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出雲巡礼/許豆~鰐淵寺~弥山~大社2

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(弥山より望む「薗の長浜」と「佐比売山」(三瓶山))

(承前)
 5月13日昼前、鰐淵寺の浮浪滝に蔵王権現を拝み、鰐淵寺川に戻って上流へと歩を進めました。
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滑りやすい谷を右へ左へ渡渉しつつ登ること一時間弱。
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12時半、ようやく遙堪峠(ようかんとうげ)に出ました。
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此処からは尾根を縦走。尾根道は明るく乾いており、歩きやすいです。万ヶ丸山に登って鈴谷峠(りんたんとうげ)に下り、さらに縦走。
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「出雲の御崎山」(出雲北山)の尾根は、けっこうアップダウンがあります。13時半に極楽山に着き、念仏をお称えして急峻な涅槃坂を降下。
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足元は固まったザラザラの砂で、滑りやすいです。樽戸峠に下り、大国主神の長男・阿遅志貴高日子根神(アヂシキタカヒコネノカミ)を祀る阿須伎神社が鎮座する阿式谷を、南に拝みました。
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14時に鼻突峠着、此処からいよいよ弥山(みせん)への登りです。
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急峻な岩場をよじ登って三角点を通過すると、山頂部の岩上に開けた見事な展望(巻頭写真)。やがて、山頂の社が見えてきました。
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 14時15分、弥山の頂の御山神社(みせんじんじゃ)に参拝。
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「弥山」という名の山は各地の霊山にけっこうあり、伯耆・大山(だいせん)の山頂も弥山です。仏教の世界観における須弥山(しゅみせん、山頂に帝釈天が住み、四方の中腹に四天王が住む)と関係があるのでしょうか。白山頂・御前峰の北に聳える剣ヶ峰も、かつては「みせんが嶽」と呼ばれていました。

「大御前の後の山をみせんが嶽といふ。焼崩れたるすさまじき石峰也。是も秘所のひとつと云。俗につるぎの山と名付るこれなり。」(野路汝謙「白山紀行」(十七世紀後半))
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(白山・大汝峰より望む御前峰と剣ヶ峰、2019.4.18)

御山神社にて勤行を修し、出雲有縁の生きとし生けるものの幸いをお祈りしました。
 山頂からの、素晴らしい展望。北側には、小津(こづ)や十六島(うっぷるい)の風車。
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東側には、出雲ドームの彼方に仏経山(神名火山)。
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南側は、出雲平野、薗(その)の長浜、三瓶山(さんべさん)。
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そして西側は、八雲山と出雲大社、稲佐の浜、彼方に日御碕。
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「出雲国風土記」にある八束水臣津野命(ヤツカミヅオミヅノノミコト)の「国引き神話」によれば、命が「栲衾志羅紀の三埼(たくぶすましらきのみさき)」(新羅)の余った地を綱で引き寄せ縫いつけたのが、

「去豆(こづ)の折絶(をりたえ)より、八穂尓支豆支(やほにきづき)の御埼なり。」

また、引き寄せた地を固定するために立てた杭は

「石見の国と出雲の国との堺有る、名は佐比売山」(三瓶山)

引いた綱は

「薗の長浜」

と記されています。命は他にも「北門(きたと)の佐伎の国」「北門の良波の国」「高志(こし)の都都(つつ)の三埼」から国引きして島根半島を作ったのですが、弥山からは、「志羅伎」から引き寄せた地が四方に望めます。
 弥山から大社方面へ下山。砂色をした大きなトカゲに、掌を合わせました。
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弥山への縦走中も、似たようなトカゲに会いました。下方には、出雲大社。
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山道は砂が固まったザラザラの坂道で、よく滑ります。15時に麓に降り、命主社に参拝。
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祭神は神皇産霊神(カミムスビノカミ)。「古事記」によれば、天地開闢のときに生成した天之御中主神の次に高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、次に神産巣日神(カミムスヒノカミ)が生成したのでした。神産巣日神は、大国主神が兄弟の八十神たちに伯耆で殺された際、蚶貝比賣命(キサガヒヒメ)と蛤貝比賣(ウムギヒメ)を遣わして蘇生させたり、息子の少名那毘古神を出雲の美保の岬に送って大国主神の国作りを補佐させる等、出雲を影に日向に守っておられる神さまです。大社境内に入り、幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)を拝む大国主神の像に掌を合わせました。
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少名那毘古神が常世の国に渡ってしまい、大国主神が

「吾独りして何にかよくこの国を得作らむ。」

愁えていたとき、海を照らして依ってきた神がありました。「日本書紀」には、大己貴神(オホナムチノカミ、大国主神)が

「汝は是誰ぞ」

と問うと、

「吾は是汝が幸魂奇魂なり」

と答えた、とあります。己れの外にではなく己れの内に依り処を見出した大国主神は、その「幸魂奇魂」を大和の三輪山に祀ったのでした。
 大社拝殿の東に、弥山を遥拝。
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四拍手して参拝し、西から御本殿の大国主神を拝みました。
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巨大な本殿の真後ろには、素戔嗚尊(須佐之男命)を祀る素鵞社。
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須佐之男命は大国主神の祖先であり、正妻・須勢理毘賣(スセリビメ)の父であり、根の堅巣国(黄泉の国)で大国主神に試煉を与えて鍛えた師。出雲大社の祭神は、古代は大国主神、中世は須佐之男命、近世以降は大国主神に戻りましたが、私は、大国主神の背後に須佐之男命を、須佐之男命の背後に日本の母・伊弉冊尊(イザナミノミコト)を拝みます。出雲と伯耆の境の比婆山(ひばさん)に葬られ、黄泉の国で「黄泉津大神(ヨモツオホカミ)」となられた伊弉冊尊。
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(比婆山頂の久米神社、2019.4.4)

亡き母・伊弉冊尊を慕ってアゴヒゲが胸に垂れるまで泣き続け、父・伊弉諾尊(イザナギノミコト)に勘当されて出雲に降り、やがて根の堅州国(黄泉の国)の大神となった須佐之男命。須佐之男命の試煉に鍛えられ、須勢理毘賣と共に黄泉平坂(よもつひらさか)から地上に戻って葦原の中つ国(日本)の国作りを進め、出雲に大社を造営することを条件に天照大御神(須佐之男命の姉)の子孫に国を譲って幽世(かくりよ)の神となられた、大国主大神。
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(出雲・揖屋の黄泉平坂、2019.1.31)

顕世(うつしよ)・現世・意識の世界の裏には、幽世・来世・無意識の世界が存在しています。出雲のやさしく穏やかな風光の奥に、私は伊弉冊尊・須佐之男命・大国主神をはじめとする神々を拝み、人間の内なる神性・仏性を拝まずにはおれません。

「大国主神となり、また宇都志国玉神となりて、その我が女(むすめ)須世理毘賣を嫡妻として、宇迦の山の山本に、底つ岩根に宮柱ふとしり、高天の原に氷椽(ひぎ)たかしりて居れ、この奴(やっこ)!」(「古事記」、黄泉比良坂での須佐之男命から大国主神へのはなむけの言葉)

この「出雲の御崎山」「宇迦の山」には、これからも登りに来ることになるでしょう。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝