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長瀧寺~洲原・立花まで長良川放浪2

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(承前)
 剣の金劔神社から、長良川沿いを右岸に渡りつ左岸に渡りつ南下。午前中はけっこう涼しかったのですが、昼下がりはさすがに暑い日射し。13時、山田駅から北上する長良川鉄道に出会いました。
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和合橋を渡って右岸を進むと、対岸を南下する長良川鉄道(巻頭写真)。場皿より上流を遠望。
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この辺りの景観は清々しいです。このまま右岸を行道するつもりでしたが、道路工事で通行止、中元橋を渡って左岸へ。
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国道から報徳橋を渡って再び右岸へ。
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14時半前、勝更(かっさら)の白山神社に着きました。
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「郡上八幡町史」によれば、祭神は鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアヘズノミコト)、もとは佐良の宮といい、養老4年(720)創建と伝わります。長瀧寺真如坊伝来の「白山権現御躰」(白山曼荼羅)には

皿宮 毘沙門 地蔵尊

とあります(「長瀧寺真鑑正編」)。佐良宮(佐羅王子)も白山六所王子のお一人で、近江と越前の境の荒血中山(愛発山)で生まれた王子です(「白山大鏡」)。「義経記」では、加賀国下白山の女體后の龍宮の宮と、志賀の辛崎明神(唐崎明神)の子であるとの伝承を弁慶が語っています。加賀の佐羅宮(佐良早松神社、本地不動明王・垂迹鸕鷀草葺不合尊)は天元5年(982)の創建(「大永神書」)。越前・伊波の皿川沿いに鎮座する佐羅宮は、「白山一の宮」と称される古社。
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(伊波・佐羅神社、2018.5参拝時)
白山越前馬場・平泉寺の「白山権現講式」(享禄3年(1530)書写、大原勝林院所蔵)には、白山六所王子の筆頭に

「一ニ者佐羅王子、本地毘沙門天王也」

とあります。白山佐羅王子・本地毘沙門天王を供養しました。
 引き続き、長良川右岸を南へ行道。対岸に郡上八幡城。
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多賀神社があり、参詣。
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近江の多賀にお鎮まりになられた日本の父・伊邪那岐大御神を供養しました。川に急斜面がせまっている腰細で出合ったお猿さんたち。
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15時過ぎに鈴原天満宮に参拝。側には中山城外構(そとがまえ)の石塁。
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急勾配の河岸を長良川鉄道の線路見下ろしつつ行道。
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雨が降ってきました。法伝橋を渡り、15時半に法伝の滝に参拝。
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延宝7年(1679)6月15日、円空上人が白山権現のご霊託を受けた処です。勤行を修し、不動明王と白山三所権現、円空上人を供養。不安定な空模様、上空から雷の音が聞こえてきました。
 法伝の滝から、長良川沿いの国道を南下。
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吉野トンネルにはしっかりした歩道があり、助かります。
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東乙原にある、車道の上手に続く歩道。
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車でこの道を通るとき、この歩道を一度は歩いてみたいなぁと思っていましたが、ついにその機会が訪れました!歩道は幅も広く、車どもを見下ろしつつ歩けて快適です。
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日本もそろそろ、車優先の社会から卒業しなければならないでしょう。名津佐の春日大明神を拝み、谷沿いの林道を東へと上ってゆきました。白谷と熊切谷の合流地点で折り返し、さらに上へ。
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16時半、梅原白山神社に出ました。
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長瀧寺真如坊伝来の「白山権現御躰」(白山曼荼羅)に、

梅原 毘沙門 地蔵尊

(「長瀧寺真鑑正編」)。当社の縁起 (「白山大権現由来」、正和元年(1312))によれば、泰澄大師白山開山の際に当地に伊弉那岐命を祀り、白山大神宮と称したとのこと。付近には梅原寺跡や薬師堂もあり、大きな社であったようです。白山権現王子眷属を供養して南へ歩を進めると、上空で雷ゴロゴロ、夕立となりました。沢沿いに下って国道に出、雷雨の中、長良川左岸の国道を歩いてゆこうと思いましたが、対岸に見える神社に惹かれて橋を渡り、右岸へ。
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八幡神社で、治承年間(1177~1181)に出雲国から相生村に来た福手兵部少輔が相生村内に八幡宮を祀り、後に西乙原村に転居して八幡宮を当地(それまでは杭本明神が祀られていた)に遷座したとのこと。思いがけず出会った出雲ゆかりの社に神語をお唱えして参詣すると、雨は一旦上がりました。
 八幡神社から三日市を通って南西へ行道。上空でバリバリゴロゴロ轟く雷鳴。前方に瓢ヶ岳の山並。
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高速道路の瓢ヶ岳PA付近です。昨年(2018年)4月29日、この辺りの杉原(すいばら)の熊野神社から杉原山を越えて粥川谷に出、瓢ヶ岳まで登りました。雷雨の中を一心に行道、開けた処より山際や林の下は安心して歩けます。
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17時半、弘法大師堂にお参りしようと鰐口を打った瞬間、雷が轟いて雨がけっこう降ってきました。傘をさして長良川右岸を一心に行脚。
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18時前に下田で国道に合流、雷はおさまるも、雨は全く止みません。脚がかなり疲れてきました。
 18時半、長瀧寺を出発してから十時間、八坂神社に参拝。
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八坂神社(祇園社)の祭神は牛頭天王、即ち須佐之男命、本地は薬師如来。善と悪、光と影を併せ持つ牛頭天王=須佐之男命を供養していると、雨はすっかり止んでしまいました。長良川右岸の国道を南下。
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19時、白石橋を渡って左岸へ。
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泰澄大師とご母堂さまが野宿されたと伝わる母野(はんの)の白山神社にお参りしました。
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すでに薄暗い境内。左岸を歩いて鶴形山を遥拝。
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神母橋(かんもばし)を渡り洲原隧道をくぐって、19時半に洲原神社到着。
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長瀧寺真如坊伝来の「白山権現御躰」(白山曼荼羅)に

須原神社 十一面観音 伊弉冊尊(イザナミノミコト) 伊弉諾尊(イザナギノミコト) 大己貴尊(オホナムチノミコト)

(「長瀧寺真鑑正編」)。「洲原白山並安定由緒書」によれば、泰澄大師が養老5年(721)に当地で修行され、鶴形山を内宮として白山三所権現を祀り、山麓を外宮として白山三所権現と前立の地蔵尊(十禅師)の四座を祀って三所妙理白山十禅師大権現と称した、とあります。禅師王子(本地・地蔵菩薩)は白山六所王子のお一人です。無事に此処まで順拝できたことを白山権現王子眷属に感謝し、今日のゴール地点・立花神社を目指してヘッドランプ点け足を進めました。
 雨は止みましたが、上空では時折稲光が瞬いています。日も暮れてしまったので、お地蔵さまのおられる六角堂には登らず立花トンネルを潜行。
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郡上市内のトンネルには安全な歩道がありましたが、美濃市内の立花トンネルは歩道が狭い、というより、ありません。
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トラックなどが通るととても危険です。トンネルを出て長良川右岸を歩き続け、20時15分、ついに立花神社に到着。
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長瀧寺真如坊伝来の「白山権現御躰」(白山曼荼羅)に

橘神社 金剛童子 猿田彦命

(「長瀧寺真鑑正編」)。「美濃市史」によれば、洲原神社と同じく養老5年(721)の創建、金剛童子を祀り境内に十王堂・大日堂・薬師堂があり、金剛寺とも称していたそうです。約十二時間前に長瀧寺で最初に拝んだのが金剛童子堂であり、今日最後の順礼地も金剛童子の社。かつての金剛寺の名残を留める鼓楼を見上げ、ご宝前にて宝篋印陀羅尼を誦して三世一切諸仏、金剛童子即ち金剛手菩薩、白山三所権現王子眷属に感謝しました。
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 長瀧寺から大汝峰まで十八時間、長瀧寺から立花神社まで十二時間弱。長瀧寺真如坊伝来の「白山権現御躰」(白山曼荼羅)に描かれている「大汝」から「橘」まで、野人の足で三十時間でした。脚がかなり疲れましたが、白山権現王子眷属のみならず、熊野・出雲・祇園ゆかりのあの大神のご加護とお導きを、強く感じさせられた巡礼行でした。

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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝