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大垣・熊野神社~垂井・喪山等放浪

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 岐阜県大垣市東部・小野(この)の八王子神社が、奈良時代に出雲国楯縫郡万田の峴神社(みねじんじゃ)から勧請されたと伝わることは、二ヶ月前(2019年5月)の記事「出雲巡礼/許豆~鰐淵寺~弥山~大社」で紹介しました。
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(大垣市小野・八王子神社、2019.3.21)
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(出雲市万田・峴神社、2019.5.13)
大垣市西部にも出雲から勧請された古社があり、参拝がてら、大垣から垂井まで放浪してきました。
 7月7日朝7時前、北大垣駅で下車。駅前の護国霊苑にお参りし、津島神社に参拝。
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尾張の津島を本社とする津島神社の祭神は、祇園(八坂神社)と同じく、牛頭天王(素戔嗚尊(スサノヲノミコト))。菅野川・杭瀬川沿いに西に歩を進め、伊吹山を遥拝。
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福田町の真光寺(浄土真宗)は往古は天台宗で、これから訪れる熊野権現の六院九坊の一つ・福成院であったそうです。
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紀伊の熊野本宮の本地は阿弥陀如来、垂迹は家都美御子大神(素戔嗚尊)。阿弥陀さまに念仏をお唱えして北へ進むと、また津島神社がありました。
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お参りして西へと行道。スーパーの北に鎮座する荒橋神社。
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さらに西へ歩を進めると、伊吹山を背景に社殿の側面が見えてきました。
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熊野町の熊野神社(熊野山大権現)です。
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 「御由緒」によれば、出雲国の熊野神社から勧請され、その後、平安末期の本地垂迹説により大権現として崇拝されてきたとのこと。奈良朝期の瓦の破片が出土しており、奈良時代創建の古社です。出雲国意宇郡(おうぐん)の熊野大社は、天平5年(733)成立の「出雲国風土記」に出雲郡の杵築大社(現・出雲大社)と並んで「大社」と称される、かつての出雲国一の宮。
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(熊野大社、2019.6.29)
熊野大社の祭神は、「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎 熊野大神 櫛御気野命(イザナギノヒマナコ カブロギ クマヌノオオカミ クシミケヌノミコト)」、即ち素戔嗚尊です。西美濃に勧請された熊野大神の祭神も、もちろん素戔嗚尊。拝殿の後ろに、千木高く聳え立つ本殿(巻頭写真)。高天の原を追放されて出雲で八俣の大蛇を退治し、須賀の宮を建てて「八雲立つ出雲八重垣・・・」と和歌を詠み、やがて根の堅州国の大神となって大国主神を育てた熊野大神・須佐之男命に参拝させて頂きました。
 熊野神社から南西へ足を進め、平将門の御首を祀る御首神社(みくびじんじゃ)へ。
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関東で反乱を起こした平将門は天慶3年(940)2月に討ち取られ、京でさらし首とされましたが、将門の首は故郷に戻ろうと東へ飛び立ち、美濃国南宮神社の隼人神が矢で当地・荒尾に射落としたのでした。御首神社は、将門公の怒りを鎮め霊を慰めるために建てられたそうです。御首神社の西側には、伊吹山を背景に鎮座する諏訪神社。
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諏訪神社の祭神は、高天の原から出雲の稲佐の浜に降って国譲りを迫る建御雷神(タケミカヅチノカミ)と戦った、大国主神の御子・建御名方神(タケミナカタノカミ)。線路をくぐって、さらに南東へ田園地帯を行道。8時半、木呂の白山神社にて白山権現王子眷属に参拝しました。
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 水田の彼方に、伊吹山。
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伊吹山の美濃側に鎮座する伊富岐神社も、近江側に鎮座する伊夫岐神社も、共に祭神は多々美比古命とも八岐大蛇(やまたのおろち)の化身とも伝えられています(「垂井町史」、「伊吹山寺」(伊吹町文化財第2集)、「本朝諸社一覧」)。「源平盛衰記」巻第四十四には、出雲で八岐の大蛇を退治した素戔嗚尊が大蛇の尾の中に草薙の劔を見つけ、姉の天照太神に献上したとき、

「太神大ニ悦マシマシテ、吾天ノ岩戸ニ閉籠シ時、近江国膽吹巓ニ落タリシ劔ナリトソ仰ケル。彼ノ大蛇ト云ハ、膽吹ノ大明神ノ法體也」

とあります。後に伊吹の神に敗れて命を失った日本武尊は、草薙の劔を八俣の大蛇の霊に取られぬために、あえて劔を尾張に置いたまま伊吹山に向かった、とも考えられます。近江・美濃の伊吹山麓の両社は、八俣の大蛇の怒りを鎮め、霊を慰めるための社であったのかもしれません。
 貨物列車と特急専用の線路沿いに北上し、9時半、昼飯大塚古墳(ひるいおおつかこふん)へ。
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四世紀末頃の前方後円墳で、墳丘の長さは百五十mあります。後円部頂の下には、三つの棺。西に聳える伊吹山。
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中山道を西へ行道、青墓の籾糠山古墳や白髭神社を経て10時半に美濃国分寺跡に着きました。
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七重の塔や金堂、講堂、鐘楼などが建っていた広大な境内の彼方に、雲を被った伊吹山を遥拝。
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金堂の南には、養老の山並。
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現在の国分寺に参詣してお薬師さまに般若心経とご真言をお唱えし、歴史民俗資料館を拝観。熊野神社の辺りには、弥生時代中期や後期の遺跡もあるそうです。国分寺跡の池に、蓮の花を拝みました。
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 正午すぎ、中山道を垂井へと行道。ご神木らしき樹が見えたので寄り道すると、山の神が祀られていました。山の神の彼方に、伊吹山。
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伊吹山から風がけっこう吹いてきますが、強い陽射し。綺麗なサッカーコートの北に小山が見え、そちらへ足を進めると、喪山でした。
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出雲を拠点に葦原の中つ国の国作りを進めていた大国主神の許へ、天照大御神が治める高天の原から国譲りの交渉のために遣わされながら、大国主神の娘の下照比賣(シタテルヒメ)と結婚した天若日子(アメノワカヒコ)の喪屋です。「古事記」によれば、八年経っても高天の原に復命せず、偵察に遣わされた雉を射殺した天若日子は、高天の原からの返し矢に胸を射抜かれて亡くなったのでした。天若日子の親族が降ってきて葬礼をし、下照比賣の兄で大国主神の長男の阿遅志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネノカミ)が弔問に来たとき、親族たちは天若日子にそっくりな阿遅志貴高日子根神を見て天若日子が生き返ったと勘違いをし、怒った阿遅志貴高日子根神は喪屋を切り伏せ、蹴飛ばしたのでした。落ちた処が美濃国の藍見河の河上の、喪山。白山連峰を源流とする長良川(藍川)流域の喪山(美濃市大矢田)がその伝承地ですが、伊吹山地を源流とする相川流域の当地も、伝承地の一つのようです。頂には英霊碑。
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念仏をお称えし、先の大戦で亡くなられた方々と共に、天若日子の霊を弔いました。三ヶ月ほど前(2019年3月29日)に参拝した東近江・豊郷の天稚彦神社は、下照媛命が夫・天稚彦命(アメノワカヒコノミコト)を葬られた地と伝わります。
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豊郷で葬礼が行われ、阿遅志貴高日子根神が喪屋を北東に蹴飛ばしたとすると、垂井の喪山と美濃の喪山はほぼ直線上に位置します。切り伏せ蹴飛ばした喪屋の一部が垂井に落ち、残りは美濃まで飛んでいったとすれば、これらの伝承は「古事記」の記述とピッタリ辻褄が合います。
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(美濃市大矢田の喪山、2018 .12.15)
 喪山の北の丸山から西へ歩を進め、喪山を遥拝。
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南宮御旅神社(祭神・金山姫命)と美濃国府跡に参拝し、南下。
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相川の上流に、雲を被った伊吹山。
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垂井の泉。
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八重垣神社。
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「太平記」に、南北朝時代・文和2年(1353)6月、足利義詮が後光厳天皇を奉じて都落ちし、「美濃国垂井の宿の長者が宿」を仮御所としたことが記されています。このとき、帝を護衛していた佐々木秀綱(バサラ大名・佐々木道誉の嫡男)は近江の堅田で討死しています。「御由緒」によれば、帝は京の祇園社に戦勝祈願の綸旨を発し、祇園社の僧が垂井に来て祈祷を厳修しました。祇園社(現・八坂神社)の祭神は、牛頭天王(素戔嗚尊)。仮御所は牛頭天王社と命名され、戦国時代に現在地に遷座、明治時代に八重垣神社と改称したそうです。隣に学校のある明るく厳かな社に牛頭天王即ち素戔嗚尊を拝み、美濃国一の宮・南宮大社(祭神・金山彦大神)、金蓮寺と順拝して垂井駅へ向かいました。
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 牛頭天王は素戔嗚尊(スサノヲノミコト)であり、熊野大神も素戔嗚尊ですが、素戔嗚尊は牛頭天王や熊野権現に留まらず、中世には杵築大社(出雲大社)の祭神とされていました。「源平盛衰記」にも、

「素戔嗚尊ト申ハ今出雲国杵築大社是也」(巻第四十四)

とあります。近世になって杵築大社との関係を絶たれた出雲の鰐淵寺では、素戔嗚尊は
「仏法弘通の時を待つと云い終わりて、消えるがごとく失せ」(「出雲札所観音霊場記」)、
摩陀羅神となっています(「もう一つの出雲神話」、出雲弥生の森博物館2013年特別展)。
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(鰐淵寺の常行堂と背後の摩多羅神社、2019.5.13)
「古事記」に記されているようにユニークでスケールのデカい大神・素戔嗚尊には、時代に応じた役が求められるようです。これからの時代は、迷信じみた外っ面のご利益よりも、「根の堅州国」、即ち意識下の世界の大神として、私たちを導いてくださることでしょう。
 
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝