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出雲巡礼/那賣佐神社~須佐神社

 6月29日朝、出雲神西駅で下車。今日も雨は降ってません。九景川を遡って二十分ほど歩を進めると、那賣佐神社(なめさじんじゃ)に着きました。石段を登って上へ。
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「出雲国風土記」神門郡(かむどぐん)の条に

「滑狭の郷。郡家の南西八里。須佐能袁命(スサノヲノミコト)の御子和加須世理比賣命(ワカスセリヒメノミコト)坐(いま)しき。尓の時、天の下所造らしし大神命、娶(あ)ひて通ひ坐しし時に、彼の社の前に磐石(いは)有り、其の上甚く滑らかなりき。即ち詔りたまひしく、「滑(なめし)磐石なる哉」と詔りたまひき。故、南佐と云ふ。神亀三年(726)、字を滑狭と改む。」

とあります。「天の下所造らしし大神」とは、「出雲国風土記」では大穴持命、即ち大国主神のことです。「古事記」によれば、出雲の須賀で結ばれた須佐之男命と櫛名田比賣の子孫である大穴牟遅神(オホナムチノカミ)は、兄弟の八十神たちに迫害されて二度も殺され、蘇って木国(紀伊国)の大屋毘古神の許へ避難しました。が、八十神たちに付け狙われ、

「須佐能袁命の坐します根の堅州国に参向(まいむか)ふべし。必ずその大神、議(はか)りたまひなむ。」

と勧められて根の堅州国、即ち黄泉の国へと避難したのでした。そこで出会ったのが、須佐之男命の娘・須勢理毘賣。
「とても麗しい神が来ました。」
と言う娘に、須佐之男命は
「こ奴は、葦原色許男(アシハラノシコヲ)じゃ。」
と告げ、蛇の室、呉公(むかで)と蜂の室、焼け野と、次々に試煉を課します。須勢理毘賣や鼠の助言で難関をくぐり抜けた葦原色許男を、須佐之男命は大きな部屋に呼び入れ、
「頭のシラミを取ってくれ」
と頼みます。見ると、頭の中はムカデだらけ。一瞬たじろいだ葦原色許男でしたが、須勢理毘賣からムクの木の実と赤土を渡され、実をかじって赤土と一緒にペッペッと唾すると、ムカデを喰い破っていると思った須佐之男命はとても心地よくなり、うたた寝してしまったのでした。葦原色許男はその隙に須佐之男命の髪を椽(たるき)に結びつけ、須勢理毘賣を背負い、大神の生大刀と生弓矢と天の詔琴を奪って脱走したのでした。異変に気づいた大神・須佐之男命は黄泉平坂(よもつひらさか)まで追っかけたものの、すでに二人は黄泉の国の外。二人の後ろ姿に、大神は大声で
「お前が持っている生大刀・生弓矢で、兄弟の八十神たちを追い伏せ追い払い、大国主神となり宇都志国玉神となって、わしの娘・須勢理毘賣を正妻とし、宇迦の山の麓に大宮殿を建てよ!こん畜生!」
と、はなむけの言葉を送ったのでした。宇迦の山の山本の大宮殿とは、今の出雲大社に他なりません。
 石段の上の社殿にて、葦原色許男(大国主神)と須勢理毘賣に参拝。
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黄泉平坂を出た後、須勢理毘賣はこの辺りに住まわれたのでしょう。社の裏山に登ってゆくと、スズメバチが出迎えてくれました。頂に出ると北西の展望が開け、神西湖(じんさいこ)の彼方に日御碕を遥拝。
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北面して大社を拝みました。中世、此処には神西城(龍王山竹生城(たけのおじょう))があり、戦国時代には月山富田城を拠点とした尼子氏の防御網「尼子十旗」の一城でした。神社に戻り石段を下ると、蛇が見送ってくれました。
 車道に出、来た道を少し戻って神谷川(岩坪川)沿いの林道へ歩を進めると、岩坪明神の祠がありました。
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滑らかな河床には、ポットホール。
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「出雲国風土記」に記される、須世理毘賣の社の前の滑らかな磐石とは、此処のことでしょう。「出雲国風土記」には「奈賣佐社」と「那賣佐社」の二社が記されています。大国主神の正妻となった須勢理毘賣でしたが、後に夫が高志国(越の国)で沼河比賣(ヌナカワヒメ)を妻とした際、ひどく嫉妬をしています(「古事記」)。大国主神が詫びて、出雲から倭国(やまとのくに)に出発する際に妻のために長歌を歌うと、須勢理毘賣も機嫌を直して歌を返し、酒杯を交わして首に手をかけ合い、
「今に至るまで鎮まり坐す。」(「古事
記」)
須勢理毘賣は、父・須佐之男命譲りの激しい心情を受け継いでいたのでしょう。
 岩坪から、林道を延々と上へ行道。朝露に湿った沢沿いの草木。
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三十分ほど登ると、北の樹間に出雲ドームが見えました。
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林道はさらにアップダウン。鳥たちのお喋り。山中の池。
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二つ丸登山口を経て乙立(おったち)の集落に出、岩坪から一時間半弱、10時に神戸川(かんどがわ)を渡りました。
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川沿いの国道を上流へと行脚。殿河内トンネルをくぐらず、トンネル上の八幡宮に参拝。
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石州瓦の柿色屋根の家が点在する、長閑な風景。川沿いに出て国道に合流し、南へと上ってゆきました。
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 11時、須佐川の出合より見上げた高櫓城趾。
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神戸川沿いの国道に別れを告げ、須佐川沿いに遡ってゆきました。「出雲国風土記」飯石郡の条に

「須佐川。源は郡家の正南六十八里なる琴引山より出で、北へ流れて来島・波多・須佐等の三つの郷を経りて神門の郡門立(とたち)の村に入る。此は所謂神門河の上なり。年魚(あゆ)有り。」

左岸の車道を三十分ほど歩いてゆくと、対岸に鳥居が見え、橋を渡って参拝。
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曽我利の須賀神社です。祭神はもちろん、須佐之男命。左岸に戻って歩を進めると、須佐神社の摂社・厳島神社がありました。
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厳島神社の祭神である多紀理毘賣命・市寸島比賣命・多岐都比賣命(宗像三女神)は、須佐之男命の娘。高天の原で天照大御神と須佐之男命が誓(うけ)ひをした際、須佐之男命の十拳剣(とつかつるぎ)を姉・天照大御神が打ち折り、噛み砕いて吹いた気吹(いぶき)の霧から生まれたのでした。多紀理毘賣命は、大国主神の長男・阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネノカミ)の母でもあります。参拝してさらに足を進め、正午前に須佐神社に着きました。
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 「出雲国風土記」飯石郡の条に

「須佐の郷。郡家の正西一十九里。神須佐能袁命、詔りたまひしく、「此の国は、小き国なれ雖(ども)、国処在り。故、我が御名は木石には着けじ」と詔りたまひて、即ち己が命の御魂(みたま)、鎮め置き給ひき。然して即ち大須佐田・小須佐田を定め給ふ。故、須佐と云ふ。即ち正倉有り。」

須佐之男命が己れの御魂を祀ったという、須佐大宮。参道の左手を須佐川が流れ、上流側には須佐之男命と向き合うように、姉・天照大御神が祀られています。
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須佐川の滑らかな河床。
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大社造りの本殿を見上げると、スケールのデカい大神・須佐之男命の御魂への、深い畏敬の心が生じました。
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 高天の原を追放されて出雲に降り、八俣の大蛇を退治して草薙の大刀を姉・天照大御神に捧げた須佐之男命。かつて「妣(はは)の国根の堅州国」に行きたい!と泣き続け、後に根の堅州国の大神となって須世理毘賣と大国主神を育てた、須佐之男命。高天の原と葦原の中つ国と黄泉の国をつなぎ、日本の父母・伊邪那岐命と伊邪那美命をつなぎ、天地人を結ぶことができるのは、善悪・陰陽を超越した大神・須佐之男命をおいて他にないでしょう。
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 須佐之男命の妻・櫛名田比賣を祀る社があったという対岸で一休みし、須佐川沿いに下流へ行道。須佐国造館、厳島神社と順拝して、雨壺に参拝。
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この岩の穴をかき回すと、神さまの怒りで洪水になると言い伝えられています。大神の御魂を拝み、小雨の中、真っ黒に日焼けした顔で須佐川左岸をバス停へと下ってゆきました。

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝