東部の山岳地帯へ活動を広げ、二〇〇〇年の大干ばつに遭遇、その惨状に医療の無力を骨身に覚え、診療所周辺の村落救済に奔走、飲料水確保で井戸の掘削、次いで灌漑による農業復興、大河クナールからの取水、暴れ川と対峙するうちに年月が経ち、気づいたらお爺さん―という訳です。この間、二〇〇一年にアフガン空爆、米軍の進駐、そして撤退開始、振り返れば慌ただしいことです。
 日本でもバブルとやらが膨らんでは消え、失われた二〇年などと言い、右往左往するうちに昭和→平成→令和と時代がかわり、慌ただしくなりました。しかし、通信・交通の便だけ、悪いことも沢山、速やかに起きるようになりました。
 現地事業はまるでこのような世相を無視するように、続けられています。医療から始まり、大干ばつで灌漑・農業に力を注ぎ、そして今、温暖化による沙漠化と対峙して河川からの取水技術に集中しています。しかし、追いかけ続けてきたものは変わりません。むしろ、ここでは必然の成り行きだったと思われます。
 更に竿頭一歩を進め、この事業の恩恵を拡大すると共に、私たちの軌跡が人々を励まし、神意に適うものであることを祈ります。併せて、これまでの温かいご関心とご協力に感謝致します。」

 同号の中村医師による「水のよもやま話(4)」では、論語の

「子曰く、禹は吾れ間然することなし。飲食を菲(うす)くして孝を鬼神に致し、衣服を悪くして美を黻冕(ふつべん、祭壇)に致し、宮室を卑(ひく)くして力を溝洫(こうきょく、灌漑)に盡(つく)す。禹は吾れ間然することなし。(泰伯第八)」

および

「子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。(雍也第六)」

を引いて、

「現代は西洋的な合理主義の時代だ。儒教だの論語だのと述べれば、すぐに封建社会、男性優位、家族制度などを連想し、負のイメージを抱く者が増えている。しかし、東洋思想に親しんだ老世代の一人として言い遺しておきたいのは、我々の先人たちが大陸からの文化を吸収し、長い長い時間をかけて自らの精神的な血肉としてきた、その歴史的な奥行きである。それが伝統や文化というもので、我々がこの世界で考え、行動する精神的な土壌をも提供してきた。(中略)
伝統に帰るとは過去の形の再現ではない。その精神の依るところから現在を見、自然と和し、最善のものを生み出す努力である。我々に遺し得る最大のものがこの精神のように思われてならない。」

と書いておられました。三年前(2016年)5月、中村医師の講演を岐阜・各務原で聞きましたが、もともと自然や昆虫が大好きであったという中村医師は、威張った所が全くなく、等身大の人、行動の人だと感じました。そして、その講演のときの

「人間と自然がいかに折り合っていくか」

という言葉は、今も胸に刻み込まれています。

「必要なのは爆弾ではなく、清潔な食べ物と水」

と、永年パキスタンとアフガニスタンで活動を続けてこられた、中村哲医師。その業績はアフガニスタンの人々はもちろん、気候変動に直面している全人類に、本当に大切なものは何なのかを指し示しています。
 西日本のほぼ真西で活動し、亡くなられた中村哲医師。西面して中村哲医師のご冥福を心よりお祈りしますとともに、その業績がアフガニスタンのみならず、日本、そして世界に受け継がれてゆくことを、切に望みます。

「上善は水の若し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む処に処る、故に道に幾(ちか)し。」(「老子」)

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝