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長良川・各務用水放浪4

(承前)
 8月30日朝10時、岩滝山毘沙門堂を下って各務用水を下流へ。


南から東へ曲がった用水路は、再び南へ曲がって高速道路をくぐり南流。振り返ると、岩滝山のお姿。


やがて用水路は伊吹サイホンで新境川をくぐり、八坂神社が鎮座する愛宕山麓へ。


八坂神社にて牛頭天王に参拝し、山頂の愛宕神社にて勤行。



京都・愛宕山の開山は役行者と泰澄大師と伝わります。愛宕権現の本地は勝軍地蔵菩薩。神社前を各務用水は東流。


やがて南に曲がり、小瀬の取水口から十六キロ地点の伊吹ポンプで東幹線水路は終わっていました。


 西へ歩を進め、北西側に順拝してきた愛宕山(八坂神社)、と岩滝山(白山神社)、さらに岐阜市最高峰の百々ヶ峰を遥拝。


百々ヶ峰山頂北の権現山にも、白山権現が祀られています。伊吹サイホンで新境川をくぐってから分流した各務用水でしょうか、北から南へ流れる用水路がありました。(上側)


さらに西へ歩を進めて新境川と県道を渡ると、芥見の病院辺りの分水工で別れた各務用水西幹線水路に再会。


北に高賀山西の箭筈山(タカネ)がうっすらと拝めました。用水路は山崎除塵機・分水工を経て県道沿いに西流。


各務用水が潤す田んぼを舞う、アゲハチョウ。


農業用水路はビオトープでもあります。北側には、高速道路のトンネルがある尾崎の権現山。


山の北東麓に白山神社が鎮座しています。南側に広がる田んぼ。


高速道路をくぐった各務用水は土山除塵機の先で県道を離れ、川の上の掛樋を流れた後、別の水路に流れ込んでいました。


正午、付近の琴塚古墳に参拝。


全長百十五メートルの前方後円墳で、景行天皇の妃・五十琴姫(いそことひめ)の墓ともいわれているそうです。
 小瀬から各務原まで、白山連峰を源流とする長良川の水を二十キロにわたって送る各務用水は、昔から旱害に苦しむ当地の「往古ヨリ有名ナル各務野ト相唱ヘ候原野山林」(明治13年(1880)の用水路計画願)を灌漑し、開墾するために作られました。当初、津保川から取水する計画であったものの県の許可がなかなか下りず、明治16年(1883)の大旱魃の後、山県郡戸田村の岡田只治氏の尽力で各務郡・厚見郡十ヶ村の用水路と、取水困難となっていた武儀郡上下白金村の用水路を一つとし、長良川から取水する各務用水が作られることになったのでした。各務用水は明治21年(1888)起工、23年(1890)に竣工したものの翌24年(1891)の濃尾地震で水路尽壊、明治34年(1901)に完成しています(「各務用水碑」)。
 復路は各務用水ではなく、白山信仰の山々を越えつつ長良川に出ることにしました。琴塚古墳から北西に歩を進め、名鉄美濃町線の琴塚駅跡へ。


西へ進んで野一色の白山神社に参拝し、山頂の奥宮へ。


養老5年(722)泰澄大師の創建と伝わる社です。真昼の日射しと湿気の中、十分ほどで奥宮登拝。


北西に金華山(岐阜城)。


南は木曽川の彼方に名古屋。


神社へは下りず東側の尾根道を降下、北東に三峰山を遥拝。


琴塚に降下して車道を北上、13時すぎに三峰山麓の白山神社にお参りしました。


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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝