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三種の神器・上

 元号が平成から令和となり、新天皇が三種の神器を承継して即位されました。日本の神話に由来する三種の神器がこれからも末長く承継されてゆくことを、一日本人として願ってやみません。
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(白山・大汝峰(本地・阿弥陀如来、垂迹・大己貴命)より望む山頂・御前峰(本地・十一面観音菩薩、垂迹・伊邪那岐命伊邪那美命)と別山(本地・聖観音菩薩、垂迹・天忍穂耳尊)、2019.4.18)

 「古事記」によれば、日本の父母・伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)がわが国の国土と山川草木の神々を生んだ後、火の神(火之迦具土神)を生んだ際の火傷が元で伊邪那美命は亡くなり、出雲と伯伎(伯耆)の境の比婆山に葬られました。
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(比婆山頂の久米神社、2019.4.4)

最愛の妻を失った伊邪那岐命は火の神の首を斬り、黄泉の国へと妻を追っかけます。が・・・伊邪那美命との約束を破って、蛆にたかられ体から八雷神を生成していた亡き妻の姿を見てしまい、黄泉の軍勢や「黄泉津大神」となった伊邪那美命 に追われつつ、黄泉比良坂から地上に戻ったのでした。
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(出雲・揖屋の黄泉比良坂、2019.1.31)

伊邪那美命と決別した伊邪那岐命は筑紫の国で禊(みそぎ)をし、住吉三神等を生成した後、左目を洗ったときに天照大御神、右目を洗ったときに月読命、最後に鼻を洗ったとき、建速須佐之男命(タケハヤスサノヲノミコト)が生成したのでした。
 伊邪那岐命は天照大御神に高天の原を、月読命に夜の食国(よるのをすくに)を、須佐之男命に海原を治めさせることにしましたが、須佐之男命は

「僕(あ)は妣(はは)の国根の堅州国に罷らむと欲(おも)ふ」

つまり、伊邪那美命のおられる黄泉の国に行きたい!とアゴヒゲが胸に垂れるまで泣き続け、伊邪那岐命に勘当されてしまいます。老いた伊邪那岐大神が近江の多賀にお鎮まりになると、須佐之男命は姉の天照大御神が治める高天の原に暇乞いに参上。
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武装して出迎えた姉に

「汝の心の清く明きは何(いか)にして知らむ。」

と問われ、

「誓(うけ)ひて子生まむ」

と、天照大御神が弟の剣を噛み砕いて吹いた気吹(いぶき)から宗像の三女神が生成し、須佐之男命が姉の勾玉のネックレスを噛み砕いて吹いた気吹から天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)・天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)など五柱の男神が生成したのでした。天照大御神が五柱の男子を自分の子、三柱の女子を須佐之男命の子に決めると、須佐之男命は

「我が心清く明し。故、我が生める子は手弱女(たわやめ)を得つ。」

と勝ち誇り、高天の原の田の畔を壊し溝を埋め、神殿に糞をひり散らすなど大暴れをしでかします。大目に見ていた姉・天照大御神でしたが、須佐之男命が天の斑馬(あめのふちこま)の皮を剥いで服屋(はたや)の屋根を破って下に投げ込むと、天の服織女が驚いて梭(ひ)にぶつかり、死んでしまったのでした。
 ついに怒った天照大御神は、天の石屋戸(あめのいはやと)に閉じ籠ってしまいました。高天の原はもとより、葦原の中つ国、即ち地上の世界も真っ暗です。

「ここに萬の神の声は、さ蝿なす満ち、萬の妖(わざわひ)悉に発(おこ)りき。」

困った八百万の神々が天の安の河原に集まって話し合い、天の金山の金属で伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)に鏡を作らせ、玉祖命(タマノヤノミコト)に八尺(やさか)の勾玉の五百箇(いほつ)の御統(みすまる、ネックレス)を作らせ、掘り取った天の香山の常盤木の上枝に勾玉の御統、中枝に八咫鏡(やたかがみ)を掛けて布刀玉命(フトダマノミコト)が取り持ち、天兒屋命(アメノコヤネノミコト)が祝詞を申し、天宇受賣命(アメノウズメノミコト)が神懸りして舞い歌うと、天照大御神は不思議に思って天の石屋戸を細く開けたのでした。すかさず天兒屋命と布刀玉命が天照大御神の前に鏡を差し出すと、よく見ようとおもむろに体を乗り出した瞬間、待ち構えていた天手力男神(アメノタヂカラヲノカミ)が天照大御神の御手を取って石屋戸から引き出し、布刀玉命が石屋戸に縄を張って

「これより内にな還り入りそ。」

と申し上げたのでした。高天の原と葦原の中つ国に光が戻り、須佐之男命は罰としてたくさんの物を支払わされた上、ヒゲを切られ手足の爪を抜かれ、高天の原から追放されたのでした。
 この神話に出てくる、天照大御神を天の石屋戸から引き出すために作られた「八咫鏡(やたのかがみ)」と「八尺の勾玉(やさかのまがたま)」が、三種の神器のうちの二つです。では、もう一つの「草薙劔(くさなぎのつるぎ)」は・・・
 高天の原から追放された須佐之男命は、出雲国の肥の河上(斐伊川上流)・鳥髪の地に降りました。「出雲国風土記」に記されている仁多郡の鳥上山、現在の船通山です。此処で須佐之男命は、若い娘に寄り添い泣いている老夫婦に出会ったのでした。老夫婦の名は足名椎(アシナヅチ)と手名椎(テナヅチ)、娘の名は櫛名田比賣(クシナダヒメ)。八人の娘がいましたが、毎年「高志の八俣の大蛇(こしのやまたのをろち)」が娘を食べに来、最後の娘をこれから大蛇が食べに来るとのこと・・・。八俣の大蛇の姿は、

「その目は赤かがちの如くして、身一つに八頭八尾あり。またその身に蘿(こけ)と檜榲(ひすぎ)と生ひ、その長は谿八谷峡八尾(たにやたにをやを)に度(わた)りて、その腹を見れば、悉に常に血爛(ただ)れつ。」

櫛名田比賣を娶った須佐之男命は、比賣の姿を櫛に変えて角髪(みずら)に刺し、足名椎・手名椎神に強い酒を作らせて八つの門にそれぞれ酒船を置き、その酒を盛って大蛇の到来を待ったのでした。ついに現われ、八つの酒船の酒に酔った八俣の大蛇を、須佐之男命は十拳剣(とつかつるぎ)で切り殺します。尾を切った際に刀の刃が欠けたので、尾を裂いてみると、中から大刀(たち)が出てきたのでした。須佐之男命は、この大刀を姉の天照大御神に献上しました。この大刀が、「草薙の大刀」です。
 八俣の大蛇を退治した須佐之男命は、出雲で新妻と暮らす宮を造る場所を探し、須賀の地に来たとき

「吾此地に来て、我が御心すがすがし」

とおっしゃり、須賀の宮(須我神社)を建てたのでした。その時、命が詠んだ歌。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

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(須我神社、2019.1.31)

八俣の大蛇に劣らぬ暴れ者だった須佐之男命は、大蛇を退治し櫛名田比賣を娶り、出雲の地で心の安定を見出したのでした。
 三種の神器の起源を訪ねると、それらはいずれも天照大御神に奉られたものであるだけでなく、その背景には天照大御神と弟の須佐之男命との対立と融和の神話が見えてきます。この構図は、父・伊邪那岐命の跡を継いだ天照大御神と、母・伊邪那美命を求めて出雲に降った須佐之男命の対立と融和、さらには、須佐之男命の子孫で婿でもあり、出雲を拠点に葦原の中つ国の国作りを進めた大国主神(大己貴命(オホナムチノミコト))と、天照大御神の御子で、葦原の中つ国に降臨しようとする天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)との対立と融和の構図にも重なります。大国主神の国譲りは、偉大なる祖先で義父でもある須佐之男命による、八俣の大蛇の尾から出てきた「草薙の大刀」の高天の原への献上をベースにしたもの、ともいえましょう。そして、出雲に大社を造営することを条件に葦原の中つ国を譲り受けた天忍穂耳尊は、自らではなく、息子の邇邇芸命(ニニギノミコト)を降臨させることにしたのでした。
 日向の高千穂に天孫・邇邇芸命が降る際、天照大御神は孫に天兒屋命・布刀玉命・天宇受賣命・伊斯許理度賣命・玉祖命の五部神と、八尺の勾玉・鏡・草薙劔の三種の神器、常世思金神・手力男神・天石門別神(アメノイハトワケノカミ)を添え、

「これの鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拜(いつ)くが如拜き奉れ。」

と仰せられています。三種の神器は、大国主神が国譲りをし、天孫が降臨されたときから伝わっている神器なのでした。
(続く)
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松樸裏

Author:松樸裏
自由と孤独を愛するアウトサイダーと、万物の母たる大自然との一対一の対話
2006~奥美濃の藪山を登り始める
2009~白山三禅定道を毎年登拝
2016~19白山美濃馬場の古の山伏の行場「白山鳩居峯」のうち五宿を毎月巡拝、以後随時巡拝