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越中五箇山・白山宮ご開帳

 越中五箇山の白山宮には、今まで何度かお参りしてきました(当ブログ2011年9月「人形山より白山遥拝」、2012年9月「大笠山より白山遥拝」、2015年12月「五箇山白山宮より高坪山登拝」)。また、九年前の交通事故以来、五箇山白山宮の輪宝紋の交通安全ステッカーを運転席のまん前(車の外ではなく)に貼り、車と心の運転を見守り続けていただいております。輪宝紋は、ハンドルの形にも見えます。
 令和元年(2019)5月11日と12日、白山妙理大権現を祀る本殿が三十三年ぶりにご開帳されました。白山権現を拝みに、5月12日昼すぎ、五箇山を訪れました。
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 茅葺きの本殿は戸が開かれており、ご神体は帳の向こうにおられて姿は見えませんでしたが、私のことを見ておられるはず。白山妙理大権現本地・十一面観音さまに般若心経とご真言・ご宝号をお唱えしました。
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本殿の脇にてご宝物を拝観。中でも、白山宮の側の旧家で見つかったという「白山曼荼羅」を拝ませていただき、白山美濃馬場・長瀧寺(ちょうりゅうじ)の古記録に「白山御躰之事」として記されている白山曼荼羅の実物を目の当たりにし、感銘を受けました。
 この白山曼荼羅は、白山美濃馬場・白山中宮長瀧寺に伝わる様々な古記録を大正時代に年次順に書写した「長瀧寺真鑑正編」の「元和七年(1621) 白山御躰之事」の項に、白山曼荼羅に描かれている社殿と本地仏、および裡書(うらがき)が書写されています。その内容は、今回五箇山で見つかった白山曼荼羅と完全に一致しています。上部には他の白山曼荼羅と同じく白山三所権現(大御前・別山・大汝)が描かれていますが、その下には白山美濃禅定道の社殿と本地仏が描かれています。
 まず最上段に「大御前」の字と、十一面観音さまのお姿。「長瀧寺真鑑正編」には

「大御前 十一面観音」

とあります。同様に、「大御前」の向かって右下に

「別山 聖観音」

左下に

「大汝 阿弥陀」

御前峰・別山・大汝峰の「白山三所権現」の本地仏です。
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(大汝峰より御前峰と別山を遥拝、2019.4.18)

「大御前」のすぐ下、「別山」と「大汝」の本地仏の間には女神が描かれ、「長瀧寺真鑑正編」には

「伊弉冊尊」(イザナミノミコト)

とあります。同様に「別山」の本地仏の下の弓矢を持つ宰官姿の男神は

「天忍穂耳尊」(アメノオシホミミノミコト)

「大汝」の本地仏の下の老翁の姿の男神は

 「大己貴命」(オホナムチノミコト)

白山妙理大権現・本地十一面観音さまの垂迹は日本の母・伊弉冊尊。別山大行事・本地聖観音さまの垂迹は天照大御神の御子・天忍穂耳尊。そして越南知権現・本地阿弥陀さまの垂迹は、須佐之男命の子孫で婿でもある大己貴命(大国主神)として描かれています。
 三所権現の下には、白山美濃禅定道の主な社殿と本地仏。

「今清水 地蔵尊」
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(今清水社跡、2018.6)

「神波田 両童子」
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(神鳩、2018.3)

「石堂白 十一面観音」
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(石徹白・中居神社、2018.3)

「長瀧社 中宮長瀧寺」
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(2019.4.27)

「白鳥 十一面観音 毘沙門 地蔵尊」
(白鳥神社)

「剣 不動尊 毘沙門 地蔵尊」
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(大和町・金劔神社、2013.6)

「皿宮 毘沙門 地蔵尊」
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(八幡町勝更・白山神社、2012.12)

「梅原 毘沙門 地蔵尊」
(美並町梅原・白山神社)

「須原神社 十一面観音 伊弉冊尊 伊弉諾尊 大己貴尊」
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(洲原神社、2016.6)

「橘神社 金剛童子 猿田彦命」
(美濃市立花・白山神社)

そして中央には、伊弉冊尊の下・天忍穂耳尊と大己貴命の間に白装束の人が描かれ、「大汝」の本地仏・阿弥陀さまの眉間の白毫から発した光明に照らされています。「長瀧寺真鑑正編」には

「白張束帯ノ行者也」

と記されており、この曼荼羅を拝む行者の姿でありましょう。
 「白山曼荼羅」の中で、このような行者の姿を見たのは初めて。ふと、白山加賀馬場・笥笠中宮(けがさのちゅうぐう)の神宮寺に阿弥陀さまの像を祀り、昼夜不断の念仏三昧を行じられた西因上人の願文(保安2年(1121)6月1日)の一節が心に浮かびました。

「嗟乎(ああ)、十悪五逆ハ風前ノ塵、妄想顛倒ハ空中之花。弥陀ノ白毫一タビ照ラサバ、煩悩之黒業悉ク除カレン。」
(藤原敦光「白山上人縁記」)

長瀧寺から神鳩までの間には、白山美濃禅定道とは別に、尾根伝いに山伏の九~十の行場「鳩居峯」がありました。藪と雪に埋もれたこの行場のうち五宿目までを毎月巡拝しているのですが、途中の三ノ宿や西山、毘沙門岳から拝む白山は、別山(聖観音菩薩)と御前峰(十一面観音菩薩)の中央奥に大汝峰(阿弥陀如来)が頭を覗かせる「山越来迎阿弥陀三尊」。
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(西山より、2019.2.26)
南側から白山を遥拝・登拝していた長瀧寺の山伏たちは、この三尊のお姿に自ずと念仏をお称えしていたことでしょう。三所権現中尊の白山妙理大権現・本地十一面観音さまではなく、奥の院である越南知(大己貴)権現・本地阿弥陀さまの方を向いて座す白装束の行者の姿は、白山美濃馬場ならではの光景と思われるのです。
 この曼荼羅図(「白山権現御躰」)の裡書によれば、長瀧寺真如坊の良信より良定・良純と相伝して元和7年(1621)に真如坊良賢が頂戴したこと、真如坊不出の本尊であり、末代まで住持は精進堅固にして香花を供え、天下泰平国土安穏を祈るべきことが記されています。さらに、真如坊良意が頂戴したと記されています。良信大徳は長瀧寺の「荘厳講執事帳」に天文23年(1554)2月1日に遷化されたと記されており、「長瀧寺真鑑正編」永正18年(1521)

「当寺ガ白山別当職タルヲ以テ大御前ヲ修理シタリシ時ノ計算書」

には

「大御前別当 良信」

とあります。真如坊良意の名は、「長瀧寺神社仏閣記録」(寛文8年(1668))に

「真如坊 良意 中老」

とあり、「荘厳講執事帳」にも延宝2年(1674)まで名が見られます。
 「長瀧寺真鑑正編」によれば、この「白山御躰」と裡書は

「大正六年八月六日、経聞坊ヨリ供受書記ス、 真盛」

とあり、大正6年(1917)には長瀧寺の経聞坊にあったことが分かります。その後百年の間に、如何なる経緯で五箇山・白山宮の側に遷されたのかは分かりませんが、これも白山権現の思し召しだったのでしょうか。
 白山越前馬場・平泉寺の「白山権現講式」(明応9年(1500)に平泉寺中宮別当権大僧都豪仙が書写したものが、享禄3年(1530)に書写されたもの、大原勝林院所蔵)に、

「大己貴権現ノ本迹ヲ讚メ上ルトハ、本地ハ阿弥陀如来也。弥陀ト観音、其体不二ニシテ、妙理ト大己貴、其相異ナルコト無シ。」

とあり、

「此ノ時弥陀応化ノ霊神ニ遇ハズンバ、焉(いづ)クンゾ 往生極楽の目足ヲ得ルコト有ラン哉。」

とあります。観音さまは過去無量劫に正法明如来であらせられ、阿弥陀さまは過去に法蔵菩薩でありました。三所権現に優劣はなく、私たち悩める衆生に応じて、広く救うために示現されたお姿です。本地のお姿は十一面観音さま・聖観音さま・阿弥陀さま。垂迹のお姿は伊弉冊尊・天忍穂耳尊・大己貴命。一仏(菩薩)を拝むことは三仏(菩薩)を拝むことであり、一神を拝むことは幽顕・陰陽の諸神を拝むこと。そのように白山三所権現王子眷属を拝み、この曼荼羅を拝み、白山を遥拝し登拝し続けてまいりたく思います。三十三年後の次のご開帳まで(生きていてもいなくても・・・)。
 白山宮参拝後、庄川を渡り、白山宮や合掌造りの家屋の背後に高坪山を遥拝。
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湯谷川から、残雪の人形山に掌を合わせました。
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五箇山・白山宮は養老年中(717~723)に泰澄大師が人形山の頂に勧請され、天治2年(1125)に山麓に遷座したそうです。
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝