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出雲巡礼/神原~峯寺~木次~天が淵2

(承前)
 11月7日、天が淵へと向かうべく、峯寺弥山(みねじみせん)から斐伊川へと下ってゆきました。正午、斐伊川より峯寺弥山を遥拝。
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木次の八本杉は、八俣の大蛇(ヤマタノヲロチ)がよみがえることのないよう、須佐之男命(スサノヲノミコト)が八つの頭を埋めてその上に杉を植えた処とのこと。
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寛永10年(1633)の大洪水で流失し、その後もたびたび補植してきたそうです。掌を合わせて線路を東に渡ると、斐伊神社。「出雲国風土記」大原郡の条にある「樋の社」です。斐伊神社の下に着いたとたん、急に雨風が吹き来たり、まるで大蛇でも出てきそうな気配。石段を上って参拝。
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西側には、八本杉の彼方に伊我山(峯寺弥山)。
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須佐之男命が尾の中から三種の神器の一つ・草薙の剣を取り出して姉の天照大御神に捧げ、八本杉の下に葬った八俣の大蛇。しかし、「雲州樋河上天淵記」や「源平盛衰記」によれば、八岐の大蛇(ヤマタノヲロチ)の霊はその後も草薙の剣を取り返すべく何度か現われています。日本武尊が草薙の剣を持って東征を終えた後、八岐の大蛇の霊は近江と美濃の境の伊吹山麓に現われ、草薙の剣を尾張の美夜受比賣の元に置いてきた日本武尊は致命傷を負って能褒野で亡くなります。宝剣は無事で、熱田神宮に祀られました。
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(伊吹山、2019.4)
そもそも八岐の大蛇の尾の中に草薙の剣が入っていたのは、素戔烏尊(スサノヲノミコト)が高天の原で大暴れをしたために姉の天照大御神が天の石屋戸に籠ってしまった際、天照大御神が伊吹山に落としてしまったからとのこと。「古事記」には「高志の八俣の大蛇」とありますが、伊吹山地の北は越前。伊吹山南西麓の近江の伊夫岐神社にも、南東麓の美濃の伊富岐神社にも、祭神が八岐の大蛇との伝承があります。また、「雲州樋河上天淵記」や「源平盛衰記」では、平家滅亡の際に壇ノ浦で草薙の剣と共に海に沈んだ八歳の安徳天皇も、八岐の大蛇の生まれ変わりとされているのです。
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(壇ノ浦、2017.9)
 突然の雨風に八俣の大蛇の霊気を感じつつ、斐伊川を上流へ。風はやみましたが雨やまず、カッパを着て行道。願い橋を渡り、左岸へ。
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八大龍王の碑。
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13時前、「くまがいさん」という井戸が現われました。
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「出雲国風土記」飯石郡の条に

「熊谷(くまたに)の郷。郡家の東北二十六里。古老の伝へて云はく、久志伊奈大美等与麻奴良比売命(クシイナタミトヨマヌラヒメノミコト)、任身(はらみ)て産まむとする時に及(いた)り、生む処を求めき。尓の時、此処に到来(きた)りて詔りたまひしく、「甚(いた)く久々麻々志枳(くまくましき)谷在(な)り」。故、熊谷と云ふ。」

とあります。須佐之男命が八俣の大蛇から救って妻とした櫛名田比賣が此処で産気づき、「なんとまぁ、奥深い谷だこと」と言ったとのこと。橋より「くまがいさん」を振り返り、右岸をさらに斐伊川上流へ。
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雨が強まり傘をさしましたが、13時すぎに雨はやみました。
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14時すぎ、日登堰堤の魚道を通過。
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猿渡から見上げた、対岸の崖上高くループする山道。
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14時45分、天が淵到着。
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「雲州樋河上天淵記」によれば、素戔烏尊は此処に八槽の酒舟を置き、東の山の頂によもぎで作った少女の人形を立てたのでした。八岐の大蛇は酒舟に映った少女の姿を見て喰おうとし、酒をガブ呑み。ヘベレケになったところを素戔烏尊にズタズタに切り裂かれたのでした。
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天候はすっかり晴れて明るく静かな谷、妖気は感じられません。対岸に渡り、歩いてきた右岸の車道を見上げつつ、気持ちのよい左岸の小道を下ってゆきました。
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 やがて右岸に戻り、来た道を下流へ。
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上熊谷から左岸を進んで16時すぎ、河辺神社に参拝。
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「出雲国風土記」飯石郡の条の「河辺の社」。「くまがいさん」と同様の伝承があり、「久志伊奈大美等与麻奴良比売」即ち櫛名田比賣が祀られています。大国主神は須佐之男命と櫛名田比賣の子孫であり、もし須佐之男命が八俣の大蛇から櫛名田比賣を救えなかったならば、出雲に大社を建てることを条件に天照大御神の子孫に国譲りをされた大国主神も、存在しなかったことでしょう。ところで、「雲州樋河上天淵記」には

「素戔烏、杵を縄(つな)とし、浮浪山十八里を繋ぐ。以て宮居を杵築の浜に定む。素戔烏尊は乃ち大社杵築大明神是なり。」

とあります。インドの霊鷲山(りょうじゅせん)の一部が海を漂い、素戔烏尊によって杵で築き固められ「浮浪山」即ち島根半島となったという神話は、浮浪山鰐淵寺や伯耆の大山寺にも伝えられています(出雲弥生の森博物館2013年特別展「もう一つの出雲神話」)。また、「源平盛衰記」にも

「素戔烏尊と申すは、今出雲国杵築大社これなり。」

とあります。中世、杵築大社(出雲大社)の祭神は素戔烏尊とされていたのでした。
 斐伊川に映る夕日。
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八俣の大蛇とは、高天の原で大暴れをし、ヒゲを切られ手足の爪を抜かれて追放され、食物を恵んでくれた大氣津比賣をも殺してしまった須佐之男命の心の中にこそいたのではないのか。そして、誰の心の中にも存在し得るのではないのか・・・。そう考えながら歩いていると、突如足元に現われたヤマカガシ。
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まるで、見ろよ、俺は此処にいるぜ!と言わんばかりに。上熊谷から西に峠を登ってゆくと、西日が峠にまばゆく輝き、その中に人影が現われました。峠を越えると、それは地元のおばさんでした。挨拶して峠を下り、17時すぎ、長崎で被爆し亡くなるまで如己堂で執筆を続けた永井隆博士が、幼少期を過ごされた旧居に参詣。
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ヘッドランプを点けて飯石川沿いに下流へ歩を進め、粟谷神社(「出雲国風土記」飯石郡の条「粟谷の社」)に参拝して三刀屋の町中へと下ってゆきました。
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「三屋(みとや)郷。郡家の東北二十四里。天の下所造(つく)らしし大神(大国主神)の御門、即ち此処に在り。故、三刀矢と云ふ。」(「出雲国風土記」飯石郡の条)

 須佐之男命と八俣の大蛇について私なりに得心がつくには、翌日の斐伊川最上流の巡礼まで待たねばなりませんでした。

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝