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長瀧寺~洲原・立花まで長良川放浪1

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 先月(2019年5月23~24日)、白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺(ちょうりゅうじ)より古の白山美濃禅定道を登拝しました。山頂・御前峰まで十七時間(大汝峰まで十八時間)。5月12日に五箇山・白山宮の三十三年ぶりのご開帳で拝んだ長瀧寺真如坊伝来の「白山権現御躰」(白山曼荼羅)には、長瀧社(長瀧寺)から石堂白(中居神社)、神波田(神鳩)、今清水を経て別山(本地聖観音菩薩・垂迹天忍穂耳尊)、大御前(本地十一面観音菩薩・垂迹伊弉冊尊)、大汝(本地阿弥陀如来・垂迹大己貴命)まで続くこの古道が描かれていました。さらに、長瀧寺から長良川下流には白鳥、剣、皿宮、梅原、須原、橘と続く古道が描かれています。6月21日、長瀧寺から美濃市の立花神社までのこの道を歩いて順拝しました。
 朝7時15分、美濃市の湯の洞温泉口駅より長良川鉄道に乗車。
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車による悲惨な事故が絶えない今、ローカル線やバスなどの公共交通機関を利用した旅がもっと見直されてしかるべきです。清流長良川を眺めつつ遡り、8時半すぎに長瀧寺門前の白山長滝で下車。金剛童子堂の北に豪潮律師の宝篋印塔と、白山神社拝殿。
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長瀧寺は越の大徳・泰澄和尚が養老元年(717)に白山上に三所権現を祀った後、麓に四社の神殿を建て三道を開くため当地に下り、彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)を感得して白山中宮美濃馬場とされたのが始まりです。養老6年(722)に三社の神殿に改造して「大御前」に伊弉冊尊(イザナミノミコト)・伊弉諾尊(イザナギノミコト)・彦火々出見尊を祀り本地十一面観音菩薩を納め、「越南知」に大己貴命(オホナムチノミコト)を祀り本地阿弥陀如来を納め、「小白山」に天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)を祀り本地聖観音菩薩を納めたのでした(「長瀧寺真鑑正編」)。
 壮麗な宝篋印塔の西には、大講堂(巻頭写真)。肥後出身で、九州や東海各地に宝篋印塔を造立された豪潮律師の「八万四千塔」の一つで、律師八十五歳の天保4年(1833)に起てられたものです。宝篋印塔とは「一切如来心秘密全身舎利宝篋印陀羅尼経」に説かれる、過去・現在・未来の三世の一切の仏さまの全身舎利であり分身のお姿である「宝篋印陀羅尼」を納めた宝塔です。

若し有情有りて 能く此の塔に於いて
一香一華もて 礼拝供養せば
八十億劫の 生死重罪
一時に消滅し 生には災殃を免れ
死しては仏の家に生まれん。
若し応に阿鼻地獄に堕すべきこと有らんに
若し此の塔に於いて 或いは一たび礼拝し
或いは一たび右遶せば 地獄の門は塞がれ
菩提の路は開かれん。
(「宝篋印陀羅尼経」)

お釈迦さまからこの陀羅尼を付嘱されたのが、金剛手菩薩。宝塔の南に祀られる金剛童子は、金剛手菩薩の化身とも阿弥陀如来の化身ともされる童子です。塔前にて宝篋印陀羅尼を誦し、大講堂に参拝して南へと歩き始めました。
 大永・享禄の頃(1521~32)に長瀧寺の敬愚比丘が焼身供養を行じられた御坊主ヶ洞を遥拝するように立つ、お地蔵さま。
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長瀧寺六谷六院の一つ・葦原院谷の開厳院総坊遺跡。
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治安3年(1023)6月3日、晴天、葦原院谷の山崩れで衆徒六十坊が埋没したと伝わります(長瀧寺真鑑正編」)。二日町の八幡神社を経て長良川右岸を南下し、9時15分に仏岩に参拝。
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治安3年の山抜けで葦原院谷の一坊が此処まで流れて岩にぶつかり、安置されていた仏像が対岸の岩に打ち上げられたと伝わります。仏岩から西に歩を進め、金剛山西円寺、日吉神社と順拝。
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日吉神社は宝治2年(1248)に日吉山王二十一社のご神体を金剛山麓に祀ったのに始まる社です。長良川に戻り、大芝原橋(おおしばらばし)より上流に御坊主ヶ洞や長瀧寺方面、さらに毘沙門岳を遥拝。
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大日ヶ岳は雲に覆われていました。
 10時に白鳥神社着。
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長瀧寺真如坊伝来の「白山権現御躰」(白山曼荼羅)には

白鳥 十一面観音 毘沙門 地蔵尊

とあります(「長瀧寺真鑑正編」)。養老元年(717)に白山中宮美濃馬場に彦火々出見尊を祀った泰澄和尚は、養老6年(722)再び美濃国に入って当地に来たとき、白鳥(白雉)が空から舞い降りて天女と化し、

「是レヨリ北五十町ヲ隔テテ清浄ナル霊地アリ、必ズ伽藍ヲ建ツベシ」

と告げて消え去ったのでした。和尚は此処に一社を建てて伊弉冊尊を祀り白鳥社とし、別当・白鳥寺を建立したのでした。そしてお告げに順って中宮に参詣したところ、神女が現われて

「長ク衆生ヲ利益セン」

と告げて消えたのでした。そこで、前述の如く中宮を三社の神殿に改造して白山三所権現を祀ったのでした(「長瀧寺真鑑正編」)。
 白鳥神社にて白山三所権現王子眷属および泰澄大師を供養し、白鳥の町中を南下。長良川沿いに立つ子守地蔵尊。
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対岸の油坂峠の向こうは、越前です。
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10時半、為真(ためざに)白山神社参拝。
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養老年中に泰澄大師が桜の樹に幣帛を懸け置いたのを、村人が「シテカケの宮(注連懸大権現)」として崇めるようになったそうです。昭和49年に樹齢を全うした注連掛け桜の遺木に掌を合わせ、国道を南下してゆくと、微雨。大島の国道沿いの高台に何かありそうなので登ってみると、秋葉三尺坊大権現が祀られていました。
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中津屋で橋を渡り、長良川右岸へ。
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アジサイの花。
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11時半に上万場の熊野神社に参詣。
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熊野三所権現のうち、本宮の垂迹神は須佐之男命、新宮は伊邪那岐命、那智は伊邪那美命。日本の父母・伊邪那岐命と伊邪那美命は、白山妙理大権現の垂迹神でもあります。熊野権現を供養して南へ歩を進めてゆくと、長閑な田園を長良川鉄道がカタンコトンと走ってゆきました。
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 橋を渡って長良川左岸へ。
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12時15分、川沿いに鎮座する金劔神社に参拝しました。
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長瀧寺真如坊伝来の「白山権現御躰」(白山曼荼羅)には

剣 不動尊 毘沙門 地蔵尊

とあります(「長瀧寺真鑑正編」)。「大和町史」によれば、祭神は伊弉冊尊、天忍穂耳尊、須佐之男命。和銅年中(708~715)に加賀国鶴来から来た人が勧請したとも、弘仁14年(823)に加賀国仏原に勧請された金劔大権現が後に勧請されたとも伝わるようです。金劔王子は白山六所王子のお一人であり、加賀・鶴来の金劔宮(本地不動明王・垂迹瓊瓊杵尊(ニニギノミコト))は神亀2年(725)のご出現(「大永神書」)。寿永2年(1183)に木曽義仲が越中国府で白山加賀馬場本宮・越前馬場平泉寺・美濃馬場長滝寺に戦勝祈願をし、金劔宮のご加護によって平家の大軍を倶梨伽羅峠で撃破したことは有名です。
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(加賀・鶴来の金劔宮、2018.5参拝時)
ご宝前にて勤行を修し、白山金劔王子・本地不動明王を供養しました。
(続く)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝