FC2ブログ

記事一覧

奥出雲巡礼/横田~船通山

20191116183336df1.jpg
 11月8日朝、奥出雲の出雲横田駅で下車。前夜は曇っていましたが朝から好天で、上着も不要。斐伊川を源流の船通山へと遡ってゆきました。
20191116183337701.jpg
8時、伊我多氣神社に参拝。
2019111618333941e.jpg
「出雲国風土記」仁多郡の条に「伊我多気の社」とあります。祭神は素戔嗚尊(スサノヲノミコト) の御子・五十猛命(イソタケルノミコト)。「日本書紀」に記される一書によれば、高天の原で大暴れして追放された素戔嗚尊は子の五十猛神を連れて新羅国の曾尸茂梨(そしもり)に降り立ちました。しかし、「此の地は吾居らまく欲せじ」と言って埴土(はに)で舟を作り、東に渡って「出雲国の簸の川上に所在(あ)る鳥上の峯(たけ)」、即ち斐伊川上流の鳥上山(船通山)にやって来たのでした。そこには人を呑む大蛇がいたので、素戔嗚尊は天蠅斫剣(あめのははきりのつるぎ)で大蛇を斬り、尾の中から草薙の剣を得て五世の孫・天之葺根神(アメノフキネノカミ)を高天の原に遣わして献上したのでした。天葺根神は「古事記」には天之冬衣神(アメノフユキヌノカミ)とあり、大国主神の父です。また、五十猛神は天から樹の種を持ってきており、韓地には植えず筑紫(九州)から始めて日本全土に播いて「青山と成さずといふこと莫し」。五十猛神は「紀伊国に所坐す大神是なり」とあります。鳥上山(船通山)は、「出雲国風土記」仁多郡の条に

「伯耆と出雲との堺なり。塩味葛(えびかづら、ヤマブドウ) 有り。」

とあります。
2019111618334049c.jpg
 田園の奥に船通山を見つつ、斐伊川を上へと行脚。支流の山の奥川。
2019111618334171b.jpg
9時前、鳥上より斐伊川の奥に鳥上山(船通山)遥拝。
20191116183343a50.jpg
此処には、素戔嗚尊と五十猛神が新羅から乗ってきたという埴土舟が石になったという、岩船大明神が祀られています。
20191116183912bca.jpg
地上に出ているのは舳先のよう。石段を上って鬼神神社に参拝。
201911161839133b0.jpg
祭神は素戔嗚尊と五十猛神。裏山(船燈山)には五十猛神の御陵墓と伝わる墳墓があり、「ご陵さん」と呼ばれているそうです。
20191116183915e35.jpg
かつては八俣の大蛇(ヤマタノヲロチ)の霊が火の玉となってご陵さんに舞い降り、船通山まで飛んでゆくことがあったとのこと。鬼神神社は木次の八本杉と同様、八岐の大蛇の霊を鎮めるための社でしょう。近江・美濃の境の伊吹山の麓の伊夫岐神社(近江)と伊富岐神社(美濃)に八岐の大蛇が祀られていたと伝わるのも、この大蛇の霊を鎮めるためであったはず。ご陵さんで五十猛神と父の素戔嗚尊を拝むとともに、八岐の大蛇の霊を慰めました。
20191116183918080.jpg
 さらに斐伊川を遡ってゆき、9時半に追谷地区を通過。
20191116183919e75.jpg
昭和の初期までは追谷から船通山に登っていたそうです。さらに歩を進めると、川副美作守城趾。
20191116183921e9b.jpg
戦国時代、尼子経久に仕えた川副美作守常重の居城のようです。高靇宮の碑。
20191116184629f01.jpg
龍神・高龗神(タカオカミノカミ)に掌を合わせました。10時、萬歳山之神社に参拝して斐伊川沿いに船通山へ。
20191116184630fd4.jpg

20191116184630818.jpg
11時前、ようやく舗装道から山道に入りました。
20191116184632490.jpg
斐伊川の最上流を登ってゆき、鳥上滝着。
20191116184633386.jpg
さらに登って尾根につき、色づいた山頂部を見上げました。
2019111618463514d.jpg
 11時半すぎ、船通山登頂。
20191116185353edb.jpg
山頂には祠と「天叢雲劔(あめのむらくものつるぎ)出顕之地」の碑。「古事記」によれば、姉・天照大御神が治める高天の原で大暴れをして高天の原を追放された須佐之男命(スサノヲノミコト)は「出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふ地に降」ったのでした。また「日本書紀」によれば、息子の五十猛神と共に先ず新羅国の曾尸茂梨に降り、埴土舟に乗って「出雲国の簸の川上に所在る鳥上の峯」に来たのでした。素戔嗚尊と五十猛神は西から海を越え、三瓶山の方から此処にやって来たのでしょうか。
20191116185354dda.jpg
あるいは北西から、出雲の「御崎山」を越えてやって来たのでしょうか。
20191116185355edc.jpg
一方の大蛇は「古事記」に「高志の八俣の大蛇(コシのヤマタノヲロチ)」と記され、「源平盛衰記」や「雲州樋河上天淵記」には、素戔烏尊の乱暴に怒って天照大御神が天の石屋戸に籠った際、近江の伊吹山に落とした天叢雲劔(草薙の剣)を八岐の大蛇が奪ったと記されています。

「かの大蛇といふは胆吹の大明神の法体なり。」(「源平盛衰記」)

出雲大社~大山(だいせん)~大江山~竹生島~伊吹山はほぼ同緯度上。八岐の大蛇は伊吹山地から越前の敦賀湾に下り、若狭湾を渡って大江山から中国山地を通り、大山南方から櫛名田比賣を食べにこの鳥上山(船通山)にやって来たのでしょうか。
20191116185356126.jpg
東からやって来た、八岐の大蛇。西あるいは北西からやって来た、素戔嗚尊。ふと、中国古来の五行説では東は「木」、西と北西は「金」であることに思い当たりました。「古事記」によれば八俣の大蛇の体にはコケやヒノキやスギが生えていました。「雲州樋河上天淵記」には

「八頭八尾にして天に参(まじ)わること枯木の如し」

とあります。八岐の大蛇は素戔嗚尊が用意した強い酒にグデングデンになって退治されましたが、斐伊川には大蛇が毒酒に苦しみ火を吹いてのたうち回った、と伝わる火(樋)の谷もあります。「肝」は「木」に属し、「木」は「水」を好みます。「木」は「火」を生みます。八岐の大蛇は大量の酒を飲んでアルコール性肝障害を発症したのかもしれません。「青龍」は「木」に属します。東方からやって来た八岐の大蛇には、「木」の徳があったのではないでしょうか。そして、それは日本の先住民を象徴しているのではないでしょうか。
 西、あるいは北西からやって来た、素戔嗚尊。「古事記」によれば、伊邪那岐命(イザナギノミコト)が黄泉平坂(よもつひらさか)で妻・伊邪那美命(イザナミノミコト)と訣別し、筑紫(九州)で禊(みそぎ)をして左目を洗ったときに天照大御神、右目を洗ったときに月読神、鼻を洗ったときに須佐之男命が生まれたのでした。五行では「鼻」は「金」に属します。須佐之男命は父と別れた母・伊邪那美命がおられる黄泉の国に行きたい!とヒゲが胸に垂れ下がるまで泣き続け、父に勘当されました。かなりの肺活量があったことでしょう。「肺」も「金」に属します。また、「日本書紀」によれば

「韓郷の嶋には、是金銀有り。若使(たとひ)吾が児の所御(しら)す国に、浮宝(うくたから)有らずは、未だ佳からじ」

と言って、自分のヒゲや体毛を抜いてスギ・ヒノキ・マキ・クスの木に変えています。これは、新羅(韓郷、朝鮮)の金銀を日本に運ぶため、木を育てて舟を造らせたと見ることができましょう。「白」は「金」に属します。「金」は、「木」に克ちます。「金」の徳を持つ素戔嗚尊が「木」の徳を持つ八岐の大蛇を退治し、「金」から生まれた「水」の徳を持つ息子の五十猛神が、筑紫から日本全土に木の種を播いて新たに「木」を養った、と見ることも可能ではないでしょうか。そういえば、二ヶ月前(2019/9/9)に参詣した肥前・基山の大興善寺の裏山(契山)は、五十猛命が村の娘・佐子姫と契りを結んだ処と伝えられています。
20191116185358518.jpg
(契山)
素戔嗚尊と八岐の大蛇の神話は、古代日本における渡来人と先住民の対立と融合を表しているのでしょう。
 八岐の大蛇の尾から出てきた草薙の剣を、高天の原を治める姉・天照大御神に五世の孫・天之葺根神(天之冬衣神、大国主神の父)を遣わして捧げた素戔嗚尊。この奉剣と、大国主神の国作り・国譲りの神話には、渡来人同士の対立と融和が見てとれます。
20191116185358478.jpg
「源平盛衰記」や「雲州樋河上天淵記」によれば、八岐の大蛇はその後も日本武尊を死に致らしめた伊吹山の荒神となったり、平家滅亡の際に壇ノ浦に沈んだ安徳天皇となってこの宝剣を取り戻そうとしてきました。八歳の安徳天皇と共に、皇室に伝わってきた草薙の剣の形代は海の底に沈みましたが、正体は今も熱田神宮にあります。大蛇がこの宝剣を欲しているのは、「木」に克つ「金」の気を封じ込めるためでしょうか。

「三種の神器世に伝わること、日月星の天にあるに同じ。鏡は日の體なり。玉は月の精なり。劍は星の氣なり。」(「神皇正統記」)

三種の神器の一つであるこの宝剣が、これからも恙無く代々天皇に受け継がれてゆくためには、八岐の大蛇の霊、言いかえれば古代日本の先住民の霊を鎮め慰めることも大切であろうと思われるのです。山頂の祠にて素戔嗚尊と天照大御神を拝み、北西に出雲大社、東方の中国山地と大山の彼方に、伊吹山を拝みました。
2019111618582786c.jpg
 船通山を下って斐乃上荘からバスに乗車。スーパーに買い物に行く地元の方たちに交じって座らせていただきました。出雲横田駅で、船通山をバックに入線してきたトロッコ列車「おろち号」。
20191116185829690.jpg
車両には窓が全くなく、爽快な(少し寒い)風を浴びながら奥出雲の風光を堪能。
201911161858309de.jpg
窓のない車窓から見えた玉峯山。
20191116185832397.jpg
途中駅で買い物をする時間もありました。今年(2019年)は11月24日まで運行、車両の老朽化で、来年度までは運行予定とのこと。奥出雲から古代の神話の舞台を下ってゆき、宍道湖を見つつ帰路につきました。

「娑竭羅龍王の女(むすめ)年始めて八歳なり。智慧利根にして、善く衆生の諸根の行業を知り、陀羅尼を得、諸仏の所説甚深の秘蔵悉く能く受持し、深く禅定に入って諸法を了達し、刹那の頃に於て菩提心を発して不退転を得たり。」(「法華経」提婆達多品)
関連記事

コメント

コメントの投稿

非公開コメント

白山順禮写真館

Haxanjunrei

松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝