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マダニフィストの手記6・不可軽入山

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 俺の名はマダニフィスト、ある隠者の心に寄生している魔ダニだ。
 アンタらはレジャーとか称して山にズカズカ入ってくるんで、アンタらの美味しい血がいただける俺らにとっちゃ有難ぇことだ。だが、俺らは元気なアンタらの新鮮な血が欲しいんだ。アンタらに山の中でくたばられたんじゃあタマらない。山に軽々しく入って命を落とすようなマネは、よしてくれ。
 中国の葛洪って隠者が千七百年前に書いた「抱朴子」巻十七 登渉 に、

「軽(かろがろ)しく山に入る可からず」

ってある。ある人が山に登る方法を尋ねたのに対し、抱朴子こと葛洪曰く、

「凡そ道を為(おさ)め薬を合せ、及び乱を避けて隠居する者は、山に入らざること莫し。然して山に入るの法を知らざる者は、多く禍害に遇ふ。故に諺に之有り、曰く、太華の下に、白骨狼藉たりと。」

中国の五嶽の西嶽・華山は古くから神仙の山として有名だが、その麓は白骨だらけだと。抱朴子は朴訥と続ける。
「山には大小を問わず、皆、神霊がござる。山が大きければ神も偉大、山が小さければ神も卑小。山に入って術がないと、必ず災いがあるものぢゃ。体調を崩したりケガしたり、驚怖を感じて不安になり、何かが見えたり聞こえたり。大木が風もないのに倒れてきたり、岩石が突然落っこちてきて人を殺したり、パニックになった人が谷に落っこちたり、虎や狼に出会ったり、毒虫が喰いついてきたり・・・。軽々しく山に入ってはならない。三月と九月に入りなされ。山の開く月だからぢゃ。また、その月の中の吉日佳時を選んで入山しなされ。もし事情があってこの月に入れないのなら、日時だけは選びなされ。」
 アンタらは山に登る日の吉凶なんて気にしてないようだが、山を愛し、その恐ろしさも知っている者なら、いつ入峯するかというのは重要な問題のはずだぜ。陰暦の三月と九月といえば、今の四月と十月ごろだ。春峰と秋峰にあたり、この月に入山すべしというのも首肯ける。「抱朴子」巻十一 仙薬 には

「薬草を求めんと欲して名山に入るには、必ず三月九月を以てす。此、山開けて神薬を出すの月なればなり。」

ってあるぜ。「吉日佳時」については、巻十七 登渉 に他の文献も引用していろいろ書いてある。大月(陰暦で月が三十日の月)と小月(月が二十九日の月)それぞれに山に入る忌日がある。

「此日を以て山に入れば、必ず山神の為に試みられ、又求むる所も得ず、作(な)す所も成らず。但に道士のみならず、凡人も此日を以て山に入れば、皆凶害ありて、虎狼毒蟲と相遇はん。」

また、毎日の干と支の組み合わせによっても吉日凶日がある。大切なことは、山に入るには日時を選ぶだけでも、それくらい慎重でなければならんってことだ。
 「抱朴子」巻十七 登渉 には、山の中で様々な災いを避ける方法も記されてる。「兎歩」とか「六甲秘祝」とかいうのは、後世に日本の山伏たちもマネしてるぜ。

「山中の鬼の来りて、人を喚び食を求めて止まざる者を見しときは、白茅を以て之に投ずれば、即ち死し」

とあるのは、日本の神社で六月晦日に厄払いのためくぐる「茅の輪」を思わせる。人の姿に化けた鳥獣邪魅の正体を映す鏡や、大河を渡る際に帯びる雌雄一対の銅剣は、古代日本の銅鏡や銅剣の使い道をも示唆してるんぢゃねぇのかい?
 毒蛇を避ける法には、様々な生薬の名が出てくる。

「或は乾姜、附子を以て之を肘後に帯び、或は牛、羊、鹿の角を焼きて身を薫べ、或は王方平の雄黄丸を帯び、或は猪の耳中の垢及び麝香丸を以て、足の爪の甲の中に著くれば、皆効有り。」

乾姜(かんきょう)はショウガの根茎、附子(ぶし)はトリカブトの子根、牛角・羊角・鹿角はその名の通り、雄黄(ゆうおう)は鶏冠石(二酸化砒素)、麝香はジャコウジカの分泌物。 これらの生薬は用い方を誤ると中毒になることがあり、特に雄黄や附子は毒性も強い。「薬も過ぎれば毒となる」「毒薬変じて薬となる」ってワケさ。
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「抱朴子」巻十五 雑應 に、太上老君(老子)は

「黄色にして鳥喙(とりかぶと)のごとく隆き鼻」とあるが、老子爺さんはこんな形の鼻してたんだろうな。呉蚣(ムカデ)にも蛇避けの効果があると記され、

「南人は、此に因りて呉蚣を末として、蛇の瘡を治し、皆登時(ただち)に愈ゆるなり。」

とある。呉蚣(呉公)も「神農本草経」にあるレッキとした生薬さ。
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 江南(長江以南の地)の山谷は蒸し暑く、毒蟲が多い、とある。地球が温暖化し日本が亜熱帯化しつつある今日、この記述は俺らにとっても見過ごせないぜ。

「沙蝨(しゃしつ)なるもの有り、水陸に皆有りて其新雨の後及び晨暮(あさゆう)の前に跋歩するときは必ず人に著き、唯、烈日にして草の燥く時には、差(やや)稀なるのみ。其大いさは毛髪の端の如く、初めて人に著けば、便ち其皮裏に入る。其在る所は、芒刺の状の如く、少しく犯すも大いに痛み、針を以て之を挑(かか)げて取る可し。正しく赤きこと丹の如く、爪の上に著くれば行動す。若し之を挑げずんば、蟲は鑚(き)りて骨に至り、便ち周く行走して身に入るべし。其は射工と相似て、皆人を殺す。」(「抱朴子」巻十七 登渉)

千七百年前のこの記述は、俺らの親戚のツツガムシのことだ!俺らは幼虫・若虫・成虫の三期にそれぞれアンタらに寄生しておいしい血をいただくんだが、奴らは幼虫の時しかアンタらに寄生しない。若虫と成虫は土の中で昆虫の卵を喰ってるのさ。奴らは俺らより小さく、幼虫は0.2ミリぐらい。だが、新潟・秋田・山形の川沿いでは昔から赤虫、島虫、ケダニなどと呼ばれ、毎年死者が出て恐れられていた。明治時代にツツガムシと呼ばれるようになり病原体の研究が進められたが、ツツガムシが媒介する病原体がリケッチアであることが判明したのは、昭和になってからだった。無論、当時は有効な抗生物質なんて無く、太平洋戦争中も連合国軍に各地で感染者・死者が出ている。統計によれば、感染者は一万六千人以上、うち死者は七百人以上。日本軍には記録がないが、戦地で感染・死亡した人は少なくなかったろう。戦後、アメリカでテトラサイクリン系の抗生物質が開発され、リケッチアにも有効であることが分かってツツガムシ病は不治の病ではなくなった。俺らのだ液からアンタらに移ったリケッチアが引き起こす日本紅斑熱も、テトラサイクリンで治せるぜ。俺らのだ液には痛み止めも入ってるから刺されてもすぐには気付かぬだろうが、なるべく早目に気付くことだ。アンタらは俺らにとっちゃ大事なご宿主さまだ。俺らは血を分けてもらいてぇだけで、殺意なんてありゃしないんだぜ。
 「抱朴子」巻十七 登渉 には、太上老君(老子)や仙人陳安世の入山の符も記されてる。巻十九 遐覧 には

「符は老君より出でて、皆天文なり。老君は能く神明に通ず。符は神明の授くる所なり。」

ってある。護符・霊符ってもんは元々、老子爺さんが神さまから授かったものらしい。信心篤くなければ効果なく、写し間違えれば益がないどころか害があるとのこと。お守りにも正しい処方ってのがあるようだ。毒にも薬にもならんようなのは別だがな。
 とにかく、山に入る前から出た後まで謙虚に慎重さを失わず、お互いにうまく生きてゆこうぢゃないか、朋友。
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「終わりを慎むこと始めの如からば、則ち事を敗ること無し。」(「老子」64章)

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝