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豊州・豪潮律師順礼

 7月17日、豊前・英彦山登拝の際に拝んだ、豪潮律師の宝篋印塔。
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宝篋印塔とは、お釈迦さまがマガダ国で無垢妙光バラモンの供養を受けに行く途中、豊財園で礼拝した古塔に由来します。この塔は、「一切如来の無量倶胝の心陀羅尼密印法要」が中にある、み仏の全身舎利(ご遺骨)が積み集まった宝塔。現在・未来のすべてのみ仏の分身のお姿と過去諸仏の全身舎利である「宝篋印陀羅尼」を、中に納めた宝塔です。

もし有情(衆生)あって
よくこの塔において
一香・一華をたむけて
礼拝供養すれば
八十億劫にわたる
生死の重罪は
一時に消滅し
生あるうちは災殃を免れ
死ののちは仏の家に生まれるであろう。

もし阿鼻地獄に
堕ちるようなことがあっても
もしこの塔において
あるいは一たび礼拝し
あるいは一たび右遶すれば
地獄の門は塞がれ
菩提の路が開かれるであろう。

(「宝篋印陀羅尼経」、拙訳)
 江戸時代後期、肥後・玉名出身の天台僧・豪潮律師は宝篋印塔八万四千造立の大願を発し、享和2年(1802)の肥前小松・大興善寺の塔を皮切りに九州各地に、文化14年(1817)に尾張藩主・徳川斉朝に招かれ尾張に移ってからは、知多を中心に東海各地に壮麗な宝篋印塔を起てられました。「八万四千塔」は、紀元前三世紀のインド・マウリヤ朝のアショーカ王(阿育王)が戦争で大量の人々の命を奪ったことをきっかけに、お釈迦さまの舎利を細分して各地に起てた八万四千舎利塔、および、十世紀の中国・杭州を中心とする呉越国の王・銭弘俶が、戦争で大量の人々の命を奪ったことから精神的に重い病となり、ある僧の勧めで宝篋印陀羅尼経を印刷し納めて各地に贈った銅製や鉄製の八万四千宝篋印塔に倣ったものでしょう。銭弘俶の塔は、筑前芦屋の誓願寺にも伝わっています。
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(誓願寺と毘沙門山、2017.9)
 英彦山の宝篋印塔は、文化14年(1817)、豪潮律師69歳の時に起てられました。
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明治の神仏分離の際に塔身上段の金剛界曼荼羅四智如来の種字がくり抜かれ、塔身下段の「シッチリヤ」の梵字も削られていますが、かなり大きめの塔です。「シッチリヤ」とは、宝篋印陀羅尼の呪文の冒頭、漢訳すれば「南無三世一切如来」の「三」に、前後の音がくっついた字です。削ったところで、過去と現在と未来を断ち切ることはできません。彦山川が遠賀川に注いで海に出る辺り、筑前芦屋の海雲寺跡にも豪潮律師の宝篋印塔があります。
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(享和3年(1803)立塔、2017.9)
英彦山の宝塔より少し小さく、白山美濃馬場・長瀧寺の宝塔と同じくらいの大きさ。
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(天保4年(1833)立塔、2019/6/23)
長崎・本河内の宝塔も、けっこう大きいです
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(文化8年(1811)立塔、2017.5)
東海地方には、英彦山の塔よりも大きな豪潮律師宝篋印塔があります。常滑・天沢院の塔。
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(文政12年(1829)立塔、2017.12)
名古屋・萬松寺の塔。
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(文政元年(1818)立塔、2017/12/31総持寺)
最大の塔です。萬松寺は、豪潮律師の法友で天草出身の瑞岡珍牛禅師がおられた寺です。明治44年(1911)に総持寺が能登から鶴見に移転した際、総持寺に献納されて現在に至っています。豪潮律師と各地の施主たちが起てた「八万四千塔」の中には宝篋印陀羅尼が納められ、筑前芦屋の宝塔のように、地下に仏像等が埋納されることもありました。律師の生前には八万四千もの塔は起てられなかったでしょうが、十数センチの小塔も含めるとかなりの数であったはずです。豪潮律師が二百年以上前に発願された「八万四千塔」は、一世一代のものではなく、私たちが未来へと受け継いでゆくべき大願と申せましょう。
 翌7月18日、豊後・日田の三隈川河畔へ。
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豪潮律師が享和2年(1802)に彫られた梵字岩、金剛界大日如来の種字です。
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この年は、豪潮律師が八万四千塔を建て始めた年です。三隈川沿いに歩を進め、八坂神社へ。境内の「むらくもの松」は、まるでヤマタノヲロチのよう。
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八坂神社(祇園社)の祭神は牛頭天王、即ちスサノヲノミコト。出雲の斐伊川上流でヤマタノヲロチを退治した神さまです。向かいの日田祇園山鉾会館には、スサノヲのヲロチ退治を描いた見事な山鉾の見送幕がありました。
 北側へ足を進め、花月川へ。
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花月川も三隈川も、筑後川となって有明海に注いでいます。日田は九州の中でも暑い所、今日は雨上がりの曇り空ですが、蒸し暑いです。川沿いに東へ行道、10時すぎに大超寺に参拝。
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豪潮律師が掛錫していた処です。浄土宗の寺院ですが、天台僧・豪潮律師の宝篋印塔は天台宗のみならず、曹洞宗、浄土宗、真言宗のお寺にも起てられており、一宗一派を超えた大願でありました。大超寺の宝篋印塔。
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享和3年(1803)造立のようです。塔前にて礼拝し、宝篋印陀羅尼を誦して二年前の九州北部豪雨で亡くなられた方々と一年前に亡くなった妻の菩提を弔い、被災地の復興をお祈りしました。
 大超寺から、さらに東へ。相撲の神さまを祀る日田神社。
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車道を渡って慈眼山永興寺の十一面観音さまに参拝。さらに登ると、豪潮律師の宝篋印塔が現われました。
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相輪は折れていますが、享和3年(1803)造立の八万四千塔に間違いありません。
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礼拝して陀羅尼を誦し、豪潮律師を偲びました。
 午後はバスで耶馬溪へ。中島バス停で下車、禅海橋より山国川上流側に羅漢寺橋。
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下流側に競秀峰、青の洞門。
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羅漢寺へと歩を進め、旧参道の石畳へ。
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湿って滑りやすいです。
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門前から険しい不動坂を登ると鳥居が描かれた不思議な宝篋印塔があり、掌を合わせました。
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山道をさらに上へ。
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羅漢寺の門内は写真撮影禁止。千体地蔵が祀られた岩壁の下に、宝篋印塔。文化15年・文政元年(1818)に豪潮律師が起てたとのことですが、塔石は新しそうで、塔身下段にシッチリヤの梵字もなく、豪潮律師の宝篋印塔には見られない模様や絵が彫られています。再建した塔でしょう。陀羅尼を誦して本堂に参拝。旧参道を下って山国川に戻り、青の洞門へ。
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越後出身の禅海和尚が享保20年(1735)から三十年がかりで掘った洞門です。
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禅海和尚のノミの跡を拝み、念仏をお称えしました。
 青の洞門バス停は護岸工事のため2019年9月末までバスが通らず、下曽木入口バス停へ。目の前に、耶馬溪橋(オランダ橋)。
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雨が降ってきました。長崎の石橋を彷彿させるオランダ橋には、雨が似合います。中津駅行きのバスに乗り、帰路につきました。
 宝篋印塔とは、過去・現在・未来のすべての仏さまのお墓であるといえます。私たちが未来の仏であり、私のような愚か者でも五十六億七千万年後には成仏できるとすれば、それは、私たち皆のお墓に他なりません。南無三世一切如来。

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝