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敬愚比丘忌

 6月1日は、約五百年前に白山中宮長瀧寺(ちょうりゅうじ)対岸の山中で焼身供養を行じられた、敬愚比丘のご命日。

「比久ハ陰暦六月朔日御坊主ガ洞奥ナル見附ノ大岩ノ下方ニテ火燒三昧ニ入定セリト云フ、現ニ基石ヲ存ズ、多分大永享禄(1521~32)ノコトナラン」(「長瀧寺真鑑正編」)

今年も、御坊主ヶ洞に登って敬愚比丘を供養しました。
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敬愚比丘は「学識ヲ供ヘ書ヲ能ク」し、永正15年(1518)には長瀧寺の一切経蔵の制札を書いています。

「於当経蔵、他所之人卒爾入事、令停止者也、仍一山衆議如件」(「長瀧寺真鑑正編」)

「高鷲村史」によれば、敬愚比丘は幼少の頃、長瀧寺・洲河院谷の地蔵山房で修行されたと伝わります。地蔵坊は「長瀧寺神社仏閣記録」に「座中」、即ち山伏の坊と記されており、「衆徒」(僧侶)の坊ではありませんでした。敬愚比丘は若い頃は山伏の修行をされていたのでしょう。
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(地蔵堂、2019.1.24)
 戦国の動乱のさ中、敬愚比丘が何故火定に入られたのかは不明ですが、比丘の火定が当時三十代だった道雅法印や、四十才前後だった良信大徳といった長瀧寺の僧侶たちに与えた影響は少なくなかったはずです。「法華経」薬王菩薩本事品に、一切衆生喜見菩薩(薬王菩薩の過去身)が師の日月浄明徳仏とその教え(法華経)を供養するために己れの身に油を塗り、千二百年燃え続けて命終し、生まれ変わったとあります。敬愚比丘は末世にあって、白山中宮長瀧寺と僧俗男女を照らし続けるため、斯様な山中で火定に入られたのでしょう。敬愚比丘を偲んで「法華経」薬王菩薩本事品と念仏をお唱えし、白山有縁の生きとし生けるものの現当二世安楽をお祈りしました。
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 見附ノ大岩の下に坐して谷を見下ろしていると、ふと、敬愚比丘の火焼三昧の先例は「法華経」の一切衆生喜見菩薩だけでなく、長瀧寺の祭神にも見られることに気づかされました。「長瀧寺真鑑正編」によれば、養老元年(717)、越ノ大徳泰澄和尚が白山上に三所権現を祀り、麓に四社の神殿を建て三道を開くため、越ノ国から長良川上流に来られたのでした。

「老樹繁リ昼尚暗キ森林ノ中ニ小祠アリ、嵩貌偉秀ノ老翁佇立シ、我ハ天照大神第四世ノ孫ナリ、和尚ヲ待ツコト久シト云ヒテ消ユ、此所ニ社宇ヲ造営シ、彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)ヲ祀リ白山七社ノ一トシ、供奉ノ僧坊ヲ造立セリ、則白山禅定三道ノ一ニシテ、初地菩薩道又ハ菩薩説法道トモ名ク、所謂白山中宮美濃馬場ナリ、」(「長瀧寺真鑑正編」)

つまり、長瀧寺に泰澄大師が最初に感得して祀ったのは、彦火々出見尊なのでした。泰澄大師は養老6年(722)に再び美濃国に入り、社宇を

「三社ノ神殿ニ改造シ、大御前ニ伊弉冊尊(イザナミノミコト)・伊弉諾尊(イザナギノミコト)・彦火々出見尊を祀り、本地十一面観音ヲ納メ、越南知ニ大己貴尊(オホナムチノミコト)ヲ祀リ、本地阿弥陀如来ヲ納メ、小白山に天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)ヲ祀リ、本地聖観音ヲ納メ」、

白山三所権現の本地仏と垂迹神を祀ったのですが、「大御前」即ち白山妙理大権現の垂迹神として伊弉諾尊・伊弉冊尊だけでなく彦火々出見尊の名が加えられているのは、白山「下四社」(中宮・佐良宮・岩根宮・金剣宮)の中宮の祭神が彦火々出見尊だからでありましょう。
 彦火々出見尊は、大己貴神(越南知(大汝峰)の祭神でもある)が出雲に大社を造営することを条件に天照大神の御子・天忍穂耳尊(小白山(別山)の祭神でもある)に国譲りをし、天忍穂耳尊の御子・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が日向の高千穂に降臨した後、大山祇神(オホヤマツミノカミ)の娘・木花開耶姫(コノハナノサクヤビメ)を娶って生まれた神さまです。一夜で孕(はら)んだ木花開耶姫は皇孫・瓊瓊杵尊に疑われ、

「吾が所娠(はら)める、是若し他神(あたしかみ)の子ならば、必ず不幸(さいはひな)けむ。是実(まこと)に天孫の子ならば、必ず当に全く生きたまへ」

と言って無戸室に入り、火をつけてお産をしたのでした。火中で最初に産まれたのが火酢芹命(ホノスセリノミコト)(海幸彦)、二番目が火明命(ホノアカリノミコト)、三番目が彦火火出見尊(山幸彦)(「日本書紀」)。敬愚比丘は自らを灯明として、白山中宮長瀧寺の祭神であり神武天皇の祖父である彦火々出見尊を生生世世に供養し続けるべく、火定に入られたのでしょうか。
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 敬愚比丘が焼身供養を行じられて、約五百年。比丘と同時代を生きた良信大徳から長瀧寺真如坊に代々相伝されてきた「白山権現御躰」(白山曼荼羅)が、越中・五箇山で見つかったそうで、先月(2019年5月)の五箇山白山宮の三十三年ぶりのご開帳の折、白山美濃禅定道が描かれたその白山曼荼羅を拝ませていただきました。長大な白山美濃禅定道、および、藪と雪に埋もれた古の山伏の行場「鳩居峯」を、これからも歩き続けてゆく決意を新たにしました。敬愚比丘尊者、どうぞこれからもお見守りください。
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(長瀧寺・金剛童子堂と大講堂、宝篋印塔)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝