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基山・豪潮律師巡礼

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 肥後・玉名出身の天台僧・豪潮律師は、江戸時代後期に宝篋印塔八万四千造立の大願を発し、享和2年(1802)肥前・基山の大興善寺の宝塔を皮切りに九州各地に、文化14年(1817)尾張藩主・徳川斉朝に招かれて尾張に移った後は、東海各地にも多くの宝篋印塔を起塔されました。豪潮律師の宝篋印塔の壮麗さは、当ブログで度々紹介している通りです。
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(阿蘇・西巌殿寺、文化2年(1805)立塔、2016.10参拝時)
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(長崎・本河内、文化8年(1811)立塔、2017.5参拝時)
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(豊前・英彦山神宮、文化14年(1817)立塔、2019/7/17参拝時)
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(名古屋・萬松寺、文政元年(1818)立塔、明治末に総持寺が能登から鶴見に移転した際に総持寺に献納、2017大晦日総持寺参拝時)
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(常滑・天沢院、文政12年(1829)立塔、2017.12参拝時)
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(白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺、天保4年(1833)立塔、2019/1/2参拝時)
 宝篋印塔とは、過去のすべての仏さまの全身舎利(ご遺骨)と、現在・未来のすべての仏さまの分身のお姿である「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼」を納めた宝塔で、この宝塔を礼拝供養することは、過去・現在・未来のすべての仏さまを礼拝供養することに他なりません。

もし有情(衆生)あって
よくこの塔において
一香・一華をたむけて
礼拝供養すれば
八十億劫にわたる
生死の重罪は
一時に消滅し
生あるうちは災殃を免れ
死ののちは仏の家に生まれるであろう。

もし阿鼻地獄に
堕ちるようなことがあっても
もしこの塔において
あるいは一たび礼拝し
あるいは一たび右遶すれば
地獄の門は塞がれ
菩提の路が開かれるであろう。

(「宝篋印陀羅尼経」、拙訳)

 9月9日昼前、豪潮律師八万四千宝篋印塔の最初の宝塔を拝みに、肥前・基山(きやま)を訪れました。駅から西に一里以上の山中の大興善寺目指して歩き始め、とある神社に参拝したのですが、境内にあるお堂にお参りして驚きました。何の説明書きもありませんが、ご本尊は明らかに准提観音菩薩です。そして、扁額の字は「准提尊」「豪潮拝書」と読めます。豪潮律師は准提観音さまの深行者であり、寛政12年(1800)には光格天皇の勅により京都・聖護院南西に建てられた準提堂のご本尊を造立しています(現・積善院ご本尊)。基山の准提堂も豪潮律師と深い縁のある処と思われ、これからも大切にお守りしていただきたいものです。准提尊の御前で般若心経をお唱えし、律師を偲びました。
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 北西に基山(きざん)を遥拝しつつ、炎天下を行道。
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「肥前国風土記」基肆の郡(きのこほり)の条に、景行天皇が当地を遊覧した際、

「霧、基肆の山を覆へり。天皇、勅曰りたまひしく、「その国は、霧の国と謂ふべし」とのりたまふ。後の人、改めて基肆の国と号く。」

とあります。大興善寺は、西側の山の向こう。山の裾を歩いてゆくと、一井木という所に出ました。
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さらに歩を進め、正午に出合った秋光川。
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大興善寺はこの川の上流です。真昼の陽射しを浴びつつ川上へ歩くこと二十分。大きな庚申塔。
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その北の山中が、大興善寺。
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本堂に参拝して裏山(契山)に入ると、巨大な「シッチリヤ」の梵字岩の上に、宝篋印塔が建っていました。
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 「シッチリヤ」とは、宝篋印陀羅尼(呪文)の冒頭、漢訳すれば「南無三世一切如来」の「三」に、前後の音がくっついた梵字。豪潮律師の八万四千宝篋印塔の塔身下段に必ず記されている字ですが、八万四千塔最初の宝塔は、「シッチリヤ」の梵字岩から始まったのでした。豪潮律師は頼山陽と浄土真宗の雲華院大含講師に会った際、二人から、釈迦が孔子に土俵外へ投げ出された図に賛を求められました。すると、律師は

「孔子ハ一世ヲ説キ 釈迦ハ三世ヲ説ク 笑ヒテ絶倒ス」

と書いたそうです(「豪潮律師畧伝」)。仏教とは過去・現在・未来の三世にわたる教えであることを、この「シッチリヤ」の字は示しています。宝塔を見上げつつ宝篋印陀羅尼を誦し、三世一切諸仏を礼拝供養しました。
 大興善寺から秋光川に沿って下り、振り返った契山。
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豪潮律師の八万四千宝篋印塔は、此処を源流として九州各地へ、さらに東海地方へと造立されていったのでした。豪潮律師が大興善寺を八万四千宝篋印塔最初の地に選んだのは、宝篋印陀羅尼経(一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経)を八世紀に漢訳した不空三蔵が住していた、唐の都・長安の大興善寺に因んだものでしょう。
 秋光川の川岸に咲き始めた、彼岸花。
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秋光川は宝満川を経て筑後川に注ぎ、有明海へと流れ出ます。有明海は玉名出身の豪潮律師の故郷の海であり、律師の法友で天草出身の瑞岡珍牛禅師の故郷の海であり、私のご先祖さまの故郷の海でもあります。宝篋印塔が過去・現在・未来のすべての仏さまのお墓であり、私たちが未来の仏であるとすれば、宝篋印塔とは、私たちのご先祖さま、私たち皆、そして子々孫々すべてのお墓であるとも申せましょう。

南無三世一切如来

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝